頭がいい特殊な子供との接し方のヒント⋯⋯?
私は頭がいい。
正直、こんなことは言いたくないのだが、これから話す内容の信憑性を高めるために、そう名乗るしか方法が分からない。
自分を頭がいいだなんて、すごく。
虫唾が走る。
「頭がいい」と言うと、文脈を無視して粗探しをする人間が出てくる。
けれど、変な経験を持った大人がこうして話をしないと、特殊な子供との接し方が分からない大人は困惑する日々を送り、子供の孤独が増えるばかりだ。
だから私は、今回「頭がいい」と名乗る。
◇
私は幼少期から頭が良かった。――といっても、勉強ができるタイプではなく、観察力やメタ認知能力が高い「野性的知能」に特化したタイプだった。
勉強ができるタイプならば、すぐに周りが気がつくわけだが私のようなタイプは普通の人間に見える。
だから問題なのだ。
私は小学2年生前後で、「自分が怖い」と怯えていた。なぜなら、自分の誘導した通りに動く同級生の姿とそれができる自分を気味悪がったからだ。
小学から中学にかけては、自分でもよく分からないことが頻繁に起きた。
それは、練習していない物事の上達や、取り憑かれたように絵を描き続けることなどで、「自身の体が自分のものではない」と思ってしまうような、やや不気味な現象だ。
周りの大人はそれに気づかない。
そんな子供を見たことがないからだ。
◇
私の話はこれくらいにして、「そんな特殊な子供への接し方」について話をするが、そんな難しい知識はいらない。
人間関係の基本中の基本をするだけだ。
「先入観を持たずに子供を見る」
ただ、それだけだ。
子供が天才だったら、誰だって嬉しいと思う。
けれど、子供は自身の体のコントロールが効かない現象に困惑して1人ぼっちになっているかもしれない。
その状況下で、親がその様子を無視して「天才(=最上級の褒め言葉)」と喜んでしまうと、子供の認識にズレが起きてしまう。
人間は自分の認識とは「逆のこと」を言われると、強いストレスがかかる。
頑張っているのに「頑張っていない」。
辛いはずなのに「それ、大したことない」。
自分を嫌う人間から「愛してる」と言われる。
このような逆の言葉たちは、精神疾患の種と言っても過言ではないと私は思っている。
続けられると、どんな大人でも耐えきれない。
では、子供ならどうだろう?
間違いなく、耐えきれない。
だから両親は、子供の様子を観察し、自身の言葉で子供に語りかける必要がある。
それと。
脅すわけではないのだが、そのような子供と接するなら、「中途半端な対応はずっと覚えられている」と心得ていた方がいいと思う。
私は周りの人間がしていた言動をかなり覚えている。大人になったいま、その言動を再解釈し、私の周りにいた人間の気質を犯罪心理分析官のようにプロファイルしている。
乱れた感情態度
取り繕った表情
気分で自分に接する様子
不必要な合理を正当化する顔
どれも見られていると思っていた方がいいと思う。
知らない間にその言動を続けていると、のちに「怨み」として爆発する危険性があるからだ。
これは一見、かなりキツイことを言っている。
しかし、子供の気質によっては、通常の子供ならば絶対に許してくれない言動を許してくれる可能性がある。
それを考慮にいれると、極端な反応は無く、プラマイゼロに落ち着くと私は思う。
結局。
特徴な子供を育てるときに大切なことは、人間関係と同じことだと思う。
・先入観を持たずに相手を見る←最重要
・謝罪や感謝を伝える
・馬鹿にしたり、中傷をしない
・相手の可能性を否定しない
・感情を相手にぶつけない
・自分の考えを相手に強要しない
・相手の気質を認める
・相手を見下さない
ただこれだけだと、私は思う。
「いやいや⋯⋯多すぎるよ〜」と言う人もいるかもしれない。
確かに上の言葉たちは、個数で言えば多いかもしれない。しかし、最重要はたったの「1個」だ。全体では「8個」しかない。
人間関係の本を何十冊も熟読するよりも、よっぽど軽い持ち物だ。そして限りなく正解に近い言葉たちだ。
いまこの状況で実践するならば、
・自分の考えを相手に強要しない
という考えが適切であり、それは大切なことでもあるから、私はこのエッセイで語った内容をあなたにまったく強要しない。
好きにすればいいよ。
そう言われると、なんだか「突き放された」「冷たい」と思うかもしれない。けれど、私はあなたが人生から得てきた教訓や考え方を信頼している。
このエッセイは私なりの考えであるから、あなたが私のエッセイをこうして読んでくれているように、私もあなたの考えを尊重しなければ整合性がとれない。
いいと思うところだけ、取り入れたらいいと思う。
【あとがき】
それと「過去は振り返らない」「家族だから」といったテンプレートな言葉は、私のような特殊な子供には絶対に使わないほうがいいと思う。
どこかで拾ってきたような、それ自体が説得力を持ってしまっているテンプレート言葉は、不利な盤面を無理やりひっくり返してしまう強力な言葉だ。
私はそういった言葉が使われた状況をずっと頭の中で覚えているから、後に成長したときにプロファイルを行い、両親やその言葉を使った大人の性質を言語化している。
そうして言語化されたものは、両親や人のアイデンティティーを破壊する刃になっている。
1度、それを誤って母に使ったことがある。
たった一言。
たった一言で、気が強くてプライドが高い母は泣きじゃくった。自分の妄想に、強烈なヒビを入れられたからだ。
「見たくないもの」を自身の子供から突きつけられる人生は、常に命を狙われているようなものだ。
親は子供より、先に老いる。
子供はそれをずっと待っているかもしれない。
そんな人生は幸せではないと思う。
だから、テンプレート言葉は特殊な子供に使わないほうがいい。
もちろん強要はしないよ。
⋯⋯あと、もしそうなってしまったときのカウンターとして、「その記憶は一人称視点?」という言葉も書いておく。
この言葉の意味は分からなくても、その子供が私のように特殊な性質を持っているなら、多少なりとも動きを止めることができると思う。




