第五十四話「ティア弟子入り」後編
翌朝、グラウンに向けて出発した。
ティアは小さな荷物を一つ持って、馬車の前に立っていた。マリエルが見送りに来た。
「グラウンは遠いけれど、手紙はいつでも送りなさい」とマリエルはティアに言った。
「はい。マリエル様、本当にありがとうございました」
「元気でね。アオイさん、ティアのことをよろしくお願いします」
「はい」
馬車が動き出した。
ティアは窓から王都が遠ざかっていくのを見ていた。しばらく黙っていた。
馬車が街道を進み始めてしばらくして、ティアが言った。
「菌の話、聞かせてもらえますか」
「どこから話しましょうか」
「最初から全部」
「長くなりますが…」
「構いません」ティアは姿勢を正した。
アオイは話し始めた。 菌とは何か、どこにいるか、体に入り込むとどうなるか、腐敗魔法がどう作用するか。
ティアは黙って聞いていた。時々質問した。
「菌は目に見えないんですか」
「見えないです。ただ腐敗魔法を使うと、存在を感じ取れます」
「感じ取れるというのは、どういう感じですか」
「何かがいる、という感じです。うまく言葉にできないですが…」
「私にもわかるようになりますか」
「なります。練習すれば」
ティアは頷いた。
「腐敗魔法を薬に使うというのは、誰かに教えてもらったんですか」
「教えてもらっていないです。自分で考えました」
「自分で考えたんですか。どうして思いついたんですか」
「腐敗魔法は分解を促す魔法です。分解を利用すれば薬になると思って」
「そんなに簡単に思いつくものですか」
「簡単ではなかったですが、やってみると思っていたより効果があって」アオイは言った。
「最初は失敗も多かったです」
「失敗というのは…」
「毒性の除去が不完全だったり、薬効まで落としてしまったり」
「それで諦めなかったんですか」
「諦める理由がなかったので」
ティアはしばらく考えた。
「私も諦めないようにします」
「うまくいかないことは必ずあります」アオイは言った。
「そのときは私やベアさんに相談してください」
「ベアさんというのは…」
「グラウンの薬草師です。少し怖そうに見えますが、話しやすい方です」
「怖そうに見えるんですか…」
「最初はそう思うかもしれませんが…すぐに慣れます」
「わかりました」ティアは頷いた。
「他にグラウンで会う人はいますか」
「ゴルドさんという醸造師がいます。口は悪いですが面倒見がいいです」
「口が悪いんですか」
「言い方が少し厳しいですが、悪い人ではないですよ」
「他には…」
「パン職人、チーズ職人とか…あと辺境伯様に月に一度薬を納品しています」
「辺境伯様に直接会うんですか?」
「最初は少し近づきにくいかもしれませんが、誠実な方です」
「私も会うんでしょうか…」
「グラウンで生活するので、挨拶くらいはすると思います」
ティアは少し緊張した顔をした。
三日目の夜、宿でティアが手紙を書いていた。
家族への手紙だ。王都で書きかけていたものの続きを書いているようだった。
「書けましたか」とアオイは言った。
「だいたい書けました」
ティアは手紙を見た。
「グラウンに着いたら送ります。返事が来るかわからないですが…」ティアは静かに言った。
「でも書いてよかったと思います。書かないより書いた方がいいと思うので」
「そうですね」
「アオイさんの言う通りでした。返事を求めるより、自分の言葉を伝えることが大事ですね」
「伝わるといいですね」
七日目の昼過ぎ、グラウンが見えてきた。
ティアは窓から外を見た。
「王都とだいぶ違いますね。でも落ち着く感じがします」
「そうですか」
「なんとなくですが…空気が違う気がします」
馬車が街の中に入った。
ハンスが外に出ていて、馬車に気づいた。
「おかえり」とハンスは言った。
「今回は長かったな。あれ、誰か連れてきたのか」
「弟子のティアです」とアオイは言った。
「弟子か…」ハンスはティアを見た。
「いくつだ?」
「十五です」とティアは言った。少し緊張している。
「遠いところから来たのか」
「王都周辺の村からです」
「そうか。パン屋のハンスだ。腹が減ったらいつでも来い。まけてやるから」
「…ありがとうございます」
ハンスは馬車を見送った。
還り家に戻ると、ゴルドが待っていた。
見慣れない少女がいるのを見て、ゴルドは驚いた。
「…誰だ」
「弟子のティアです」とアオイは言った。
「弟子…」ゴルドはアオイを見た。
「弟子を取ったのか」
「はい」
「突然だな」ゴルドはティアを見た。
「…腐敗魔法が使えるのか」
「少し使えます」
「少し、か」ゴルドは仏頂面で言った。
「アオイに鍛えてもらえ。教えるのが下手だが、見ているだけで勉強になる」
「え…?教えるのが下手ですか」アオイは言った。
「下手だ。説明が端折りすぎる」ゴルドは即答した。
「…そうですか」
「そうだ」ゴルドはティアを見た。
「グラウンに慣れるまで時間がかかるかもしれないが、悪い街じゃない。何かあれば相談にのる」
翌日、ベアのところに挨拶に行った。
ベアはティアを見て、しばらく黙っていた。
「十五か」
「はい」とティアは少し緊張した顔で言った。
「腐敗魔法が使えるか」
「少し使えます」
ベアはお茶を出した。
「座れ」
ティアは椅子に座った。
「怖くないか、私が」ベアは言った。
「少し怖いです」
「正直だな。まあ慣れろ。私は怖くない。ただ少し言い方が直接的なだけだ」
「…わかりました」
「薬草のことは私に聞け。わからないことがあれば来い」
ベアはお茶を飲んだ。
「アオイの師匠というわけではないが、薬草のことは教えられる」
「ありがとうございます」
「礼はいい」
ベアはティアを見た。
「家族に怖がられて村を出てきたと聞いた」
「はい」
「辛くなかったか」
ティアはしばらく黙った。
「辛かったです…でもここに来てよかったと思っています」
「そうか…グラウンはいいところだ。お前の居場所になるといい」ベアは静かに言った。
ティアは少し目を潤ませた。
「はい」
明日からティアの修行が始まる。
どうなるかはわからないが、やってみる価値はあると思った。




