第六十七話「城での暮らし」前編
ティアがグラウンに帰ってきて二ヶ月が経った。
還り家での日常が戻っていた。午前中はアオイが軟膏を作って、ティアが薬草液を作る。午後はベアのところに行ったり、薬草採取に行ったり。
ミドリも週に二、三回薬草を持ってきた。ティアとも完全に打ち解けていて、今ではティアが呼ぶと茂みから顔を出すようになっていた。
ただティアの様子が少し気になっていた。
ある夜、ティアが言った。
「アオイさん、話があります」
「どうぞ」
「王都から連絡が来ていて」ティアは少し間を置いた。
「また王都に行かないといけないかもしれないです」
「そうですか」
「腐敗魔法の使い手が増えてきていて、製造の指導をしてほしいとマリエル様とエルノ様から言われていて…今は五人いますが、もっと増やしたいとのことで」
「そうですか」
「グラウンに帰ってきたばかりなのに、また離れることになって」
ティアは申し訳なさそうな顔をした。
「アオイさん一人になってしまいますが」
「大丈夫です」
「本当に大丈夫ですか」
「ゴルドさんとベアさんがいます。ミドリもいます。王都でやることがあるなら行くべきです」
「そうですか」ティアは少し考えた。
「アオイさんが大丈夫なら行きます。ただ今度はいつ帰れるかわからなくて」
「わかりました」
「本当に大丈夫ですか」ティアはもう一度聞いた。
「大丈夫です」
「わかりました。ただこまめに手紙は書きます」
「書いてください」
「アオイさんも書いてください。グラウンのこと、ミドリのこと、ライナス様のこと」
「ライナス様のことは特に書くことがないですが」
「書いてください。お茶を飲みに行ったとか、怒られたとか、そういうことで十分です」
「わかりました」
ティアが出発する前日、ゴルドが来た。
「また行くのか」ゴルドはティアに言った。
「はい。すみません、ゴルドさん」
「謝るな。王都でやることがあるなら行け。ただ…」ゴルドは少し間を置いた。
「無理をするな」
「わかっています」
「よく食べてよく寝ろ」
「わかっています」ティアは少し笑った。
「ゴルドさん、また果実酒を飲みに帰ってきます」
「待っている」ゴルドは仏頂面で言った。
ベアのところにも挨拶に行った。
「…そうか。薬草の勉強は続けろ。王都にいても関係ない」
「続けます」
「腐敗魔法の制御も怠るな」
「怠りません」
「よく食べてよく寝ろ」
「ゴルドさんにも言われました」
「あの男と同じことを言うのは癪だが、正しいことだから言う」
「ベアさん、また帰ってきます」
「待っている。早く帰ってこい。薬草の勉強の続きがある」
翌朝、ティアが出発した。
クラウスとヴィンが護衛についた。
還り家の前でアオイが見送った。
「行ってきます」
「気をつけて」
「はい」ティアは荷物を馬車に積んだ。
「アオイさん、一人になりますが…」
「大丈夫です」
「本当に大丈夫ですか」
「大丈夫です」
「ミドリにもよろしく」
「伝えます」
「ライナス様にも」
「はい」
「では行ってきます」ティアは馬車に乗った。
「帰ってきます。必ず」
「待っています」
馬車が動き出した。ティアが窓から手を振っていた。
還り家に戻り、白衣を羽織った。
静かだった。
ティアがいない分だけ静かだった。
ノートを開き、今日の作業の記録を書いた。書きながら、少し考えた。
ティアが来る前も一人だったが、あの頃とは少し違う感じがした。
ティアがいる状態が当たり前になっていたのかもしれない。
三日後、ライナスのところにお茶を飲みに行った。
執務室に入ると、ライナスが書類を見ていた。
「ティアが王都に行ったか」
「そうです。三日前に出発しました」
「そうか。一人で大丈夫か」
「大丈夫ですよ」
「不便はないか」
「ないです」
「そうか」ライナスはお茶を飲んだ。
「一つ提案がある」
「なんですか」
「城に部屋を用意しようと思っている。還り家での作業は続けていい。ただ夜は城に戻ってきてはどうか」
アオイは少し驚いた。
「城に住むということですか?」
「そうだ。一人で還り家にいるより、城の方が何かと安心だ。前回のようなことがあったので、夜は特に」
「城に住むのは大げさではないですか」
「大げさではない。部屋は用意できる。昼間は還り家で作業して、夜は城に戻る。それでどうだ」
「ゴルドさんとベアさんがいますが」
「ゴルドもベアも夜中には来られない」ライナスは言った。
「前回刺客が来たのも夜中だった」
「そうですね」
「防犯の観点から言っている。他意はない」
「わかりました…お世話になります」
「決まったか」ライナスは少し安堵した顔をした。
「では今日から部屋を用意させる。荷物はどのくらいあるか」
「着替えと研究道具と」アオイは少し考えた。
「ノートが多いです」
「ノートが多いのか」
「記録をつけているので」
「そうか。セドルに棚を用意させる」
「ありがとうございます」
「礼はいい」ライナスは書類に目を戻した。
「ただし城の規則には従ってもらう」
「規則というのは」
「夜中に一人で出歩かないこと」ライナスは言った。
「作業は昼間だけにすること」
「夜中に作業することがありますが…」
「城ではするな」
「わかりました」
「信用している。では今日から頼む」
その日の夕方、荷物をまとめて城に移った。
用意された部屋は城の中の静かな一角にあった。窓から街が見える。グラウンの街並みが見下ろせた。
セドルが棚を用意してくれていた。ノートを並べると、ちょうどよく収まった。
「何か必要なものがあればおっしゃってください」セドルは言った。
「ありがとうございます。十分です」
「では、ごゆっくり」
翌朝から新しい日常が始まった。
朝、城で朝食を食べた。客人用の小さな部屋に食事が用意されていた。セドルが顔を出した。
「おはようございます。何か不自由はありませんでしたか」
「ないです。ありがとうございます」
「よかったです。朝食が終わったら還り家に向かわれますか」
「そうします」
「では馬車を用意しておきます」
「歩いて行けますが」
「城からの移動は馬車を使ってください。ライナス様からの指示です」
「わかりました」
昼間は還り家で作業した。薬草液を作って、軟膏を作って、ノートに記録した。いつも通りだった。ただ夕方になると城に戻る。それだけが違った。
夕食もまた客人用の部屋で食べた。
ある夜、セドルが夕食を運んできたとき、後ろにライナスがいた。
「少しいいか」ライナスは言った。
「一緒に食べても構わないか」
「どうぞ」
ライナスが部屋に入って、向かいに座った。
「城の生活はどうだ」
「静かでいいです」
「還り家より静かか」
「違う静かさです」アオイは言った。
「還り家はティアがいないから静かで、城は規則正しく静かな感じがします」
「規則正しく静かか」ライナスは少し考えた。
「そういう表現をするのか」
「そうじゃないですか」
「まあそうかもしれない。不自由はないか」
「ないです」
「食事は合っているか」
「合っています。美味しいです」
「そうか」ライナスは少し満足そうな顔をした。
「料理長に伝えておく」
「ありがとうございます」
二人でしばらく食べた。後は特に何も話さなかったが、不思議と気まずさはなかった。




