第四十七話「王都の風」
※マリエル目線のお話です。
マリエルは王都の自室で手紙を書いていた。
アオイへの手紙だ。月に一度は書くようにしている。
王都に戻ってから、マリエルは少しずつ動いていた。
最初に変わったのはエルノだった。
ヴァンドル侯爵の息子エルノは、回復してから別人のように活発になった。以前から明るい性格だったが、アオイと話してから新たな方向を見つけたようだった。
騎士団の同期に話を広めていると、侯爵から聞いた。
「腐敗魔法の薬がなければ私は死んでいたかもしれない。それを忌み魔法と言い続けるのはおかしい」とエルノは同期に言っているそうだ。
若い騎士たちは素直に聞いた。魔物の傷から菌が入り込むことは、騎士にとって他人事ではない。腐敗魔法の薬が菌に効くと知れば、興味を持つのは自然なことだった。
騎士団の中で、腐敗魔法への偏見が少しずつ薄れていった。
次に変わったのは薬屋組合だった。
組合代表のハルト・ゲスナーは頑固な人物で、新しいものをなかなか受け入れない。マリエルも何度か話をしたが、腐敗魔法と聞くたびに顔を曇らせた。
変わったのは、侯爵がハルトに直接話をしてからだった。
侯爵は息子の命を救った薬のことを、組合代表に伝えた。感情的な話ではなく、事実として淡々と。治癒魔法で対処できなかった菌による感染が、腐敗魔法の薬で回復した。それだけのことを話した。
ハルトはすぐには変わらなかった。ただ以前のように頭ごなしに否定することはなくなった。
マリエルはそれで十分だと思った。すぐに変わることを期待しない。少しずつでいい。
マルタのハーブチーズも、思わぬ形で役立った。
グラウンから持って帰ったハーブチーズを、王都の知人たちに配った。珍しいものを土産にするのはよくあることなので、不自然ではなかった。
食べた人たちが美味しいと言った。どこのチーズかと聞かれたので、グラウンのチーズ職人が作ったものだと答えた。腐敗魔法を使う薬屋がある街だと付け加えた。
「腐敗魔法の街のチーズ」と最初は少し引く人もいた。ただチーズは美味しい。二度目には引かなくなった。
食べ物は正直だとマリエルは思った。美味しい物は素直に受け入れられる。
アオイから届いた薬を使う機会は、グラウンから戻って二ヶ月後に来た。
使用人の一人が高熱を出した。体の中に菌が入り込んだようで、治癒魔法師が対処できないと言った。
マリエルはアオイの飲み薬を使ったところ、三日後、使用人の熱が下がった。
使用人は泣いて感謝した。マリエルは腐敗魔法の薬だと正直に伝えた。使用人はしばらく黙って、それからもう一度感謝した。
こういうことが積み重なっていくのだとマリエルは思った。
侯爵に呼ばれたのは、そのしばらく後だった。
「エルノがグラウンに行きたいと言っている」と侯爵は言った。
「腐敗魔法の薬屋に話を聞きに行きたいとのことだ」
「エルノ様がですか…」
「アオイ殿との話によほど興味があるようだ」侯爵は少し苦笑した。
「菌とやらの話を、ずっと考えているらしい。治癒魔法師と腐敗魔法使いが協力すれば、今まで救えなかった命が救えると言っている」
「エルノ様らしいですね」
「許可しようと思っている。ただグラウンには伝手がない。マリエル殿に仲介をお願いできないか」
「もちろんです。辺境伯のライナス様に事前に連絡を入れれば、スムーズに動けます。私からお伝えします」
「助かる」侯爵は少し間を置いた。
「エルノが変わった。あの子がああいう話をするとは思っていなかった」
「アオイさんとの話がきっかけになったんだと思います」
「私も長年間違っていたかもしれないな…」侯爵は静かに言った。
夜、手紙の続きを書いた。
——エルノ様がグラウンに行きたいとおっしゃっています。侯爵様から仲介を頼まれましたので、ライナス様にご連絡を入れます。アオイさんに菌の話を聞きたがっているそうです。
追伸 ハーブチーズが王都で好評です。マルタさんによろしくお伝えください。——
ペンを置いた。
窓の外、王都の夜が広がっている。明るくて、賑やかで、グラウンとは全然違う。
マリエルはグラウンの夜を思い出した。星が多くて、静かで、土の匂いがした。
王都が変わるのはまだ先のことだ。ただ少しずつ変わっていると思う。
エルノが変わった。使用人が回復した。ハーブチーズが好評だった。薬屋組合のハルトが頭ごなしに否定しなくなった。
一つ一つは小さいことだ。ただ積み重なっていく。
マリエルは手紙を封筒に入れた。




