南海の竜が来た そのに
「いやー、まいったまいった」
熊さんが喫茶室に戻ってきた。
調査探検事業部が廃止され、所属もデスクも失った熊さんだが、とりあえずは人事部預かりの平社員として社内をうろついている。そして、熊さんの背後には、探検ギルドという会社とは違うワールドワイドな組織がついているのだ。
「うにゃうにゃ」
サンドイッチを頬張っていたアリサさんが眼を白黒させる。小柄なアリサさんは、食べるのに時間
が結構かかる。
熊さんはアリサさんの前にどっかと腰をおろすと、例の蕎麦ウィスキーとグラスを二個、注文した。
「いやー、本当にまいったわー」
手酌でウィスキーをグラスに注ぐ。アリサさんの前に一杯、自分の前にも一杯。
本当は他のギルドのことについてたずねてはいけないのだが、熊さんの何かたずねてほしそうな気配を察して私は口をはさむ。
「何があったんですか」
「いやー、それがねえ。もっと野心を持て、てハッパをかけられたんだ。お前なら、もっとうまくふるまえただろうに、てね」
「はあ」
「でもなあ、大勢の株主の前でフリーポートの話を出すのもなんだしなあ。そもそも、会計は別なんだから」
「はあ」
くるみさんは、バーカウンターが隠された壁の前に向かう。
「あー、今日はカウンターは出さなくていいわよ。全部貸し切りだから」とアリサさん。
「くるみちゃんもこっちに来なさい。今や滅亡に瀕している探検ギルドの話をしよう」と熊さん。
「あー、君たちも好きな酒を持ってきていいから」
「では、ジンとソーダをごちそうになります」とくるみさん。あくまでもおしとやかな人だ。
私もカウンターバーのある所に入ったが、念のためノンアルのブドウジュースにした。一見、酒に見えるボトル入りのヤツだ。ワイングラスで偽装する。
「さて、だ。まずは我らがローエンタール商会に乾杯だ!」
熊さんとアリサさんはウィスキーをロックで、くるみさんはジンのストレートを、私はブドウジュースを一気に飲み干す。
ちなみに、乾杯の本来の意味は「杯を飲み干す」ことなので、飲み残しがあるのは失礼なことなのだ。
「さて、だ。シンガポールには佬園商会という会社がある」
熊さんは、漢字の説明を加える。
「ここが探検ギルドの現在の拠点だ。今日来たギルド長はここのトップだ。そして、佬園商会は、世界中にフリーポートを持っている」
「はい?」
港のイメージが浮かぶ。
「フリーポートというのは、港のことではなく、非課税の倉庫だ。そこにある荷物は、輸送中とみなされるんだ」
熊さんの解説をまとめるとこういうことになる。
ローエンタール商会の冒険ギルドは、今や世界的なフリーポートのネットワークへと進化していた。そこにある荷物は、他国への移動がない限り関税がかからない。つまり、倉庫内に預けてある限り、その存在も所有者も把握されることはなく、ローカルな法の支配も受けることはないのだ。
そこで取引される物には、高価な美術品や貴金属、ワインなどががあり、私設美術館のような物まである。A国では合法だが中継地であるB国では違法な品を、合法であるC国に輸送する、といった中継地の役割を果たしていたりもする。そして、犯罪で得られた品も、時効が来るまで半永久的に保管できるのだ。
ルクセンブルクのフリーポートはローエンタール商会本部の冒険ギルドが管轄し、シンガポールなどオセアニア各国のフリーポートは佬園商会が管轄する。
そして、日本におけるローエンタール商会側の受け入れ窓口は調査探検事業部になっている。
会社の事業部としてはしょぼいが、世界ネットワークとしては、莫大な利益源となっているのだ。
「表向き、会社の収益に関与する率は少ない。けど、ギルドとしては最強と言ってもいい」
……うーん。
確かにギルド制は会社という枠を越えたネットワークを持っている。
が、その運用次第では、ヤバい組織にも変容するのだ。
「でも、熊さんはうちを馘になっても、佬園商会で働けるんじゃないですか」
「いやだよ、そんなの。俺はここのゆるい雰囲気が好きなんだよ。それに、あっち言ったらアリサ君の顔が見られなくなるじゃないか」
……いやね、なんとなくそんな気はしていたんだけどね。熊さんはアリサさんが好きなんだ。
「今日もタンターレンに言われたんだけど、そろそろ子孫を残さないか、てね。どうだろう、アリサ君、結婚してくれないか」
もちょもちょとサンドイッチをついばんでいたアリサさんが答えた。
「いやです。ローエンタール商会の社長にでもなってくれたら考えます」




