「少年更生プログラム」と「私の姿」。少年院に関わる専門家の極めて致命的なズレ(9000文字)
・虞犯少年とは、いまは犯罪を起こしていないが、将来犯罪を起こす可能性のある少年のこと
私は以前も少年院の話を書いた。
今回は、以前より言語能力が伸びている私が、キラキラした加工は入れず、誤解されたくなくて省略した話、省略してできた穴を埋めるために繋いだエピソードなどを綺麗に掃除し、時系列に沿って何があったのかを書く。
私は15歳のときに少年院に入っていた。
少年院にいる少年は個別目標と呼ばれる「達成すべき自分の課題」が各自に与えられる。
私に与えられた目標は「感情のコントロールをする」というものだった。
私はその課題の意味が分からなかった。
私は感情のコントロールができるからだ。
これは自慢ではない。
専門家が、その専門性の深みで強力な認知バイアスにかかり、「ある少年の姿を捉えきれなかった」という記録だ。
◇
私は少年院に1年間入るはずだった。
しかし、約1ヶ月も期間を縮めて出院することができた。
これは通常であれば、あり得ないことだ。
それに加え。
私は少年院の中から地元まで2回も高校受験をしにいっている。
これも特例中の特例だ。
そしてさらに。
私が少年院を出るときには、少年院の教官が「お前、絶対に大丈夫だから(涙)」と号泣している。
これも異常な事態だ。
なぜなら、少年院の教官は少年に感情移入をしてはいけないからだ。
私は特別、何もしていない。
ただ、少年院の中で普通に過ごしていただけだ。
◇
私は感情のコントロールができない虞犯少年として少年院に入った。
入って10日くらいは悲しんでいたと思う。
けれど、「どうせ慣れるなら、早く慣れたほうがいい。1日でも早く外に出よう。」と考え、渡された冊子を読み、大人たちが何を求めているのかを考えるようになった。
少年院に入った新人は、個室部屋に収容され、まずは「少年院のルール」と「行動訓練」を覚えなければならない。
少年院のルールは30行くらいあり、簡単に説明すると、「私語をしない」「文通をしない」「体を傷つけない」といった内容だった。
行動訓練は、集団で体育館にて行われ、気をつけ、休め、右まわれ右、縦列、横列といった少年院での体の動かし方を覚える。
私はこれらを組み合わせて、「早く出るために利用しよう」と考えた。
少年院のルールには、「少年は正当な理由なく、自分が座っている席を離れてはいけない。」というルールがある。
そして行動訓練には、かなり厳しい基準があり、一朝一夕で、できるものではなかった。
だから私は、個室部屋の中で「ルールが書かれた冊子を手に席を立ち、一生懸命に行動訓練をする少年」を演じることにした。
なぜなら、部屋の前をたまに通る少年院の教官たちは、少年の更生する意欲や意思に喜びを感じている節があった。
席を立つのは悪いことだが、行動訓練をしていることと、更生の意欲が見えることは良いことだ。
つまり、怒りたくても更生意欲が見えるために怒れず、仮に怒られたとしても「少年院に頑張って適応しようとする少年」の姿は印象に残る。
私には良いことしかなかった。
その行動をし始めて2日目あたりに、部屋の前を通った教官が席を立っている私を見た。
私もその教官を黒眼の端で捉えていた。
なにも言われなかった。
後日。体育館で行動訓練をしていると、部屋の前を通り過ぎた教官ではない教官から、「〇〇。部屋で練習してるみたいだけど、そんなものかー?」と言われた。
私の作戦は成功だった。
あの行動を目撃した教官が、私のその姿を他の教官に共有した事実がある以上、その行動は「印象的で、正解だった」ということが分かった。
そして、教官は自分が見たものを他の職員に共有する義務や性質があることも分かった。
それから1ヶ月後。
私は新人の期間を終え、集団生活をするようになった。
初めて、凶悪な少年たちが集団で生活をする「集団寮」に足を踏み入れたとき、寮長をしていた少年から「なにして入ってきた?」と聞かれた。
私は迷って、「暴行です。」と答えた。
当時は、虞犯の意味や少年院に入った理由が分からなかった。直近で、不良をボコボコにしたことが少年院に入るきっかけになった、と思っていた。
