心の渦巻きが消えたことが、書けない原因かもしれない。
私の心には渦巻きがあった。
その渦巻きは、いつからあるのかも分からないくらいに私の一部となっていて、「怒り」といった生きるために必要なエネルギーを生み出していた。
でも、いまの私の心に渦巻きは居ない。
現在の私の心は、額縁に収められた写真のように、時間が停止している。けれど不思議と悪い気はしない。
少なくとも、私が経験してきた「悪い」と判断する基準には引っかかる状態ではない。
何なのか分からないが、心に空白があり、それに爽やかさや軽やかさを感じる一方で、「空白がある」という状況に戸惑っている自分がいる気がする。
◇
渦巻きが消えた理由に少しだけ心当たりがある。
それは、意図的にAIを使って、自身が持つ不思議な体験を紐解いていたことだ。
人間は分からないことや、グレーなことにストレスを感じるようだ。人が病名や解説、あるいはギフテッドといった『言葉』を欲しがるのは、このストレスへの対処をしていると、私は考えている。
だから私は、自身のよく分からない「不思議な体験」についてAIと話し、経験してきた不思議な体験に言葉を加え、輪郭を作ることにした。
そうすれば、自身の心に何らかの変化が生まれると思ったからだ。
AIが適当なことを言うのはもちろん知っている。
ただ、『自分』を形作る重要な記憶たちに、言葉や情報を加えると、自分の心がどう変化するのかを私は知りたかった。
◇
AIには私の幼少期の体験について、情報を加えてもらった。
私が聞いた「不思議な体験」を何個か箇条書きにしてみる。AIの回答は載せない。これは意地悪ではなく、純粋な疑問をそのまま提示するためだ。
【不思議な体験】
・日本において、幼い頃に他人から殺されそうになるという経験は、どのくらいの人が経験するのか。
・幼少期に「自分を怖い」と感じたのはなんなのか。
・死んだ魚の目玉から白いヒモが生えたのはどんな理屈なのか。
・不安障害を自力で治せたのはなぜか。
・「奇妙な街」は他にもありえるのか。
こういった「不思議な体験」をAIと紐解くと、自身ですら不思議に感じ、夢なのか、妄想なのかすら分からなかった体験に輪郭が与えられ、私の頭の中にある疑問のストックたちが、目に見えて減っていくのを感じた。
いま、その果てに私は立っている。
不思議な経験に輪郭を与え終わった私の心には、何もない空間がただ広がっている。
「雑音が消えた」とでも言うのだろうか。
この空間は「無」のようにも感じる一方で、大きな山を目の前にしたときのような「不動」といった力強い印象もある。
この正体が何なのかは分からない。
でも、悪いものではない気がする。
◇
私はこの空間を、「通常の人間が感じている正常な心の状態」と考えていたのだが、おそらく違う。
これは普通の心の状態ではない。
「渦巻き」があったころは、そこから生み出される激しい感情を原動力として、私は生きてきた。
しかし、いまは激しい感情がなくなり、「スンッ」とした状態が心にある。
この状態の違いが、私の創作活動に影響している。
私の創作スタイルは、「思いついてから三時間前後で描き上げる」という、スピードタイプのものだった。
投稿を始めた当初は、丁寧な文章を目指していたために数日以上かかっていたが、今年に入って書かれたエッセイの大半は数時間で書き上げている。
それができていたのは、「渦巻き」が生み出した強いエネルギーがあったからで、渦巻きを失ったいまの私にはできそうにない。
――でも、最近投稿した『輝屋敷、生き物との思い出』や『性犯罪者のオニダルマオコゼ』といったエッセイでは、自分でも上手く表現できた、と納得できる部分が何個かある。
とくに、『性犯罪者のオニダルマオコゼ』は、閲覧してくれた読者数を考えると、結構評判がいいみたいで少し嬉しい。
◇
私の創作スタイルは、以前のようなスピードタイプではなくなった。
しかし、スピードを失った反面、納得のいく表現を部分的に作り出せるようになったと考えると、私の創作スタイルは退化したのではなく、進化しようとしているのかも知れない。
以前、「小説を書いてほしい」と言われた事がある。それはお世辞だったのかもしれないが、私は「書いてみようかな〜」といった少しおどけた返答を行なった。
結局、「小説」と呼べるようなものを私は作れていない。
⋯⋯案外、この心の変化が本格的な小説を書くきっかけになるのかもしれないと、期待している。
私に小説は書けない、と思っていたが、こうして調子に乗れている状況こそ、新たに何かが始まっている予兆なのだろう。




