第四十八話「エルノ、グラウンへ」
マリエルから手紙が届いたのは、冬の入り口の頃だった。
——アオイさん、エルノ様がグラウンに伺いたいとのことで、ライナス様に連絡を入れました。来月の初めにグラウンに向かうとのことです。護衛を二人連れていらっしゃるそうです。
追伸 エルノ様は菌の話をたいへん楽しみにしていらっしゃいます。——
アオイはライナスに手紙を見せた。
ライナスは手紙を読んで、少し間を置いた。
「ヴァンドル侯爵家のご子息が来るか」
「そうです」
「こちらでも受け入れの準備をする」
「ありがとうございます」
「エルノ・ヴァンドルはどういう人物だったか」
「好奇心が強くて、話しやすい方でした」
エルノが着いたのは、手紙から二週間後の昼過ぎだった。
護衛二人を連れた馬が城門を通って、グラウン城の方へ向かっていった。
しばらくして、クラウスが還り家に来た。
「エルノ様がアオイさんに会いたいとのことです。今から来てもいいかと」
「どうぞ」
三十分後、エルノが護衛を連れて還り家に来た。
王都で会ったときと同じく、目が輝いている。還り家の前に立って、建物をしげしげと見た。
「これが還り家ですか」
「そうです。どうぞ入ってください」
エルノは中に入って、作業台、棚に並んだ薬草、瓶の列を順番に見た。
「思っていたより広いですね」
「元染物屋の建物を改装しました」
「薬草の匂いがします」
エルノは棚に近づいた。
「触ってもいいですか」
「どうぞ」
エルノは薬草を一つ手に取って匂いを嗅いだ。
「これは何ですか」
「コルモ草です。強い抗菌作用があります」
「抗菌というのは菌を抑える、ということですか」
「そうです。ただ毒性があるので、腐敗魔法で精製して使います」
「腐敗魔法で毒性を除去できるんですか?どうやって」
「腐敗魔法は有機物の分解を促す魔法なので、毒性の成分だけを選択的に分解します。ただし難しくて、何度か失敗しました」
「失敗するとどうなるんですか」
「毒性が残ったり、逆に薬効まで落ちたりします」
「なるほど」エルノはノートを取り出した。
「書いてもいいですか」
「どうぞ」
エルノがノートを持ち歩いていることにアオイは驚いた。
エルノはそれから一時間、還り家で話を聞いた。
コルモ草の精製方法、抗菌軟膏の配合、飲み薬の製造過程。アオイが説明するたびにノートに書いた。
「実際に製造するところを見せてもらえますか」
「今日ですか?」
「いつでも構いません。明日でも」
「明日の午前中はどうですか。軟膏を作る予定があるので」
翌朝、エルノが還り家に来た。
作業台の前に椅子を用意して、軟膏の製造を見てもらった。
コルモ草の精製から始めた。腐敗魔法を使って毒性を除去する工程を、エルノはノートに書きながら見ていた。
「今、何をしているんですか」
「コルモ草の毒性の成分に腐敗魔法を当てています。毒性の成分が分解されると、匂いが少し変わります」
「なるほど」エルノはノートに書いた。
「治癒魔法師に腐敗魔法の仕組みを教えたら、連携できるようになると思いますか」
「できると思います。治癒魔法が物理的な回復を担当して、腐敗魔法が菌の除去を担当する。補完関係にあります」
「王都でそういう体制を作りたいと思っています」エルノは真剣な顔で言った。
「父も後押ししてくれています。ただ腐敗魔法使いが王都にいないので、まず腐敗魔法への偏見をなくすことから始めないといけない」
「マリエル様も同じことをおっしゃっていました」
「マリエル様と一緒に進めています。アオイさんが王都に来る機会があれば、治癒魔法師に話をしてもらえますか」
「機会があれば」
午後、薬草採取に出かけた。
エルノと護衛二人、アオイの四人で歩いた。護衛二人は周囲を警戒しながらついてくる。エルノは薬草の説明を聞きながら歩いた。
採取場所を二か所回って、三か所目に向かう道で、森の入り口が見えてきた。
そのとき、茂みが揺れた。
護衛の一人が素早く剣に手をかけた。
金色の目が見えると、エルノと護衛が息を呑んだ。
護衛がアオイの前に出ようとしたので、「大丈夫です」とアオイは言った。
「大丈夫、とは…あれは魔物では?」護衛が警戒しながら言った。
「顔見知りです」
護衛が固まった。
エルノはしばらく茂みを見ていた。
「顔見知り、ですか」
「はい」
「あの魔物がですか」
「はい」
ミドリはしばらくこちらを見ていた。エルノを見て、護衛を見て、またアオイを見た。
「ミドリと呼んでいます」
「ミドリ」エルノは繰り返した。
「緑色だから、ですか」
「そうです」
「そのままですね」エルノは小声のまま言った。
「目が金色なんですね。綺麗だ」
ミドリがエルノをしばらく見た。
それから茂みが揺れて、気配が遠ざかっていった。
護衛がようやく剣から手を離した。
「あれは何という魔物ですか」と護衛が言った。
「グリムだと聞いています」
「グリムと顔見知りとは」
護衛は信じられないという顔をした。
「どういう経緯で」
「傷を治療したことがあって、それから薬草を持ってくるようになりました」
護衛はしばらく黙った。
エルノはまだ茂みの方を見ていた。
「騎士団の同期に話しても信じてもらえないだろうな」エルノは言った。
「でも本当に来てよかった。グラウンに来てよかった」
城で夕食を取っている時に、エルノはライナスに今日のことを話した。
薬の製造、薬草採取、森の近くで見たミドリのこと。
「大きな緑色の魔物で、目が金色で…」エルノは興奮しながら言った。
「護衛が剣に手をかけたら、アオイさんが顔見知りだと言って」
「アオイが以前グリムの傷を治療したことがあります」
「本当ですか」エルノは目を丸くした。
「グリムと縁ができたというのは本当だったんですね」
「おかげで先日助かったこともありました」
「どういうことですか」
ライナスはケルナ領から薬の製造記録が狙われた事を簡単に話した。
エルノは真剣な顔で聞いていた。
「グリムがケルナ領の人間を取り囲んだんですか」
「ああ」
「グラウンは面白いところですね。王都とはだいぶ違います」
「アオイが来てから変わりました」ライナスは言った。
「アオイさんが来る前は…」
「静かな辺境の街ですね」
ライナスは果実酒を一口飲んだ。
「今も静かなのは変わりませんが、繋がりが増えました」
「王都との繋がりですか」
「それだけではなく、街の中の繋がりも変わったように思います」
エルノはアオイを見た。
「アオイさんは自分でそう思いますか」
「あまり考えていませんでした。薬を作って、必要な人に届けているだけです」
「それだけのことが、街を変えているんですね」
エルノは少し間を置いた。
「王都も変えられると思います。時間はかかるかもしれませんが」
「少しずつですね」
「少しずつ」エルノは頷いた。
翌朝、エルノは王都に向けて出発した。
城門の前でアオイに言った。
「また来ます。次は王都に来てください。治癒魔法師との話を進めたいのと…あと菌の話、まだ聞き足りないので」
「いくらでも話しますよ」
「それは楽しみです」エルノは馬に乗った。
「ミドリによろしくお伝えください」
「伝えます」
「伝わりますか」
「たぶん」
「たぶん、ですか」エルノは笑った。
エルノが乗った馬が城門を出て、道を進んでいく。やがて見えなくなった。




