レビューと飲食店のズレ、その結末。
この間の病院のレビューに続き、『レビュー』にまつわる話。
私は以前、新しくオープンした飲食店に行った。
レビューをみる限り|、かなり良いお店のようだった。
私はお店に入り、メニューを見た。
店員さんの接客は普通だ。
料理が運ばれてきた。
レビューで大絶賛されるほど、美味しくない。
何を食べてもニンニクの味しかしない。
私は日を改めて訪れることにした。
1週間後、私は再びその飲食店を訪ねた。
今回は、テイクアウトを頼む。
出来上がった商品を袋に包んでいる店長さんが、「この間も来てくれましたよね?あれ、味どうだったかなー?と思ってですね⋯」と聞いてきた。
私は「美味しかったですよ」と答えた。
その店長さんが、店の料理について何かを思っていて、私の発言がその料理を作った料理人への評価に直結する予感がしたから、当たり障りのない返事をした。
まだ1回しか食べていない私の評価が、料理人の人生を左右するなんて、そんな役回りは嫌だった。
私の返答を聞いた店長さんは、「そうですかー⋯。」と、ほんの少し首を傾げた。
前回に引き続き、お客さんは私だけだ。
テーブルには「レビューを書いてくれたら、デザート無料」と書かれた紙が置かれている。
持ち帰った料理は全てがニンニク味だった。
◇
そこのお店のレビューには、料理を絶賛するものが多かった。その絶賛の様子から、初めはサクラによるレビューかと思っていたのだが、アカウントに業者味がなく、「ここの美容院は行かないほうがいい!」といったレビューを書いている、普通の人たちによるものだった。
ここからは推測になるのだが、お店の料理を絶賛するレビューを書いた人間は、公平な眼差しや自身の物差しではなく、「レビューを書けばデザートが無料になる」というサービスに釣られて書いただけなんだと、私は思う。
そして、その人たちは「レビューを書いた」と言って、画面を店員さんに見せる事を想定して、肯定的なレビューを書いたのではないだろうか?
◇
店長さんは私に「味、どうでした?」と聞いてきた。
その意図は、「自分が試食する限り、味は悪いはずだ。しかし、対面やレビューでは絶賛されている。だが、お客さんがまったく来ない。私の見立てがおかしいのか⋯?」という違和感を払拭したかったのだと思う。
だから私が「美味しい」と言ったとき、店長さんの意識は目の前に座っている私ではなく、脳内に設問した【不味いはずなのにお客さんは絶賛する。絶賛されるわりにお客さんがこない。なぜ?】へと移り、お客さんが目の前にいる状態でつい首を傾けてしまった。
なぜなら、自身が考えているお店の問題点と、目の前にいるお客さんの評価にズレを感じたからだ。
お店としては、お店の知名度や評価を上げるために、「レビューでデザート無料」というサービスを行なっていたのだろう。だが、それがお店を潰す要因の1つになってしまったと私は思う。
そのお店に『絶賛レビュー』を書いたお客さんの大半は、おそらく無料のデザートを手にするためにレビューを書いている。
「レビューをしたい」という自発的な気持ちではないからこそ、サクラのような嘘くさいレビューばかりになる。
しかし、作り物の桜だとしても、その数が100を超えるならば、それを見た人たちに「近くで触れてみたい」という感情を抱かせる。
そうした感情はお店へのハードルを過剰に上げてしまい、訪れたお客さんに大きな落胆をさせてしまう。
そして残ったのは、「絶賛するレビュー」と「客のいない空間」という歪な状況である。
◇
そもそも、対価を払いレビューをしてもらうことはレビューサイトの規約で禁止されているはずだ。
お店としては悪気はないのだろうが、その規約を守らなかったことで、お店は短期間で過剰な評価を集めてしまい、その評価を見て訪れた客は落胆してしまう。
そして店長は、好評価と誰もいない空間の矛盾に苦心している。
誰にとっても良くない。
実際、これは私の推測だからまったく違うのかも知れない。単純に不味かっただけなのかもしれない。あるいは、見えていない事情があるのかもしれない。
けれど、『自身の認識と現実のズレは、首を傾げるような状況を作り出してしまう』というのは、大切な視点だと思う。
そのお店は潰れてしまったから。
【あとがき】
この話は、「ルールを守っていなかったお店が自業によって潰れる」という『ざまぁ』な話とも言えるし、デザートに釣られたお客さんが、公平ではないレビューを書いたことで、お店に間接的な危害を加えてしまったという『目の前で生きている相手への責任』の話とも読める。
しかし、これはそういった話ではない。
私がこのエッセイを執筆したのは、『良かれと思ってしたことが、事態をあらぬ方向へ進めてしまう』という人生のままならなさを書きたかったからだ。
店長さんはお店の経営を頑張っていたはずだ。
イベントに出店し、少しでもお店を知ってもらおうとしていたのを私は何度も目撃している。
お客さんは好奇心からデザートを食べようとしただけだ。訪れたお店で気に入りそうな料理を探しているのは悪いことじゃない。
けれど、そうしたそれぞれの思いを、「レビューでデザートが無料」というシステムが歪な形で結んでしまい、お店を閉店というあらぬ結果へと進めてしまった。
その様子は、幼いころに蝉を捕まえ、昆虫ゼリーを与えていた私の姿のようだった。
私は餌を与えたつもりになっているが、蝉はゼリー状のものが食べられず、空腹によって死んでしまった。
私の認識と現実のズレが蝉を殺したのだ。
お店もまた、お店の認識と現実のズレによって死んでしまった。
つまりこの話は、『自身の認識と現実のズレは、首を傾げるような状況を作り出してしまい、事態をあらぬ方向へ進めてしまうことがある』という話だ。




