↑『今の心境』を書いた今の心境(この件は終了)
私は何と戦っているのか考えた。
信じない人がいたとして、私には何の問題もない。
けれど、気になる。
これはトラウマ的だと思う。
◇
私はどこかに実在しているだろう「あの話を信じない人」を気にしていない。どっちでもいい。
それなのに「分かってもらう努力」をしている
これは不思議なことだ。
矛盾している。
これを話すためには、私がまだ考えている途中の「“いま”とは存在していないのでは?」という話をする必要がある。まだまだ言語化途中だから、分かりにくいと思う。
これは脳科学の知見としての、人間が五感で感じたものを脳で知覚するとき、「極小のタイムラグが生じている」という話ではない。
私が言いたいのは、人間が『いま』と呼ぶ目の前の現在を、過去の記憶を使って解釈しているならば、人は『いま』を直接見ることができず、過去から視線を送ることでしか『いま』を見ることができないのでは?、ということだ。
それはつまり、人は後ろ歩きでしか未来に向かえないという事であり、私はこの様子を「人は過去から未来を見ている」と表現する。
そうなると、従来の「未来 現在 過去」という三元的解釈から、『現在』が消滅し、「未来(=従来の現在) 過去」という二元的解釈になる。
まぁ、「だから何なんだ」という話にはなるが、これを考え尽くせば、人間の心理がさらに紐解けるのではないか?、という話だ。
そして話をいきなり『あの話を信じない人』の方向に戻すが、私はそういった人を気にしてない一方で、「分かってもらう努力」をしている。
気にしないのに、努力する意味がわからない。
従来の考え方としては、この行動を「過去の経験からのトラウマ」と考えるだろうが⋯。
「人は過去からでしか、未来を見れない」とするなら、トラウマはきっかけがあって表出する異物ではなく、「その人の人生の一部」と考えるほうが、私はしっくりくる。
◇
私は「どうでもいい人」のために、「分かってもらう努力」をした。
この矛盾した行動は、頭の中に保存されている「自分を形作る過去(=本体)」と「未来」が衝突したことから起きている。
そうして「過去の私(本体)」と「未来の感覚的情報」が、「分かってもらいたい⇔どうでもいい」という反した出力をそのままに重なり合った結果、その歪みが矛盾した行動となって現れたのだと私は思う。
つまり、目の前に実在していない敵と闘う人間は、過去の敵と闘っている様子を、未来へ出力しているからこそ、矛盾しているように見える。
私も過去で、敵と戦っているのだと思う。




