病院のレビューと、コミュニケーションの不全
追記
序盤にあるレビューの内容が、要約であることを追記しました。
私は最近、ある病院にレビューを書いた。
内容は、「医師は非常に良い。しかし、医師と看護師の連携が取れておらず、医師の想定していたものとは違った状況に対し、看護師は自身の余裕のなさから医師への確認を怠り、“業務をこなす”という動きをしてしまった。したがって、看護師は、状況の変化と患者の容体を考慮しながら、きちんと医師へ確認をしたほうがいいのでは?と感じる。」といったものだ。
(↑の内容はその要約で、実際の言葉は一般的な表現を使っている。)
◇
私は普段、レビューを書かない。腹いせに書くこともないし、マメなタイプでもないからレビューをしてあの日の思い出を残そうとも思わない。
私がレビューを書くときは、その病院がいい病院だと感じた、かつ病院の致命的なリスクを見つけたときのみだ。
今回の場合、医師の指示があり、看護師は動いた。しかし、そこには医師の想定を超えた現実があり、看護師の独断で判断できる範囲を優に超える事態が起きた。
だが、その看護師は余裕がなく、「とにかく業務をこなす」という言動を繰り返し、医師への確認を怠ったばかりか、医療の知見を持たない患者に「どうします?」と治療方針の決定を委ねた。
私と身内は、必死になっている看護師を見て「それでいいです。」と気遣って答えるしかなかった。
これは明らかな問題である。
なぜなら、患者は自身の病状について、医師や看護師のように医学的知見を持たないという前提がありながらも、状況の変化による『確認の必要性』という義務を看護師は放棄し、分からない患者自身に方針を決めさせるという、「小さな怠慢、大きなリスク」であるからだ。
たった1つの『確認』という義務を看護師の都合でスキップしたために、医療を受けているはずの患者の命は、自身で管理することになり、単純な病気のリスクだけではなく、医療施設による過失の結果、命を失う可能性がでてくる。
確実に割が合わない。
◇
私はそういった判断から、病院にレビューをした。第三者による視点は、『病院』という閉鎖的な環境にとっても重要なはずだ、とも思っていた。
しかし、病院側の返答は「私達の言い方に改善の余地があると考えています。院内の看護師は独自判断で動くことはありません。」といったもので、私の「病院を運営するシステムに問題がある」というレビューの意図が分かっていないようだった。
私はレビューではっきりと、「医師が想定していた状況ではなかった場合、看護師は医師に確認するべきである。」と述べている。
それについて、「私達の言い方に改善の余地があった」と返答してしまうのは、まったく話が噛み合っておらず、私のレビューにある“医師と看護師のコミュニケーションの不通”を証明するような「コミュニケーション不全がこの病院にはあります」と自ら言っているようなものだ。
それに加えて、「院内の看護師は独自判断で動くことはありません。」と言ってしまったのも明確な悪手だ。
レビューは不特定の人間が見る。
もし私が詳細な日時や看護師の言動、その日の院内での流れを開示したらどうするつもりなのだろうか。
確実な体験がある人間、かつ具体的な詳細を伏せてくれているレビューに対して、詳細を確認せず、「院内の看護師は独自判断で動くことはありません。」といった反論をしてしまうと、それは相手の名誉を「嘘つき」と汚しているのと同じである。
それはまるで、ナイフを持っている人間に「刺してみろよ」と言っているようなものであり、リスクしかない。
それにその言葉は、「私は事態を把握できていない」と言ってしまったのと同じである。
◇
私はそのレビューを削除した。
病院の評価が落ちてしまうからだ。
私のレビューに対して的外れな返信をしている流れは、文章を読める人間が見れば、明らかな不穏を感じさせるものであり、私が指摘している「医師と看護師のコミュニケーション不全」の元凶が、医師そのものであると感じさせてしまう。
それは「いい病院がずっといい病院として続くように」という私の望みとは正反対な結果を生み出す。
非常につまらない結果になって残念だ。
今後は、違うことに時間を使いたいから、善意の指摘は止めようと思う。
具体的な話を伏せつつ、病院に伝わるようなレビューを作成する数時間がもったいない。
それに、よくよく考えてみると、その成りもまた、その人たちの「選択の結晶」であると考えると、私が口出すことではないのかも知れない。
【あとがき】
お世話になった病院が、他のところのレビューでその病院と特定できる内容、かつ明確な誹謗中傷(〇〇に脅されたといった内容)を受けていたから、それを伝えるべきか悩んでいたけど、それも別にいいかな。
善意を行うと、「一般的な行動ではない」と判断されるから、一時は変人扱いされることに耐える労力が必要で、少し、あるいは著しく不快な体験をすることになるから。




