第六十九話「城での暮らし」後編
城での生活が一ヶ月経った。
ある朝、セドルが顔を出した。
「アオイさん、少しよろしいですか」
「どうぞ」
「ライナス様から伝言です。今夜、夕食を一緒にとりたいとのことです」
「わかりました」
「それと…」セドルは少し間を置いた。
「今日のライナス様は少し様子が違います」
「様子が違うというのは」
「いつもより落ち着かない感じがします」
夕方、城に戻り部屋で着替えを済ませると、セドルが来た。
「ライナス様がお待ちです」
「今日はどこで食べますか」
「ライナス様の部屋です」
ライナスの部屋に入ると、いつもより丁寧に食事が用意されていた。いつもはない花が飾ってある。
「今日は特別な夕食ですか」アオイは言った。
「そうだ。座ってくれ」
アオイが椅子に座ると、ライナスも座った。
しばらく二人で食べた。
ライナスがいつもより口数が少なく、何か考えているような顔をしていた。
「どうかしましたか」とアオイは言った。
「なんでもない」
「顔が少し違います」
「そうか。お前はいつも周りをよく見ているのに、肝心なことに気づかない」
「肝心なこととは?」
「食事が終わったら言う」
「わかりました」
食事が終わり、セドルが食器を下げて出ていった。
部屋に二人になった。
「一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「城での生活は不自由がないか」
「ないです」
「そうか」ライナスは少し間を置いた。
「グラウンにいるつもりか、これからも」
「そうです。還り家がありますし」
「以前、それだけではないかもしれないと言った。覚えているか」
「覚えています」
アオイはライナスを見た。
ライナスは窓の外を見て、しばらく黙っていた。
「お前のことが大切だ。グラウンの薬屋として、ではなく。アオイという人間として。城に来てからより、はっきりわかった」
アオイは少し間を置いた。
「そうですか」
「…それだけか」
「少し驚いています」
「驚いているのか」
「はい。ライナス様がそういうことをおっしゃるとは思っていなかったので」
「私も思っていなかった。ただ言わないでいるのが難しくなってきた」
「難しくなってきた、というのは」
「毎日顔を見るからだ」ライナスは言った。
「書類を整理しているのを見ていても、夕食を一緒に食べていても、何かと気になる」
アオイはライナスを見た。
ライナスがこういうことを言う人だとは思っていなかった。いつも冷静で、感情をあまり表に出さない。そのライナスが少し違う顔をしていた。
「私は…」アオイは少し考えた。
「ライナス様のことを、大切に思っています」
「それはどういう意味の大切だ」
アオイはまた考えた。
「グラウンの辺境伯として、ではなくライナス様という人間として、大切に思っています」
ライナスはしばらく黙った。
「それは…私が言ったことと同じか」
「同じかどうかはわかりません。ただ、城に来てから、ライナス様のことを考えることが増えた気がします」
「…それは、どういうふうに考えるんだ」
「夕食を一緒に食べるときに、今日何かあったかなと思ったり、書類を整理しているときにライナス様が見に来るかなと思ったり」
「意識しているということじゃないか」
「そうかもしれません」
ライナスはため息をついた。
「お前は本当に…」
「本当に何ですか」
「鈍感すぎる」
「そうですか」
「ただ今気づいたなら十分だ」ライナスは少し間を置いた。
「今すぐどうこうという話ではない。ただ知っていてほしかった」
「わかりました」
「嫌ではないか」
「嫌ではないです。ただ…」
「ただ何だ」
「少し時間をください。自分でもよくわからないので」
「わかった。急かさないが逃げるなよ」
「逃げません」
「ライナス様のことを考えることが増えた、というのは本当のことなので」
「それで十分だ」
部屋に戻って、ノートを開いた。
今日のことを書こうと思ったが、何を書けばいいかわからなかった。
ライナスが大切だと言った。アオイも大切だと言った。ライナスのことを考えることが増えた、と言った。
書きながら、少し考えた。
確かに増えていた。意識し始めていたのかもしれない。ただそれがどういうことなのか、まだよくわからなかった。
ティアに話したいと思った。ティアなら何か言うかもしれない。
翌日、ゴルドが還り家に来た。
アオイの顔を見て、少し首を傾けた。
「…どうした」
「どうもしていません」
「顔が少し違う。何かあったか」
「何もないです」
「まあいい。お茶を飲む」
「どうぞ」
お茶を飲みながら、ゴルドが言った。
「城での生活はどうだ」
「慣れてきました」
「ライナス様とはうまくやっているか」
「はい」
「そうか」ゴルドは少し間を置いた。
「まあ、うまくやっているなら何よりだ」
「ゴルドさん、何か知っていますか」
「何を」
「ライナス様のことで」
「何も知らない」ゴルドは即答した。
「そうですか」
ゴルドの顔が少し得意そうだった気がしたが、アオイは何も言わなかった。
ベアのところに行くと、ベアもアオイの顔を見て少し目を細めた。
「何か悩みがあるのか」
「何もないです」
「そうか…まあいい」
ベアはお茶を出した。
「城での生活はどうだ」
「慣れてきました」
「ライナス様はどうだ」
「どうとは」
「様子はどうだと聞いている」
「いつも通りです」アオイは少し考えた。
「昨日は少し様子が違いましたが」
「どう違った」
「話があると言って…私の事が大切だとおっしゃいました」
ベアはしばらく黙った。
「そうか。で、お前はどうした」
「私も大切だと言いました」
「それだけか」
「少し時間をくださいとも言いました」
「ライナス様は何とおっしゃった」
「急かさないとおっしゃいました」
「そうか。ライナス様は誠実な方だ」ベアは静かに言った。
「そうですね」
「お前はライナス様のことをどう思っている」
「大切だと思っています」
「それだけか」
「ライナス様のことを考えることが増えた気がします」
「もう気づいているんじゃないか」
「何にですか」
「自分で考えろ」ベアはため息をついた。
「ライナス様は長い間お前のことを大切に思っていた」
「わかっています」
「まあ、ゆっくり考えろ」
「…そうします」
アオイは素直に頷いた。