それを聞いた寮長は、「うわ〜こえー。俺、バイクパクっただけだからな。」と言い、手に持ったボールペンを指で回した。
その後ろでは、新入りである私を値踏みするかのように、チラ見をして去っていく少年たちがいる。
私は「そうなんですかー。」と答え、普通に過ごすことにした。
集団寮に入って大きく変わったことと言えば、毎日教官に提出する日記に、「更生を目指す、不器用で少し抜けた少年」の心境を演じて書き、それを提出するようにしたくらいだ。
集団生活に慣れ始め、2ヶ月が経ったとき、私は知らない間に少年たちのリーダーとなっていた。
こればっかりは説明のしようがない。
そうだから、そうしか言えない。
気づいたら私だけ、「〇〇さん」と呼ばれる習慣が定着しており、少年たちが私に異常な親しみを感じているようだった。
少年たちからハートマークが出ていたと言っても過言ではない。
私が初めて集団寮に来たときに値踏みをしていた少年たちは「〇〇さんの顔、怖すぎて目が合わせられなかった」と言った。
続けて、「話してみるといい人で良かった〜」と言っていた。
初対面のはずの超問題児は、「〇〇くんのようなお兄ちゃんが欲しかった」と言って抱きついてきた。
そして「〇〇くんに迷惑かけるなよ」と他の少年たちに釘を刺した。
同級生を滅多刺しにした少年も、「お前。〇〇さんに迷惑かけるとか見損なったぞ」と庇ってくれる。
少年たちからいじめられてる性犯罪者を見て、私が「いじめは良くない。自分のためにならない。」と言えば、「〇〇さんがそういうならそうかもしれない」と、いじめが終わる。
そして事件は起きた。
ある日の部屋替えで、一切問題を起こしていない優等生の私は、教官から「4室の1」という特別な場所を指定された。
「4室」と呼ばれる部屋は教官室に近く、凶暴な問題児だけが集められる特殊な部屋だ。
とくに「4室の1」という場所は、常に教官の視線が届く席であり、教官にクワで襲いかかるような少年たち“のみ”が座る席だ。
教官が私を4室の1に指定したとき、周囲にいた少年たちからは「え!?〇〇さんが4の1!?」「え、なんで!?」と、どよめきが起こった。
それぐらい、あり得ないことが起きたのだ。
優等生である私がその席に座るということは、すぐにトラブルを起こす、超問題児の行動を教官は見張れなくなるということでもある。
そのリスクを負ってでも、「私を見張りたい」という教官たちの強い意志に気迫を感じた。
4室の1に移動した私の肩を、殺人未遂犯が叩き、「こういうこともありますよ。〇〇さん」と言った。
後ろでは、私と同じタイミングで集団寮に移ってきた同期が「何かの間違いッスよ。〇〇さんwフフw」と少し笑ってる。
席に座り、机から本を取り出す私は、黒眼の端で教官室を見る。
3畳ほどの部屋で、5人の大柄な教官が話し合っている。
その内の1人が横目でこちらを見ている気がした。
私は本を開き、何が起きているのかを考えた。
私は教官たちから「感情のコントロールができない少年」と思われている。
けれど、何のトラブルも起こさない様子が教官に疑念を募らせたのだと思う。
少年院では2週間ごとに部屋替えがある。
これは、苦手なタイプの少年や環境で、その少年がどう過ごすのかを試す目的がある、と教官が言っていた。
私もいろいろなタイプの少年と過ごしたが、慕われていたので何のトラブルもなかった。
教官たちは「私が少年たちから慕われている」という情報を知らない様子だった。
――いや、仮に知っていたとしても、凶悪な少年が誰かのために、自身の感情を制御するとは思えなかったのかもしれない。
ましてや、少年たちが私の何かに触れて、前向きになっているだなんて発想すらできなかっただろう。
だから、圧をかけ続けてもまったく問題を起こさない私を、教官たちは「何かがおかしい少年」と感じたのだろう。
とは言え、私がすることは、いつもみたいに普通に過ごすことだった。
ここでの「頑張り」は、かえって教官の疑念を強める。
いつもの様子ならば何の問題もないが、この「いつも」から少しでもはみ出た行動をすると、教官に検知される恐れがある。
だから私は普通であることに気を配った。
4室には超問題児が集められている。
