第五十五話「ティアと緑色の魔物」
ティアがグラウンに来て二週間が経った。
修行は毎日続けていた。午前中は腐敗魔法の制御の練習、午後は薬草の知識を教えた。ベアのところにも毎日通わせた。
ティアは飲み込みが早かった。制御の粗さは少しずつ改善されていて、野菜の表面だけを分解する練習も、最初より格段に上手くなっていた。
ただ一つ気になることがあった。
ティアは還り家の外に出るとき、少し緊張した顔をする。グラウンの住民と話すとき、どこか様子を窺っているような目をする。
村での経験が抜けていないのかもしれないとアオイは思った。
ある朝、薬草採取に行くことにした。
「一緒に来ますか」
「行きます」ティアは即答した。
二人で還り家を出て、グラウンの外に向かって歩いていく。
道の途中でハンスに会った。
「おはよう。薬草採りか」とハンスは言った。
「そうです」
「ティアちゃんも一緒か」ハンスはティアを見た。
「慣れてきたか」
「はい。少しずつですが…」とティアは言った。
「そうか。パン、食べに来いよ」
「ありがとうございます」
ハンスが行ってしまうと、ティアは少し驚いた顔をした。
「普通に話しかけてくれるんですね」
「グラウンはそういう街です」
「腐敗魔法使いの弟子と知っていても、ですか」
「知っていても普通に話してくれます」
ティアはしばらく考えた。
「私がいた村とは違いますね」
「そうですか?」
「村では腐敗魔法が使えるとわかってから、みんなが少し距離を置くようになって」ティアは言った。
「挨拶はしてくれるけど、それだけで…」
「グラウンも最初はそういう雰囲気がありました。ただ少しずつ変わりました」
「どうやって変わったんですか」
「薬が役に立ったので。役に立つとわかれば、腐敗魔法への見方が変わります」
「そうですか」
ティアは少し考えた。
「私も役に立てるようになれますか」
「きっとなれますよ」
「頑張ります」
薬草の採取場所に着いた。
アオイがどの薬草をどう採取するかを説明しながら、ティアに実際に採ってもらった。
「この薬草は根ごと採らないようにしてください。葉だけ使います」
「葉だけですか」
「根を残しておけばまた生えてきます。採りすぎると次回来たときに残っていないので」
「そうか」ティアは頷いた。
「薬草の管理も大事なんですね」
「ベアさんに最初に教えてもらいました」
ティアは丁寧に葉だけを採った。思ったより手際がいい。
「慎重ですね」とアオイは言った。
「村で畑仕事を手伝っていたので、植物の扱いには慣れています」
「それは役に立ちますね」
「腐敗魔法は畑仕事では使えなかったですが…」ティアは少し苦笑した。
「腐敗魔法を使うと作物まで傷めてしまって」
「制御が難しいですからね」
「はい。だから隠して使っていました」ティアは言った。
「こうして普通に使えるのは、まだ慣れないですが」
「すぐに慣れますよ」
三か所目の採取場所に向かう道で、森の入り口が見えてきた。
そのとき、茂みが揺れた。
ティアが足を止めて警戒した。
「何か…いますか」
「顔見知りです」アオイは言った。
「…顔見知り、ですか」
金色の目が茂みの中に見えた。
ティアが息を呑んだ。
「何ですか、あれは」
「ミドリです」
「…ミドリ?」
「グリムという魔物です。以前傷を治療したことがあって、それから薬草を持ってきてくれています」
「魔物なんですか…初めて見ました」ティアは動かずに言った。
「怖くないんですか」
「怖くないですよ」
「なんで…ですか」
「グリムはとても知能が高く、害を与えない相手には近づきません」
ティアはしばらく茂みを見ていた。ミドリもティアを見ていた。
「近づいても大丈夫ですか」
「ゆっくりなら」
ティアはゆっくりと一歩前に出た。
ミドリが耳を動かしたが逃げなかった。
「目が金色なんですね。綺麗です。」ティアは小声で言った。
ミドリがティアを見た。それからアオイを見た。また茂みの奥に戻りそうな気配がした。
「ミドリ」とアオイは言った。
「弟子のティアです。還り家にいます」
茂みが少し揺れた。
ミドリはしばらくティアを見ていた。それからゆっくりと茂みの奥に入っていった。
「逃げていきましたね」
「警戒していると思います。初めて会う人間なので」
「そうですか」ティアは少し残念そうな顔をした。
「嫌われたんでしょうか」
「嫌われてはいないと思います。ただミドリは慎重なので」
「慎重…ですか。私も最初に会う人間には慎重になるので、気持ちがわかる気がします」
「そうですね」
「また会えるでしょうか…」
「薬草を採りに来るたびにこの道を通るので、会えるかもしれませんね」
「次は逃げないといいですが。ミドリ、また会いましょう」
ティアは茂みを見た。
茂みは静かだった。ただ風が少し吹いた。
還り家に戻る途中にベアに報告した。
「ティアがミドリを見たか」
「逃げはしなかったですが、警戒していました」
「そうだろうな」
ベアはお茶を飲んだ。
「ミドリはアオイのことは知っているが、ティアは初めてだ。慣れるまで時間がかかるかもしれない」
「そうですね」
「ティア、怖くなかったか」とベアはティアに言った。
「怖かったですが、目の色がとても綺麗でした」
「綺麗か」ベアは少し笑った。
「目が金色で、毛並みが緑色で…見たことのない生き物でした
「ミドリはアオイのことをよく知っている。ティアのことも、時間が経てば覚えるだろう」
「そうだといいですが」
「修行の調子はどうだ」
「制御が少しずつ上手くなってきました」
「そうか。薬草の知識は」
「まだまだです。覚えることが多くて」
「当たり前だ。私も五十年かけてまだ覚えきれていない。焦るな」
「五十年かかるんですか」
「お前は若いから私より早く覚えるだろう。ただ急ぐなということだ」
「わかりました」
夜、今日の出来事をノートを書いた。
ミドリがティアをどう思ったかはわからない。ただ逃げなかった。
時間が経てば、ミドリもティアのことを覚えるだろう。
明日も修行が続く。




