第七十話「縁談」
城での生活が二ヶ月経った。
ライナスとの関係は、あの夜から少し変わっていた。お互いに少し意識していることは、アオイにもわかっていた。夕食を一緒にとるときの会話が以前より自然になった。書類整理をしているとき、ライナスがさりげなく隣に座るようになった。
アオイはまだ自分の気持ちをうまく言葉にできなかったが、ただライナスのことを考える時間が確実に増えていた。
ある日、マリエルから手紙が届いた。
——アオイさん、王都での病が収束してから、アオイさんとティアさんの評判が広まっています。腐敗魔法の薬と直接治療で多くの命が救われたことが、貴族の間でも広く知られるようになりました。
追伸 少し気になることがあって。ヴェルダン伯爵という方が、アオイさんのことを詳しく聞いてこられました。——
アオイはその手紙をしばらく見ていた。
ヴェルダン伯爵という名前は聞いたことがなかった。
数日後、またマリエルから手紙が届いた。
——アオイさん、前回の追伸の続きです。ヴェルダン伯爵は五十代の方で、王都でも影響力のある高位貴族です。奥様は既に亡くなられていて、今回の病で息子さんがアオイさんの薬で助かったそうです。それ以来腐敗魔法の薬に深く感謝されているとのことです。エルノ様からも話を聞いて、アオイさんに会いたいとおっしゃっています。
追伸 縁談のお話が出ているとエルノ様から聞きました。私も驚いています。アオイさんのご意向を聞かせてください。——
アオイは手紙を読んで、少し考えた。
縁談。
自分には関係のない話だと思っていた。
ライナスに話した方がいいかもしれないと思い、その日、夕食のタイミングで手紙を見せた。
「マリエル様から来ました」
ライナスは手紙を受け取って読んだ。
読んでいる間、ライナスの顔が少し変わった。
「ヴェルダン伯爵か」ライナスは言った。声が少し低かった。
「ご存知ですか」
「知っている。王都でも影響力のある方だ」
「そうですか」
「縁談の事だが、お前はどう思っている」
「どうしたらいいかわからないです。縁談を受けるつもりはないですが、高位貴族の方なので下手に断ることもできないかと思って」
「そうだな。ヴェルダン伯爵は誠実な方だが、高位貴族だ。軽率に断れば角が立つ」
ライナスは少し間を置いた。
「グラウンに来たいとおっしゃっているのか」
「マリエル様の手紙にはそこまでは書いていませんでしたが、会いたいとおっしゃっているとのことで」
「そうか」ライナスは手紙をアオイに返した。
「少し考える」
「ライナス様が考えることですか」
「グラウン辺境伯として関係することだ。お前のことは私が対応する」
「そうですか。ありがとうございます」
翌日、セドルが還り家に来た。
「ライナス様から伝言です。ヴェルダン伯爵の件、グラウン辺境伯として対応するとのことです。アオイさんは特に何もしなくていいとのことです」
「わかりました」
その夜、城に戻るとライナスが廊下で待っていた。
「少し話せるか」
「はい」
執務室に通された。
ライナスはしばらく黙っていた。
「ヴェルダン伯爵の件だが…」
「はい」
「グラウン辺境伯として対応する。お前に迷惑はかけない。ただ一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「縁談を受けるつもりはないと言っていたが、本当か」
「本当です」
「理由は」
「グラウンを離れるつもりはないです。それと…気になっている人がいます」
ライナスが少し固まった。
「気になっている人、というのは…」
「ライナス様のことです。はっきり言うのは恥ずかしいですが、聞かれたので」
ライナスはしばらく黙った。
「それは…私と同じ気持ちということか」
「そうだと思います…恥ずかしいですね」
ライナスはしばらく黙った。それから少し笑った。
「お前に恥ずかしいという感覚があったとは」
「ありますよ」
「そうか。縁談の話を聞いたとき、困った」
「困ったのですか」
「困った。ヴェルダン伯爵は高位貴族だ。軽率に断れない。ただ断ってほしかった」
「それは、私のことを考えてということですか」
「そうだ。お前に王都の高位貴族のところに行ってほしくなかった。グラウンにいてほしかった」
「グラウンにずっといます」
「そうか…よかった」
二人でしばらく黙った。
「ヴェルダン伯爵の件は私が対応する。断り方も考える。お前は何もしなくていい」
「ありがとうございます」
「礼はいい。今夜はここまでにする」
「わかりました」
「縁談の件の対応について、明日また話す」
「はい」
「今日はもう休め。おやすみ」
「おやすみなさい」
アオイは自分の部屋に戻って、ベッドに倒れ込んだ。
窓の外には、たくさんの星が輝いていた。