この問題児たちは、教官から送られてきた私への刺客だ。
しかし私は、少年全般から慕われていたので、「あいつの正体を暴く」という教官の思惑通りにはならなかった。
なぜなら、彼らもすでに私の味方だからだ。
2週間後。
私は優等生が集められる部屋へと無事に移動した。
そして相変わらず日記では、更生を目指す不器用で少し抜けた少年を演じていた。
「嘘も何百回も言えば事実になる」という話を、領土問題を語るネット民たちから学んでいたからだ。
そして少年院に夏休みがきた。
少年院の夏休みは、少年たちに宿題が課せられる。
作文だったり、絵だったり、10代の子供にさせるような宿題の真似事だ。
私はテレビで見させられた「タコマ橋とトラス構造」の話を題材に選び、ダンボールと三角形の魅力を交えた作文を書いて提出した。
提出して1時間くらいすると、私はある教官から呼び出された。
教官室の分厚い扉をノックし、「失礼します。なんでしょうか?」と聞くと、教官は「入れ」と言い、扉に腕を伸ばした。
――ガチャン。
教官は扉を閉めてしまった。
初めて入る教官室の中をキョロキョロ見回す。
役目を果たし、くたびれたレースのカーテンがだらしなく窓を縁取っている。
教官は私を観察するような目で見たあと、「〇〇。お前最近、大変なことはないか?」と口を開いた。
私はその教官が芸術や勉強が好きなことを日々の仕草から感じとっていた。
だから、タコマ橋とトラス構造、そしてダンボールと三角形の魅力を交えた作文を提出した。
私は「大変なことですか?同じ部屋の〇〇が尻をもんできたり、ちんこを見せたりしてきます。」と答えた。
そして机に置かれた紙を黒眼の端でとらえた。
私の作文だ。
紙のズレ具合いから、教官は作文を読んだようだ。
教官は相変わらず、不思議な生き物を観察するようは目で、私を見つめている。
教官は不意に「うーん⋯⋯〇〇は本当の意味での保護やからなぁ。」と呟いた。
私はその言葉が重要な事であることをすぐに感じ取った。
教官が、少年にそういった情報や事情を話すことはまったく見たことがなかったからだ。
教官は続けて、「まぁ、なにかあったらすぐに言いに来なさいよ」と言い、「戻っていいぞ」と扉を開けた。
その1ヶ月後。
また事件は起きる。
この事件は、教官から向けられた疑念を完全に払拭してくれたラッキーな出来事だった。
少年院では1年に数回イベントがある。
事件が起きたのは、「芝生に座ってホットドッグを食べる」という、よく分からないイベントの後だ。
少年院には、とりわけ場の空気に飲まれやすい少年がいる。
事件を起こしたのは、そんな少年の1人。
呼び名は「食いしん坊」とする。
芝生の上でホットドッグを食べていると、食いしん坊は早食いをしたのか、すぐにホットドッグをおかわりした。
その様子を見た少年たちは、「食いしん坊、食うの早すぎだろ〜」と声をあげた。
それを聞いた食いしん坊は嬉しそうな顔で、おかわりしたホットドッグを急いで食べ、再度おかわりした。
そして食いしん坊は、他の少年の反応が欲しくてそれを何度も繰り返した。
イベントが終わり、寮に移動するための整列をしていると、食いしん坊は吐きそうな顔をしていた。
ホットドッグ9個は完全に食べ過ぎである。
教官は食いしん坊を止めなかった。
自分で自制してくれることを望んだからだ。
寮に着き、再度点呼をとるための整列をしていると、食いしん坊は大量のゲロを飛ばした。
時が止まった。
教官も想定外。
少年も想定外。
教官は1人しかおらず、ゲロの片付けができない。
片付けている最中に少年から襲撃される可能性があるからだ。
たくさんいる少年たちは、少年院のルールに縛られ、勝手な行動がとれない。
ほんの2秒しか経っていないのに、あたりに臭いが立ち上がる。
私は――これはチャンスだ――と考えた。
その教官は、教官の中でも幹部クラスであり、私が過ごしている寮の最高責任者でもあった。
疑念を払拭する最高のイベントだった。
だから私は、「勝手な行動をとらない」といったルールを破り、すぐさま雑巾とバケツを取りに行った。
私は止まった時の中で、ゲロを片付け始めた。
