前回のエッセイにある「変なことが当たり前の日常」を紹介する。
ぱっと書いた。誤字脱字があるような気がする。
私の感覚がなんでズレてるのか知れて面白いと思う。
子供のころ、自分の家がおかしいとは思わない。
他人の家の内情を知らないからだ。
それを知って始めて、自分の家のおかしさを知る機会が生まれる。
――なら、変なことが「当たり前」となっている私が見た他の家の事情は、どんなものだったのだろう?
◇
私が始めて他人の家の内情を知ったのは、おそらく3歳だ。隣の家に住む女の子の家に遊びに行き、「パパが帰ってこない」といった話を聞いた。
次に、幼稚園の友達の家に泊まりに行ったとき、夜中に、その友達が家から締め出され、「開けてよ〜」と号泣しているのを見た。
父親が締め出したわけだが、母親や友達の兄弟は気まずそうにして喋らなかった。
そこから小学校に入り、友達の家に遊びに行くと「娘として育てられている弟」がいた。
他の友達に連れられて行った家では、「ずっと仲良くしてあげてね」と号泣する母親がいた。その子は命が短いらしい。
小学校の高学年に入り、友達の家に遊びに行くと父親から馬鹿にされ続けている友達がいた。
近所の大人しいお兄さんの家に遊びにいき、遊戯王をしてあそんだ。そのお兄さんはのちに、特別支援学級に通うことになった。
中学に入ると、近所に住む幼なじみから、深夜の公園へ何度も誘われるようになった。兄貴が性的な目で見てくるから逃げてきていると言っていた。
親友と一緒に友達の家に行くと、埃を被った靴が山積みになっている玄関だった。「狭いけど通れる?」と言われたが、汚かったので止めた。
⋯⋯ちょっと疲れたからここで止める。
家の事情に限らず、私が出会った変な人たちを紹介すると、
・小学生をおどろかす、いきなりおじさん
・スウェットからバナナを出すおじさん
・人から貰ったお菓子で子供に何かあった事件のあと、飴を配り始めたおじさん
・木の切れ端を皮ふの下に入れるおじさん
・灰皿みたいなタバコ臭のおばさん
・髪を輪ゴムで2つ結びにして、ピンク色の口紅を塗って、見知らぬ人に話しかけまくるおばさん
・手鏡を見ながらまばたきをせず、何度も口紅をグリグリ塗るお姉さん
・生徒を図書室に監禁し、暴力を振るう女教師
・教室にあるものを何度も力強く叩きながら授業を進める教師
・自転車のチェーンに生き物を挟み、ペダルを回すと潰れていく様子がお気に入りの同級生
・父親が風呂場で自殺した同級生とそれをイジメる医者の息子
・子供が喧嘩に負けたら相手を呼び出し、再戦させる親。負けたら、その場に放置していく。
こんな人間たちに囲まれて、複雑な事情を抱えた家庭を見て、自分の家すら変なら、なにも思わなくなる。
自分の家の変なことが、ずーと家の外にも広がっているわけだから、「変なこと」とは思えない。
地元を離れて時間が経ち、始めて「変なこと」と気がついた。
自分の『普通』の感覚。
――たとえば、「スタバの新作がおいしい」という話と「万引きがバレたから滅多刺しにしたらしいよ」という話を、同列の雑談として扱うのは変なことだ。
地元では鼻で笑うような話だが、一般的には「うげっ」となる話だ。
つまり、何が言いたいかというと「住む環境は大事」という話だ。
ジメッとした空気感の街は選ばないほうがいいと思う。黒い雨水が垂れた跡がいろんな建物についていたり、曇りじゃないのに、なんだか街が暗いとかは、止めたほうがいいと思う。
【あとがき】
一般的な人からすると、ヤンキーがなぜ暴力的で高圧的なのか分からないかもしれないが、それが彼らの「法」だからである。
海外のスラムや治安の悪いところもそうだと思うが、「法律が自分の身を守ってくれないなら、生きるために暴力を身につけるしかない」といった至極真っ当な考えから、ヤンキーは暴力を身につける。
以前、私も自身の経験を書いたが、義父に長年暴力を振るわれていたのに誰も助けてくれなかった。
それを止めたのが、私が放った一発の頭突きだ。
それっきり、義父からの暴力は完全に無くなった。
私が転校先でイジメにあったとき、教師や両親に相談しても、イジメは解決しなかった。
それを解決したのも、暴力だ。
つまり、大人や法が機能していない環境では、「暴力」が常に法律である。
よく考えてみてほしいのだが、あなたが「街中を歩くとき」と「海外のスラム街を歩くとき」、その心境に違いはあるだろうか?
おそらく、スラム街を歩くときには緊張するはずだし、スラムの住民に絡まれたら、かなり心が疲弊するはずだ。
なぜなら、相手がどう動くのか予測ができないし、スラム街の住人相手じゃ、法律や道徳が機能しないからだ。
最悪、死ぬことだって考えられる。
この「死」は、ごく低い可能性を誇張しているわけではない。対応を間違えれば、本当に死ぬ可能性がある。
私やヤンキーは、幼い頃からずっとその緊張にさらされ続けている。それがおかしいことに気づかない。
なぜなら、それが「当たり前」だからだ。




