表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/17

障害者を見ても何も思わない



 私の小学校には、吃音の子がいた。

 話している途中で言葉に詰まると、足をドンと踏み鳴らすような動きを何度もして言葉を話す。



 私は吃音の子について、なにも思わなかった。

 ただの友達だ。


 それから中学になり、『空色カメレオン』というHPを作った。結果的に、そのHPは精神が病んでいる人たちの小さなコミュニティとなった。


 いろんな人がいたけど、特に何も思わなかった。

 

 そして、大人になると「障害者を笑う人間」という存在を知った。


 ――そんな人間いたかな?

 と考えてみても、思い当たる記憶が少なく、実感が湧かなかった。

 微かな記憶として、足が悪い人の歩き方を真似して笑いをとろうとする人間がいたような気もするが。


 やっぱり何も思わなかった。




 私は当事者ではないから、障害で笑われたことはない。だから、「障害者を笑う人間」という存在を感じたことがない。


 しかし、間違いなくいるのだろうな、とは思ってる。



 障害者は面白いものだろうか?

 私は全ての人間が、何らかの欠点を抱えていると考えている。だから、『障害』というものが異質なものとは感じないし、面白いものとは思わない。



 私の書き方が悪く、誤解させてしまっているかもしれないが、「私は素晴らしい人間だ」というアピールがしたいわけではない。


「私は障害者に対して()()()()()()」という話をしている。


 可哀想だとも思わない。

 大変そうだとも思わない。

 助けてあげたいとも思わない。


 ただ、困っているときは助ける。

 障害者だから、助けているわけではない。

 「困っているから」助けているだけだ。


 


 街中で車椅子に乗っている人間を見ると、たまにイライラすることがある。


 これは「車椅子に乗って邪魔だから」、「障害者の存在が」といった理由から生まれるイライラではなく、「私は人より劣ってどうしようもない存在です」といった眼をしているのが気に食わない。


 辛い経験があるのだろうが、そんな経験と自身が持つ尊さには関係がない。


 車椅子になったときの不安や絶望、苦心を乗り越えている人間が、人より劣っていることなど断じてない。

 

 見方を変えれば、優劣なんて思い込みは簡単にひっくりかえせる。

 だから、自分が人より劣っているという考えで自分を腐らせないでほしい。



 つまり私は、障害者に何か思うことはないが、人が腐っていくことには思うことがあるという話でした。


 (`・ω・´)フンッッ!

 ちょっと熱くなったからここで止める!

 いまは夏だからね!





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