すると教官は、両手でメガホンの形を作り、「整列はいいから、部屋に戻りなさーい。部屋に戻ったあと、部屋毎に点呼をとりまーす。」と言った。
教官は「偉いな〇〇」と言い残し、寮の奥へと進んでいった。
一通り片付けが終わったあと、食いしん坊が近づいてきた。
食いしん坊は、「〇〇くんありがとう。片付けてくれて嬉しかった。」とお礼を言ってきた。
私は「いや、全然いいよ」と答えた。
嬉しそうな食いしん坊の口元から、シンナーで溶けた歯と虫歯だらけの真っ黒な歯がみえる。
そんな嬉しそうな食いしん坊の後ろから、ある少年が「お前、ゲロ吐いて臭いんだから口ゆすいでこいよ。〇〇さん片付けてくれたのに失礼だろ。」と言った。
食いしん坊は、「それもそうか。俺喉渇いたからお茶飲むついでに口もゆすぐわ」と言ってコップを取りに行った。
私はゲロを処理して部屋に戻った。
その日の日記には、「嫌いな母親と仲直りするためにはどうすればいいんだろう?」といった内容を長文で書いた。
いつも以上に、漢字の書き間違いを増やして。
通常の少年であるならば、自分が良いことをしたらアピールをする。
しかし私の場合は「いつも」をはみ出てしまうため、疑念の種にしかならない。
だから、何もなかったかのように次の日以降も過ごした。
この事件から、私に疑念の目が向けられることはなくなった。
疑っていた人間が「普通のいい人間」だったとき、人は罪悪感を感じて優遇してしまう。
私を疑う者は完全に消え去った。
それから数ヶ月後。
私はもうすぐ出院する少年たちが集められている「最終寮」で過ごしていた。
最終寮に移動する段階が近づいてくる頃には、私の吐き続けた毒は、私と接点を持った教官たちの身体の中で、違和感を持たれることなく共生していた。
ある日。
大幹部である教官が私のもとに尋ねてきた。
そして「〇〇、お前高校受験をしたいんか?」と聞いてきた。
私は「はい」と答えた。
大幹部のその問いかけは、私の毒が少年院中に回ったことを知らせる通知でしかなかった。
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私が少年院に入ったとき、1年後の退院予定日を考えてみると、その前後に受験のシーズンが重なっていた。
それをうまく利用すれば、予定より早くに少年院を退院することができる、と私は考えた。
その計画の実現のために、私は更生を目指す、不器用で少し抜けた少年の日記を何ヶ月も提出し続けた。
そして自然な運びで、「高校受験も視野に入れてる」という切望の告白を演じた。
私が毎日提出していた毒が込められた日記は、少年院の中で「私の更生態度」を示す強力な証拠となり、私の嘘が教官たちの真実になっていた。
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私の返事を聞いた大幹部は「少年院にいる人間を動かすってのは大変な手続きで、いろんな大人が〇〇のために頑張るんだぞ。」と、私の肩に手を起きながら言ってきた。
そして約1ヶ月後。
大幹部は忙しくも嬉しそうに書類を持ってきた。
私は少年院から高校受験を2回することになった。
受かるつもりはなかったが、受かれば教官たちが喜ぶ。
だから、県内でもっとも偏差値の低い高校を2つ選んだ。
私の学力を考えると余裕で受かる。
結果は不合格だ。
屈強な男を2人従えている受験生は明らかに目立つ。
そして受験する高校には「少年院の少年が受験する」という連絡が行っているはずだ。
受かるわけがなかった。
――とは言え、受験に落ちたことは私にとって好都合だった。
少年院で「不合格だった」と聞いた日から、私は提出する日記に「〇月〇日に最後の高校受験ができる。でも出院が間に合わない。」といった趣旨の内容を繰り返し書いた。
そうすると、退院予定日の1ヶ月より前に「〇〇。退院準備に入るから、個室に移動するぞ。」と教官から告げられた。
私は戸惑う表情を用意しながら、「分かりました」と答えた。
個室に案内される直前、最終寮でお世話になっていた教官は教官室の椅子に座った。
私は近くの椅子に座るように指示された。
教官は私の顔を見て、「お前なぁ⋯⋯。本当に頑張ったな。」と言った。
教官の目は潤んでいる。
