第18話 子ぎつねランは、家出中 2
赤い車は、ランを乗せたまま、小学校の駐車場まで突っ走った。
赤信号でも止まらない。
ランは、必死で車上にへばりついていた。
冷たい夜風がビュウビュウ吹いて、何度も吹き飛ばされそうになった。
「やっと着いた………」
女が車から降りると、ランは、ふらふらと立ち上がって、よろけそうになりながらも、何とか反対側へ飛び降りた。
女は一瞬で屋上まで飛んで行った。
「風の妖怪かな、どうしよう」
とりあえず跡を追うことにした。そうする他ないのだ。
『もしも、言い付けを破った時は………』
母狐は、何度も何度も、昔からランに言い聞かせていた。
『自力で、試練を乗り越えなさい。こちらへ戻る方法は、一つです。あなたが、頭上に乗ってしまった者の悩みを解決しなさい。期限は、たった二日ですからね』
ランは窓枠から窓枠へ、飛び移りながら頂上を目指した。
「夏の匂いがする。わたし、秋が良かった………」
銀色の尾っぽが夏風になびいて、星のようにキラキラ輝いた。
「ねえさまが言っていた、妖魔の溢れる季節だわ。しかも魔の刻、せめて朝が良かった」
ランは、ぶつくさ文句を言いながら、真っ暗な教室に目を走らせた。
今にも何かが飛び出しそうだ。
「なんて不気味な光景」
ランは、身震いしてぽつりと呟いた。
「家出なんて、しなきゃ良かった」
天辺に到着すると先客がいた。
屋上の入口の傍に、大きな段ボール箱が六つほど積まれていた。
ランは、急いで身を隠した。
そおっと首だけ覗かせて、猫背の老婆を窺った。
老婆は胡坐を組んでいたので、青黒い横顔しか見えなかったが、深い深い傷のような皺を見つけて、ランは戦慄を覚えた。
「どうしよう、妖怪の車だったなんて………」
ランは、ぶるぶる震えながら様子を見た。
長身の女がキセルをくゆらすと、猫背の老婆が、皮をはぐ手を止めた。
「おや、おまえさん。タバコは、止めたんじゃなかったかね?最近じゃ、禁煙が流行りらしいよ」
指摘されると、女は急にそわそわし始めた。
「タバコじゃないさ。キセルじゃないか」
「ははっ。そりゃ、子供の言い訳だ」
老婆が、真っ黒い前歯を見せて、蜜柑にかぶり付いた。
「うん!こりゃ、いいお供えだ。隣の墓のも、持ってくりゃ良かった。ありゃあ、老舗の菓子だったね」
何とも罰当たりな婆だ。蜜柑の次は、林檎を丸かじりしている。
あいた方の手には、小ぶりだが、夕張メロンとスイカを持っていた。
これは、先の葬儀でくすねて来たものだった。
「こっちも商売でねえ。妖怪の血が混ざる奉公屋は、人間の仕事ができない」
女が月を仰ぐ。今夜は満月、眩しい月明りが照らすのは、漆黒の留袖だった。
「子供たちが怖がってくれないと、意味がない。縮み上がって貰わなきゃ、困るのさ」
女は溜息をついて、キセルを闇に放り投げた。すると、ぱっと消えたのだ。
細長い紫煙も、夜空に吸い込まれて見えなくなった。
ランは、思わず目を見張った。
(これ、知ってる。カティお兄さまが教えてくれた。手品っていうのよ!)
この場所が、どの町の、何という小学校なのか、さっぱり分からない。
ただ困ったことに、屋上で会話しているのは、妖怪なのだ。
妖怪女の過去に、来てしまったのである。
「このままじゃ、商売が減って苦情が増える。何が困るってね、あたしらみたいな奉公屋は、奴らが御客様なんだ。妖怪相手に商売なのさ。エサをまくのが、あたしの仕事だよ」
女は苦り切った顔をして、思いきり右足を蹴り上げた。
赤い高下駄は、刹那、宙に浮き、静止したかのように見えた。が、すぐさま落下して消えた。
「近頃は、ちっとも子供が集まらない。今の子は、怪談なんか本気で信じないからね。テレビアニメの世界だと思って、バカにしてるのさ。夜、学校へ忍び込む子供がいないんだ」
もう片方の木履も、暗闇へ呑まれた。
「それだけじゃないさ。学校での《妖怪肝試し》は、昔の遊び、もはや流行らない。あたしが生まれる前は大勢いたらしいね、この樊籠小学校には………勇敢で無謀な、愚かで命知らずな子供たちが。だけど大昔の話さ。面倒なのは、妖怪の寿命だよ。昔を懐かしがるから質が悪い。子供の怯える顔が見たくてたまらない奴らは、不機嫌なのさ。一遍でいいから、人間の仕事をしてみたいね」
老婆は、メロンもスイカも一口で飲み込んだ。
流石は口裂け女の末裔。まだまだ現役である。
「嘆きなさんな。これも時代の風潮さね。近代は物騒な事件が多いと聞くよ。もっとも、昔から物騒だったがねえ。すこうしばかり、人の意識が変わっただけの話さね」
腹がふくれたのか、老婆は屋上の中央へ歩いた。
そして伸びをすると、曲った腰を拳で二、三回叩いた。
女は、煙のように音もなく、老婆の前へ移動した。
「ねえ、おばば。何か、子供が怖がる話を知らないかい」
先達て葬式から拝借した酒を、女は瓶ごと差し出した。
銘柄『粋魂すいこん』、妖怪の好む美酒である。
老婆は、老いた顔をほころばせて受け取った。
「仕様が無い子だねえ。エサやりは、自分の仕事だと言っておいて。けどまあ、今宵は望。気分も良い。酒の肴代りに、一つ聞かせてやるかねえ」
しめたとばかりに、女の金目が輝いた。
「うんと怖がるヤツを頼むよ。小便を漏らすくらいなヤツを!」
「そりゃいいが、おまえさん、あれも貢物かね」
老婆のデコボコした、古木の枝のような人差し指が、すっと段ボール箱を示した。
「あたしゃ、最近は菜食主義になっちまったけど。変わらず肉も好物でねえ。あれを、ピーマンの肉詰めにしたいんだけどねえ」
女が、ハッとして振り向いた。
「本当だ。キツネの匂いがする」
ランは、ぎゅっと目を瞑った。
(私、食べられちゃう)
「出ておいで」
しかし、女の声音は柔らかかった。
ランが、そっと両目を開けると、女が目の前に立っていた。
(あれっ?この人、ことりお兄ちゃんと、そっくりだ。髪が長いだけで、お兄ちゃんが大人になったみたいな顔)
「おばばー」
女は、老婆に振り向いて声を張り上げた。
「子供のキツネだよ。喰っちまうのは、かわいそうだ」
女が、ランに向き直って尋ねた。
「おまえ、どこから来たの?」
ランは、カラカラになった喉の奥から声を振り絞って答えた。
「わたし、過去に来たの」
「過去に?へ~、大したもんだ。子ぎつねが逞しい。歳は、十くらいだね?」
必死に首を縦に振った。
「子ぎつねだって?」
老婆が眉を顰めた。
「おばば、見逃してやってよ。喰うには早いさ。それに、ちょうど、助手が欲しかったんだ。人間の子供は、大抵、子ぎつねが好きだからね。誘おびき寄せるに役立つさ」
「得体の知れない狐を使うって?静花、おまえさんも変わった子だねえ。まあ、いい。好きにしな」
老婆は、酒瓶をあっと言う間に空にして夜空に放った。
すると、電光のようにピカっと光って、一瞬で消えたのだ。
ランは、またも両目を丸くした。
「おまえ、化け狐だね」
老婆は、ランを見据えてにんまりした。
「名を教えて貰おうかねえ」
老婆のお歯黒に怯えて、ランは、静花の後ろにそそくさと隠れた。
そして、蚊の鳴くような声で言った。
「天代 鸞」




