イリヤの話の続き、「おまえは知的障害者じゃない」と批判されていた知的障害の人。
私は以前、YouTubeで知的障害者の動画を見た事がある。その人はかなり論理的な話し方をしていた。
一般的ではない。
その動画のコメント欄を開いてみると、そこに違和感を感じた人たちが「嘘ついてるだろ。」「おまえは知的障害じゃない」といったコメントを投稿していた。
動画を見れば、その人があらかじめ用意した内容を読み上げていることは、すぐに分かる。
――が、そこに論理的な協力者の存在を感じることは非一般的であるため、当事者の世界を体験している人間でなければ分からないだろう。
◇
動画の投稿主は「私は知的障害です。」と言うが、それはまず間違いないと思う。ただ、その話す内容が、一般的ではない論理力によって構成されているため、強い違和感が生じる。
私は投稿主の身近に、医師のような厳しい鍛錬を積んだ者が近くにいると予測した。
だから、投稿されている動画を全て見た。
すると、パニックになった投稿主をなだめる、非常に落ち着いた、技術に確かな自信を持つ男性の声が聞こえてきた。
非常に珍しいタイプの声だ。
鍛錬を積んだ精神科医が、身内にその技術を使っているような印象がある。
おそらく論理的なカンペを作成しているのは、その男性だ。
彼女が話したいことをカウンセリングのように引き出し、その内容が支離滅裂にならないように手伝っているのだろう。
◇
私の考えは憶測に過ぎない。
この話で言いたかったことは「自分の想像を超えたものや関係は存在している」ということだ。
私が付き合っている彼女もそうだが、ある種の特殊な仕組みを持っている知的障害者は、論理的(?)な変人と馬が合うことがある。
これは私の経験則だが、私の話は「人が食べ物に見える話」を例に、人の認識を揺さぶるものが多く、一般的な人は怖いと思うだろう。
現に、ここ「なろう」でも、私が想定と違ったことから立ち去った人がいるのを感じている(批判しているわけではない。それでいいと思ってる)。
しかし、彼女はそういった私の話を聞いても「ふーん。そうなんだ!」といった感じで、まったく意に介さない。
私は彼女のその態度に安らぎを感じる。
だから、私に似た変人が、何らかの気質を持った知的障害者に安らぎを感じ、その人生をサポートしようとしていても、まったく不思議ではない。
つまり、この話を読んで知的好奇心が満たされたり、何らかの知見を得たとして、それは想像していなかったからこそ、知識が拡張されたのではないかと思う。
それは、「想像を超えたものがあった」ということに他ならないのではないだろうか。