教官は続けざまに、「お前、絶っっっっ対に大丈夫だから。安心して社会で生活しろよ。親に負けるなよ!」と言った。
教官は「大丈夫」という言葉から涙を流し始め、後半の言葉は何を言っているのか分からず、私は雰囲気で聞いていた。
教官を見つめる私。
そんなに泣く理由が分からなかった。
私は――始めから大丈夫な人間だったからだ。
私はそんな疑問と思いを持ったまま、少年院を退院した。
退院する直前に作成した作文には、最後の置き土産も仕込んでおいた。
それは、「飲酒運転を誤魔化すために水を飲んだ」という人間を非難する『正義の心』だ。
教官たちが、私を私のままで想えるように、私なりの気遣いだった。
◇
これは「少年院更生プログラム」の敗北の記録である。
私は感情のコントロールができるのに、「できない少年」という誤った判断をされた。
この時点で、更生プログラムは私に敗北した。
「感情のコントロールができない少年」というラベルは、少年院に入る前に入れられていた「少年鑑別所」という場所で付けられたものだ。
私の気質や家庭状況を分析した精神科医や家庭裁判所の調査官は深く考えず、「こういった少年はこうだろう」といったクイズを行ったようだ。
とりわけ精神科医は、私の一人称が「 私 」に変化していることに興味を持っていた。
私が「 『 俺 』と言うと、なんだか乱暴な気がして好きじゃないです。 」と言うと、強い関心を持っていた。
私は鑑別所に入るより前に、BOOKOFFの100円コーナーで、精神疾患の人が書いた本や精神科医が書いた専門書を読みあさっていたから、その経験が鑑別所や少年院で役に立った。
これは私見だが、専門家は「自分の知っている知識内で物事を解釈したい」という欲求が強い傾向がある。
精神科医なら、「鑑別所に入って、突然の環境変化に耐えきれない上に、自分の暴力性を認識したくないから一人称が変わっている」といった筋書き。
少年院の教官なら、「頼りなかった少年が自立心を養い、協調性を身につけて成長していく」という物語。
それらを用意し、その筋書きや物語からはみ出さないかぎり、彼らの眼に私の姿は映らない。
自分たちの想定を越える人間がいることを、専門家は専門家ゆえに知らない。
だから、私の鑑別に失敗している。
まさに、更生プログラムの構造的の敗北である。
【あとがき】
私は少年院にいる教官たちが嫌いなわけではない。
むしろ、初めて遭遇した『大人』だった。
いまでも、教官たちの仕草は私の心にずっと残ってる。
――それにしても、鑑別所の精神科医や調査官、それと少年院の教官は「人を観察している自分の顔」に気をつけるべきだ。
「私はあなたを観察しています」といった顔で観察していると、私みたいな人間から簡単に誘導されてしまう。
「観察する」という行為は、自身に上の立場であることを錯覚させるが、それは完全な油断である。
専門家として失格だ。
そして少年院の教官たちは、私の姿に違和感を持ったとき、生活態度ではなく、「何に興味をもっているのか?」という点に注目するべきだった。
私は少年院で、自宅の本棚から差し入れてもらった「トリイ・ヘイデン」のノンフィクションシリーズを大量に読んでいた。
トリイ・ヘイデンは児童問題に取り組むスペシャリストだ。彼女の本には、傷ついた児童がどんな変化をしていくかが書いてある。
つまり私は、児童問題に関わる大人が何を求めているのかを少年院の中で学び続けていたことになる。
かなりの分厚さとその内容から、明らかに少年院に入る少年が好む本ではない。
そこに注目することができていれば、「感情のコントロールができない少年」が“できている”という異様な状態を紐解く入り口が作れたはずだ。
少年院から出た私はBOOKOFFでトリイを売った。
お金が無かったからだ。
これを読むあなたが暇なとき、BOOKOFFのような古本屋で「トリイ・ヘイデン(単行本)」を探してみてよ。
見つけて。
トリイの表紙を開いたとき。
あなたは15歳のころの私と全く重なる。
学校から自由な夜へ。
むせるような空気も。
誰かに会えないか、と孤独に歩いた路地も。
その本には私の孤独がつまっている。
あなたが手に取るトリイは。
私の孤独を癒した「オリジナル」かもしれない。




