第六十六話「それぞれの場所」
謁見から帰って一週間が経った。
マリエルから手紙が届いた。
——アオイさん、王都の様子をお伝えします。腐敗魔法事が各地に伝わって、隠して生活していた腐敗魔法の使い手たちが少しずつ表に出てきています。王都にも何人か来ていて、ティアさんが中心になって薬の製造を教えています。
追伸 ティアさんはとても忙しそうですが、生き生きしています。——
ある日の昼過ぎ、ライナスの城にお茶を飲みに行った。
執務室に通されると、ライナスが書類を見ていた。アオイが入ると顔を上げた。
「来たか」
「はい」
「お茶を頼んであるから座れ」
アオイは椅子に座った。セドルがお茶を持ってきて、静かに出ていった。
しばらく二人でお茶を飲んだ。
「還り家は一人で大丈夫か」
「大丈夫です」
「無理をするなよ」
「していません」
「本当か」
「本当です」アオイは言った。
「ライナス様、毎回同じことをおっしゃいますね」
「毎回同じことをしそうだから言っている。お前は自分が無理をしていることに気づかないことがある」
「そうですか」
「そうだ。王都で刺されたのも、魔力を使いすぎて体が動かない状態になっていたからだろう」
「そうですね」
「だから言っている」ライナスはお茶を飲んだ。
「魔力が増えても、体は一つだ。気をつけろ」
「わかりました」
しばらく静かだった。
ライナスが言った。
「一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「これからどうするつもりだ」
「これからですか」
「ティアが王都に残った。腐敗魔法の使い手が王都に集まってきている」ライナスは言った。
「お前はグラウンにいるつもりか」
「はい。グラウンにいます」
「王都に呼ばれることもあるだろうが」
「三ヶ月に一度は行きます。ただ還り家はグラウンにあります」
「グラウンを離れるつもりはないか」
「ないです。ゴルドさんがいて、ベアさんがいて、ミドリがいます。還り家があります。グラウンが私の場所です」
ライナスはしばらくアオイを見た。
「そうか。それはよかった」ライナスの声が少し柔らかかった。
「よかったですか」
「そうだ。グラウンにいてくれた方がいい」
ライナスは少し間を置いた。
「私が言える立場かどうかわからないが」
「どういう意味ですか」
「いや…なんでもない。お茶を飲め」
「飲んでいます」
「もう一杯飲め」
「…ありがとうございます」
翌週、ゴルドが還り家に来た。
お茶を飲みながら、ゴルドが言った。
「ライナス様のところにお茶を飲みに行っているそうだな」
「そうです」
「毎週か」
「だいたい週に一度くらいです」
「そうか。ライナス様はどうだ」
「どうとは?」
「様子はどうだと聞いている。別の意味はない」ゴルドは仏頂面で言った。
「いつも通りです。書類を見ていて、お茶を飲んで、無理をするなと言われます」
「そうか」ゴルドは少し考えた。
「まあそれならいい」
「何かありましたか」
「何もない。ただ聞いてみただけだ」ゴルドは即答した。
「そうですか」
「ティアはいつ帰ってくるんだ」
「もう少し先だと思います」
「そうか…還り家が静かだな」ゴルドは言った。
「そうですね」
「ティアがいると賑やかだった」ゴルドは仏頂面のまま言った。
「早く帰ってこいと手紙を書いておけ」
「書きます」
ある朝、還り家の前にいつもより多くの薬草が置いてあった。
ミドリが持ってきたのだろう。ただいつもより量が多い。
アオイは薬草を手に取って「ミドリ」と呼んだ。
茂みが揺れて、金色の目が見えた。
「たくさん持ってきてくれましたね」
ミドリはしばらくアオイを見ていた。それからまた茂みが揺れて、奥に戻っていく気配がした。
アオイはノートに書いた。
いつもより多い薬草。なぜ多かったのかはわからない。ただそういうことが起きた。
書きながら思った。
ティアが帰ってきたらまたミドリに会いにいこう。
三週間後、ティアから手紙が届いた。
——アオイさん、そろそろグラウンに帰ります。王都でやることが一段落しました。腐敗魔法の使い手が五人、薬の製造を覚えてくれたので、私がいなくても大丈夫だと思います。来週の終わりには帰ります。
追伸 グラウンが恋しいです。ミドリに会いたいです。ゴルドさんのお茶が飲みたいです。ベアさんに会いたいです。あとアオイさんの隣で薬を作りたいです。——
アオイはその手紙をゴルドに見せた。
ゴルドは手紙を読んで、黙った。
「来週の終わりに帰ってくるか」
「そうですね」
「そうか。準備しておく」
「準備?何の準備ですか?」
「うるさい。果実酒を用意しておくだけだ」ゴルドはそっぽを向いた。
「ゴルドさん、寂しかったんですか」
「寂しくない。還り家が静かすぎただけだ」ゴルドは即答した。
「同じことですね」
「ベアのところにも伝えてやれ。あの婆さんも心配していたから」
「伝えます」
「それと、ライナス様にも伝えておけ。ティアが帰ってきたら連れてくるように言われてるんだろ」
「そうでしたね」
「ならば伝えておけ」
ベアに伝えると、ベアは少し目を細めた。
「帰ってくるか」
「来週の終わりに」
「そうか。よかった」
「心配しているんですね」
「まあ帰ってきたら一番に私のところへ連れてこい」
「わかりました」
ライナスに報告に行った。
「ティアが来週の終わりに帰ってきます」
「そうか。帰ってきたら連れてきてくれ。礼を言いたい」
「はい」
「ティアが帰ってくれば還り家も賑やかになるな」
「そうですね」
「お前も嬉しそうだな」
「そうですか」
「そうだ。顔に出ていないが、なんとなくわかる。もう一杯お茶を飲め」
「ありがとうございます」
ティアが帰ってきた。
馬車がグラウンに入ってきたのを見て、アオイは還り家の前で待っていた。
馬車が止まって扉が開くと、ティアが出てきた。
グラウンの空気を吸って、少し目を閉じた。それから目を開けて、アオイを見た。
「帰ってきました」
「おかえりなさい」
「ただいまです。グラウンの匂いがしますね」
「そうですね」
「王都とは違います」
「違いますね」
「やっぱりグラウンがいいです。王都も好きですが、グラウンが一番落ち着きます」
ティアは還り家を見た。
「中に入っていいですか」
「どうぞ」
ティアは還り家の扉を開けて、中に入った。作業台を見て、棚を見て、薬草の匂いを嗅いだ。
「変わっていないですね」
「変わっていないです」
「よかったです。二階の部屋も変わっていないですか」
「そのままにしてあります」
「見てきます」ティアは二階に上がった。しばらくして降りてきた。
「変わっていませんでした。ありがとうございます」ティアは言った。
「帰ってきた感じがします」
夕方、ゴルドが来た。
ティアを見て、少し固まった。
「おかえり」
「ただいまです、ゴルドさん」
「元気そうだな」
「元気です」
「そうか。顔色はよさそうだな」ゴルドは仏頂面で言った。
「はい」
「よく食べていたか」
「はい」
「よく寝られたか」
「まあそれなりに」
「まあそれなりに、か」ゴルドはため息をついた。
「ベアのところには明日行け。あの婆さんが今日来るかもしれないと言って、朝からそわそわしていた。帰ってきてよかった。還り家が静かすぎた」
「ゴルドさん、寂しかったんですか」
「寂しくない」ゴルドは即答した。
「果実酒を持ってきた。帰ってきた祝いだ」ゴルドは瓶を取り出した。
「ありがとうございます。ゴルドさん、会いたかったです」
ゴルドは黙った。長い間黙った。
「飲め」
「はい」
翌朝、ティアと一緒に森の近くに行った。
「ミドリ」とアオイは呼んだ。
茂みが揺れた。金色の目が見えた。
ティアが少し前に出た。
「ミドリ、帰ってきました」
ミドリはティアをしばらく見ていた。
それからゆっくりと茂みから出てきて、ティアの方に一歩、近づいた。
ティアが息を呑んだ。
「近づいてきた」と小声で言った。
「そうですね」
「前はこんなに近づかなかったのに」
「慣れたんだと思います」
ミドリはティアの前で止まった。ティアを見上げた。金色の目がまっすぐティアを見ていた。
ティアはゆっくりと手を伸ばした。
ミドリが動かなかった。
ティアの手がミドリの頭に触れた。
「柔らかい」ティアは小声で言った。
ミドリは逃げなかった。ただそこにいた。
しばらくして、ミドリはゆっくりと茂みに戻っていった。
ティアはその背中を見送った。
「会いたかったです」ティアは小声で言った。
「伝わったと思います」
「そうですね。帰ってきてよかったです。本当に」
王都では腐敗魔法の使い手が集まってきている。少しずつ広がっていく。
グラウンでは還り家がある。ミドリが薬草を持ってくる。ゴルドとベアがいる。ライナスがいる。
どちらも大事な場所だ。
ただアオイはグラウンにいる。それがいいと思っていた。




