第三十七話「リコの失敗」
リコが植物魔法を使い始めて三ヶ月が経った。
最初はガルの畑で、アオイと一緒にやっていた。
植物の状態を感じ取ること、根の張り方を確認すること、水や養分が足りているかを判断すること。少しずつできることが増えていた。
アオイが見ている限り、リコの才能は確かだった。感じ取る精度が上がるのが早い。植物への愛着もある。ベアが言っていた通り、好きなものに関わる魔法は伸びが早い。
一ヶ月前から、リコは一人でやることも増えていた。
「アオイさんがいなくても、畑の状態がわかるようになってきた」とリコは言っていた。
「それはいいですね。何かあったらすぐ声をかけてください」とアオイは言った。
「わかりました」
その「何か」が起きたのは、冬の終わりの頃だった。
朝、還り家の扉がいつもより強く開いた。
アオイが振り返ると、リコが立っていた。顔が青い。
「どうしましたか」
「畑が、畑が大変なことになって」とリコは言った。息が少し乱れている。
「何がありましたか」
「やってみたかったことがあって、一人でやってみたんですが、うまくいかなくて」
「何をやりましたか」
「植物魔法で、根を深く張らせようとしたんです。アオイさんと一緒にやったことがあったから、一人でもできると思って」
「根を深く張らせる処置ですね。それがうまくいかなかった?」
「うまくいかなかったどころか」リコは俯いた。
「根が変な方向に伸びて、隣の区画の作物の根と絡まって、両方が弱ってきて」
「見せてもらえますか」
「はい」リコは走り出した。
ガルの畑に着くと、確かに様子がおかしかった。
一つの区画で、麦の葉が黄色くなりかけている。隣の区画の野菜も、しおれた感じがある。
アオイは地面に手を当てた。腐敗魔法で確認する。
根が複雑に絡まっていた。リコが植物魔法で根を深く張らせようとした結果、根が横方向にも広がって、隣の作物の根域に入り込んでいる。互いの根が栄養を奪い合っている状態だ。
「なるほど」とアオイは呟いた。
「どうですか」とリコが横で心配そうに聞いた。
「根が絡まっています。互いに栄養を奪い合っている状態です」
「直せますか」
「直せます。ただ少し時間がかかります」
「お父さんにまだ言っていなくて…どうしよう」リコは俯いた。
「言った方がいいです」
「怒られます」
「怒られると思います」
アオイは少し考えた。
「ただ怒られた後の話をすると、今回のことで根の張り方を実際に体験できました。失敗は経験になります」
「それは怒られた後の話ですよね」
「そうですね」
リコはため息をついた。
アオイは処置を始めた。
腐敗魔法で根の状態を確認しながら、絡まった部分を少しずつほぐしていく。直接根を動かすことはできないが、根の周囲の土壌菌のバランスを調整して、根が自然に引き戻される環境を作ることはできる。
「これ、植物魔法でも手伝えますか」とアオイはリコに聞いた。
「できますか」とリコは目を上げた。
「根の状態を感じ取りながら、引き戻す方向に少し誘導できないですか。腐敗魔法で土壌菌を調整しながら、植物魔法で根を誘導すれば、一人でやるより早く解決できると思います」
「やってみます」
リコが地面に手を当てた。目を閉じて、集中する。
「感じ取れます。絡まってる」とリコは言った。
「その状態から、少しずつ自分の区画の方向に誘導してみてください。無理に引っ張らなくていいです。そっと、という感じで」
「そっと」リコは集中した。
「こんな感じですか」
アオイは腐敗魔法で確認した。根が少しずつ動いている。
「いいですね。その感じで続けてください」
三十分ほどかけて、絡まりが解消された。
両方の区画の根が、それぞれの領域に戻っている。葉の色もすでに少し戻り始めていた。
「直りました」とアオイは言った。
「よかった。ありがとうございます」リコはほっとした顔をした。
「リコさんが手伝ってくれたおかげで早く終わりました」
「でも自分のせいで問題が起きたので」
「そうですね」アオイは地面を確認しながら言った。
「なぜ根が横方向に広がったかわかりますか」
「わからないです」
「根を深く張らせようとするとき、下方向だけに誘導しないといけません。今回は力の加え方が全方向に広がってしまった。深く、という感覚が縦方向だけでなく横方向にも伝わってしまったんだと思います」
「どうすれば縦方向だけに伝えられますか」
「イメージの問題だと思います。根が下に向かって伸びていく様子を具体的に思い描きながらやると、方向が定まりやすいかもしれません」
「根が伸びていく様子を思い描く」リコは少し考えた。
「やってみます」
「ただし次は必ず私に声をかけてからやってください」
「はい」リコは素直に頷いた。
そこにガルが畑に来た。
様子がおかしいことに気づいたのか、眉を寄せている。
「何があった」とガルは言った。
リコが深く息を吸った。
「お父さん、ごめんなさい。一人で植物魔法を使って、畑を傷めてしまいました」
ガルはしばらくリコを見た。それから畑を見て、アオイを見た。
「直っているか」
「直りました。作物への影響は最小限で済んでいます。収穫にはほぼ影響ないと思います」とアオイは言った。
「そうか」ガルは腕を組んで、リコを見た。
「なんで一人でやった」
「できると思って」
「できると思ったのか、確認するのが面倒だったのか、どっちだ」
リコは黙った。
「両方です」とリコは小さく言った。
ガルはため息をついた。
「正直に言ったのはよかった」
「怒らないんですか」
「怒っている。ただ怒鳴っても仕方ない。直ったんだろう」ガルは静かに言った。
「直りました」
「アオイさんに謝れ」
「アオイさん、ごめんなさい。朝早くから呼び出してしまって」
「大丈夫です。勉強になりました」
「なんで勉強になるんだ」とガルが言った。
「根の絡まり方の観察ができたので」
ガルは少し呆れた顔をした。
「……変わった人だな、相変わらず」
帰り道、リコがアオイの隣を歩いた。
「アオイさん」
「なんですか」
「失敗して、よかったことがありましたか」
アオイは少し考えた。
「ありました」
「なんですか」
「根の絡まりを実際に見られたこと。それからリコさんと一緒に処置できたこと。植物魔法と腐敗魔法の連携がまた少しわかりました」
「私は失敗しただけですが」
「失敗から学べることがあります。失敗したことが次に役立てば、失敗した意味があります」
「今回の失敗は、次に役立てられますか」
「役立てられます。根を縦方向に誘導するイメージを練習してください。私も土壌菌の調整と植物魔法の連携をもう少し研究します」
「一緒に研究するんですか」
「やりましょう。植物魔法と腐敗魔法の組み合わせは、まだわかっていないことが多いので」
リコは嬉しそうな顔をした。
「じゃあ失敗してよかったですね」
「よかったかどうかは微妙ですが、悪くはなかったです」
「アオイさんらしい答えですね」
「そうですか」
「そうです」リコは走り出した。
「また来週、畑で練習しましょう」
「来週はベアさんも一緒に来てもらいましょう。薬草の区画も診てもらえます」
「ベアさん、怖いんですよね少し」
「怖くないです。厳しいだけです」
「どう違うんですか」
「厳しいのは期待があるからです」
リコはしばらく考えた。
「……じゃあ大丈夫ですね」
「大丈夫です」
リコは手を振って、畑の方向に走っていった。
還り家に戻ったアオイは、リコのことを考えた。
三ヶ月前に比べて、格段に成長している。感じ取る精度が上がって、植物への理解も深くなっている。今日の失敗も、次につながる経験だ。
「いい魔法使いになりそうだ」と呟いた。
腐敗魔法の使い手が誰かを助けられることを、オルヴァは願っていたかもしれない。




