言動による『無意識の投票』の話(怖め)
人間のあらゆる言動は、意図せず、何かへの投票になっていると今日は考えた。
これは『人の連続性(=行動の影響が世界に残り続けること)』にも関係しているが、そうして無意識に投票されて生まれた結果は、新しいコミュニティの発生やコミュニティ内での新しい技術の開拓へ繋がる。
例えば私が「林檎は美味しい」と言ったとする。この発言は、『林檎は美味しい』と思っている誰かの観念や『林檎は美味しい物』という概念に一票を投じている。
販売されているものを購入すると、その商品を作り出したデザイナーやプランナー、あるいは会社などの存続に一票の投票をしたことになる(『購入した』という行動にのみ焦点を当てている)。
この『投票』と似た考えとして「肯定」があるが、例え話にある私は「林檎が美味しい」と個人的な感想を述べているに過ぎず、その発言に林檎を肯定する意思を込めているわけではない。
しかし、“結果として”林檎を肯定していることになってしまう。
この状況を、私は『無意識の投票』と言っている。
「それがなんなのだ?」と思うかもしれないが、そうして集まった票は、その重さや達成規模にもよるが、ある対象への強い欲求や衝動、あるいは思想の種などへ変化し、世界・種・社会・家族などの多層コミュニティ内に新しい何かを作り出す。
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私が話しやすい人間の暗い所を例えに使う。
誰かに「死ね」と言った場合、それは「相手が死ぬことへ賛成する」という『無意識の投票』であり、そうした賛成票が多く集まれば、対象者は自死する可能性が高くなる。
「死ね」と言っているのに“無意識”とは変な話だが、『死ね』という言葉は、感情的になっているときに発されるもので、大抵は、対象が本当に自死、あるいは事故・事件・病気によって死ぬことを望んでいるわけではない。
しかし、自身のそうした発言により、「相手が死ぬことに賛成票を入れる」という、意図していない『無意識の投票』が発生してしまった。
それに加え、その発言は「“死ね”が飛び交う世界」が存続していくことへの賛成票でもあり、「自身が粗暴であり続ける」という内的な部分への賛成票でもある。
もし誰かがそうした自死への賛成票によって自決を行なった場合、その投票は自決という結果を迎え、結果を受け取った人々は、新たな話題を設立し、再び無意識の投票によって、広い範囲での可能性や技術、あるいは観念や概念の作成・改善を引き起こす。
・自決はありなのか。
・誰が追い詰めたのか。
・責任はどこにあるのか。
・世界はやはり弱肉強食。
・胸がスカッとしたよね。
・『死ね』という言葉はよくない。
・反出生主義はやっぱり正しい。
・自決は意思が弱いから。
・それがその人の運命だった。
こうした話題によって新たに始まる投票は、新たな何かを多層コミュニティにもたらす。
「責任は中傷をした者にある」と言えば、それは司法や正義、あるいは、頼りになる人間像などに賛成票を入れたことになる。
「世界はやっぱり弱肉強食だよ」と言えば、それは弱者や人間社会、あるいは老いたときの自身を否定する否定票になる。
「反出生主義は正しい」と言えば、それは幸せに生きている人間や世界をまだ知らない人間への否定票、あるいは幸せではない人間たちへの賛成票になる。
この話で大事なのは、「自分の意識や意図に関わらず、人は何かに投票している」という話だ。
このエッセイもまた、哲学やインターネットの存続に賛成票を入れている一方で、「綺麗なままで生きていたい」という考えに否定票を入れている。
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本当は、上の文章には続きがある。だがその文章は『人の死への賛成票』になるために削除した。
読んでくれる人を信用しているが、私が気まぐれで書いた言葉が、「『死にたい』と言う人間などを、崖下に強く蹴り落とすことに賛成する」という、私の意思とは真逆の投票になってしまうことを避けたい。
だから、削除した。
人が率先して自殺し、犯罪やあらゆる物事が正当化されてしまう危険な理屈は話すべきではない。
あなたは今日、何に投票した?




