第四十六話「狙われた薬とグリムの群れ」
事が起きたのは、秋の深まった頃だった。
その日の午後、ライナスから使いが来て、城へ来るように言われた。
ライナスの執務室に通されると、ライナスとセドルが待っていた。セドルの顔が少し硬い。
「座れ」とライナスは言った。
「単刀直入に言う。ここ数日、グラウンの周辺で見慣れない人間が目撃されている」
「見慣れない人間というのは…」
「行商人でも旅人でもない。街の外をうろついていて、還り家の周辺も見ていたという報告があります」とセドルが言った。
「衛兵が確認しようとしたが、逃げた」
「還り家の周辺を…」
「そうだ。心当たりはあるか」とライナスは言った。
アオイは少し考えた。
「ないです」
「腐敗魔法の薬が王都で広まっている。それを快く思わない者がいる可能性がある」ライナスは静かに言った。
「ケルナ領という場所を知っているか」
「知りません」
「グラウンから西に三日ほどの場所にある領地です。王都の薬の流通に影響力を持っていて、腐敗魔法の薬が普及すれば、その影響力が下がります」とセドルが説明した。
「つまり…ケルナ領が関係しているかもしれないということですか?」
「可能性の話だ」ライナスは言った。
「確証はない。ただ念のため、しばらくは一人で外に出ないでほしい」
「薬草の採取があるんですが…」
「採取に行くときは衛兵を連れていけ」
「わかりました。還り家は大丈夫ですか」
「当面、夜間は衛兵を周辺に配置します。ご不便をおかけしますが、念のためということで」セドルは言った。
「ありがとうございます」
ライナスはしばらくアオイを見た。
「怖くないのか」
「怖いかどうかより、何が起きているのかが気になります」
「…お前らしいな。とにかく気をつけてくれ。一人で動くな」ライナスはため息をついた。
それから三日後の夜だった。
還り家で作業をしていると、外が少し騒がしくなった。
扉を開けようとしたとき、クラウスが外から声をかけてきた。
「中にいてください。還り家の裏手に不審な人間が二人いました」
アオイは中で待った。
十五分ほどして、クラウスが戻ってきた。
「一人は捕まえましたが、もう一人は逃げました。ライナス様に報告してきますので、アオイさんはここにいてください」クラウスは言った。
アオイは還り家の中で待った。作業台の上に薬草が並んでいる。いつもと同じ景色だ。ただ外が少し騒がしい。
しばらくして、外がまた静かになった。
翌朝、ライナスからセドルを通して報告があった。
「昨夜捕まえた人間を調べましたが、やはりケルナ領から来た者でした」セドルは言った。
「そうですか…」
「はい。目的は還り家の薬の製造記録を入手することだったようです。ライナス様が王都の伝手を通じてケルナ領に抗議します。ただし今後も警戒は続けます」
「わかりました」
アオイは少し考えた。
「製造記録というのは、薬の作り方ということですか」
「そうです。腐敗魔法の薬の製造方法を入手して、自分たちで売ろうとしていた可能性があります」
「腐敗魔法の使い手がいないと作れませんが…」
「そこまで考えていなかったのかもしれませんね。それか、使い手ごと連れていくつもりだったか…」
アオイは少し間を置いた。
「…後者は困りますね」
「ですので、警戒を続けます」セドルは言った。
「ありがとうございます。助かります」
その夜、また作業をしていると、外で音がした。
今度は衛兵の声ではなかった。
もっと低い、唸るような音だった。
続いて、複数の何かが動く気配がした。それから短い叫び声が聞こえて、すぐに静かになった。
「アオイさん、大丈夫ですか」クラウスが扉を叩いた。
「大丈夫です。何があったんですか」
「それが…」クラウスは少し戸惑った声で言った。
「よくわからないんですが、還り家の周辺に恐らく魔物だと思うのですが…複数いて、逃げようとした不審者を取り囲んでいました。私たちが駆けつけたときにはもう逃げられない状態で…」
「その魔物というのは」
「緑色の毛並みで、目が金色で…私たちが近づいたら森の方に消えていきました」クラウスは言った。
アオイは少し考えた。
「不審者は」
「怪我はしていません。ただ怯えていて、動けなくなっていました。あの魔物は何ですか」
「詳しくはわかりません。ただたぶん、こちらの味方だと思います」
「味方ですか…」
「はい」
クラウスはしばらく黙った。
「……わかりました。ライナス様に報告してきます」
翌朝、ライナスに呼ばれた。
「昨夜、還り家周辺にいた魔物について、心当たりがあるか」とライナスは言った。
「あります」
アオイはミドリのことを話した。森で傷を治療したこと、薬草を持ってくるようになったこと、アーゴからグリムだと教えてもらったこと。
ライナスはしばらく黙って聞いていた。
「グリムか」
「そうだと思います」
「昨夜来たのは五、六頭だったと衛兵から聞いた。群れで来たのか」
「アーゴさんが、一頭と縁ができると群れ全体がこちらを認識すると言っていました」
「なるほど」ライナスは少し間を置いた。
「つまりお前がグリムを助けたことが、昨日の行動につながっているのか」
「たぶんそうだと思います」
「グリムがお前を守ったということか。腐敗魔法で傷を治療したことが、こういう形で返ってくるとはな…」
「私もそう思います」
ライナスはしばらく窓の外を見た。
「ケルナ領への抗議は続ける。ただ昨夜のことを考えると、向こうもそう簡単には動けないだろう」
「そうですね」
「お前は本当に面白いことを引き寄せるな」ライナスはため息をついた。
「グリムに礼を言う方法はあるのか」
「名前を呼ぶと気配を感じ取れるようです」
「名前をつけたのか」
「ミドリと呼んでいます」
ライナスは少し口元を動かした。
「そのままだな」
「シンプルな方がいいと思いまして」
「まあいい」ライナスは書類に目を戻した。
「当面の警戒は続けるが、グリムのことは衛兵にも伝えておく。あの生き物が来ても驚かないように」
「ありがとうございます」
「帰っていい。また何かあれば知らせてくれ」
その夜、還り家の前に薬草が置いてあった。
アオイは薬草を手に取って、森の方向を向いた。
「ミドリ」と呼んだ。
遠くの森の方で、何かの気配がした。一頭ではなく、複数の気配だった。
「昨夜はありがとうございました。薬草もいつもありがとうございます」
風が吹いて、茂みが揺れた。
またいつもの静かな夜に戻った。




