第三十六話「飲み薬への挑戦」
抗菌軟膏が完成してから一ヶ月後、アオイは飲み薬の開発を始めた。
軟膏は傷口の菌に対しては有効だった。東の村の村長からも「助かっている」と報告が来た。ただ体の中に入り込んだ菌には対応できない。
発熱、腹痛、喉の感染。菌が体の内側で増殖した場合は、腐敗魔法で直接処置するか、自然に回復するのを待つしかなかった。
飲み薬があれば、そういう場面でも対応できる。
ただし飲み薬は軟膏より格段に難しい。
肌に塗るのと、体の中に入れるのは全然違う。不純物が残れば体に害を及ぼす可能性がある。効き目が強すぎても、弱すぎてもいけない。
「慎重にやらないといけませんね」とアオイはベアに言った。
「ああ。そうだ」とベアは言った。
「ただし急ぐな。失敗したときの代償が軟膏より大きいからな」
「はい。急ぎません」
「本当か」
「本当です。飲み薬で誰かに害が出たら取り返しがつかないので」
まず問題を整理した。
軟膏と飲み薬の違いをノートに書き出す。
軟膏は皮膚に塗るので、不純物が多少あっても炎症程度で済む。でも飲み薬は胃腸から吸収されて血液に入る。不純物が血液に入ると、最悪の場合は命に関わる。
「精製の精度を軟膏より格段に上げる必要があります」とアオイはベアに言った。
「どうやって精度を上げる」
「腐敗魔法で不純物を一つ一つ特定して、取り除きます。ただ今まで以上に細かい作業になります」
「時間がかかるな」
「かかります。あと…」アオイは少し間を置いた。
「実際に飲む前に、安全性を確認する方法が必要です」
「どうやって確認する」
「動物で試す方法がありますが…」アオイは言いにくそうに言った。
「それは避けたいので、別の方法を考えています」
「別の方法とは」
「腐敗魔法で体の中の反応を確認できます。少量を自分で飲んで、腐敗魔法で確認すれば」
ベアが鋭い目をした。
「自分で飲むのか」
「少量なら大丈夫だと思います」
「思います、か」
「恐らく…」
「まず私が飲む」
「ベアさんが?」
「長く生きてきた体だ。多少のことには耐えられる」
「…それは理由になっていないですが」
「お前より私の方が薬の知識がある。体の変化を正確に言語化できる。それが理由だ」とベアは言った。
アオイは少し考えた。確かにベアの方が体の変化を言語化する経験が豊富だ。
「わかりました。ただし本当に少量からです」
「当たり前だ」
開発は三段階に分けて進めることにした。
第一段階は培養と抽出。
軟膏と同じアオカビを使うが、今回は抽出の工程を変えた。水ではなく、発酵液を使って成分を溶かし出す。発酵液の方が有効成分が溶けやすいとアオイは考えた。
「なぜ発酵液を使うんだ」とベアが聞いた。
「有効成分の化学的な性質から考えると、水より発酵液の方が溶けやすいと思います。あと発酵液自体にも菌の増殖を抑える効果があるので、相乗効果が期待できます」
「発酵液とはどんなものだ」
「野菜や果物を発酵させた液体です。乳酸菌が多く含まれています」
「乳酸菌は体にいいのか」
「はい。腸の菌のバランスを整える効果があります。飲み薬に使えば、抗菌効果と合わせて腸の回復も助けられるかもしれません」
一週間かけて、発酵液を使った抽出を試みた。
結果は軟膏のときより有効成分の濃度が高かった。
「いいですね。軟膏のときより抽出できています」とアオイは言った。
「不純物は」
「軟膏のときより多いですので、精製が必要です」
「どのくらい精製が必要だ」
「腐敗魔法で確認しながら、一つ一つ取り除いていきます。時間がかかりますが、確実にできます」
「何日かかる」
「わかりません。精製は終わりが見えないので。ただ有害な不純物がなくなったと腐敗魔法で確認できたら、終わりにします」
第二段階は精製だった。
これが一番時間がかかった。
アオイは毎日、抽出液に腐敗魔法を使い続けた。有害な不純物を一つ一つ特定して、分解していく。細かい作業で、集中力がいる。
五日目、ベアが還り家に来た。
「どうだ」
「だいぶ減ってきました。でもまだ少し残っています」
「急ぐな。ゆっくり確実に作業することだ」
「急いでいないです。ただ終わりが見えないのは少し大変で」
「研究とはそういうものだ」ベアは言った。
「終わりが見えないまま続けて、ある日突然見えてくる」
「そうですね」アオイは腐敗魔法を使いながら言った。
「ベアさんはそういう経験がありますか」
「何度もある」ベアは椅子に座った。
「薬草師を五十年やっていると、何度もそういう場面がある。続けていれば、お前もそうなるだろう」
七日目、精製が終わった。
腐敗魔法で確認すると、有害な不純物がほとんど感じ取れない。
「できたと思います」とアオイは言った。
「本当か」
「腐敗魔法で確認した限りでは。ただ確かめるには実際に飲んでみないとわからないです」
「では第三段階だな。私が飲む」
ベアは立ち上がった。
「本当にいいですか」
「言っただろう」
「少量からです。本当に少量から」
「わかっている」
アオイは精製した液体を、小さな瓶に一滴だけ垂らした。水で百倍に薄めた。
「これを飲んでもらえますか」
「これだけか」
「最初はこれだけです」
「水じゃないのか」ベアはちらりと言った。
「水じゃないです。ただ薄めているので、味はほぼ水だと思います」
ベアは一口飲んだ。
「確かに水だな」
「体の変化を教えてください。何か感じたらすぐに言ってください」
「わかった」
アオイは腐敗魔法でベアの体の状態を確認した。何か異常が出ないか、注意深く見守る。
五分経った。
「何も感じないな」とベアは言った。
アオイはほっとした。
「では少し濃くします」
三日かけて、少しずつ濃度を上げていった。
ベアは毎回体の変化を丁寧に言語化してくれた。
「少し胃が温かくなる感じがする」
「それは乳酸菌の効果だと思います」
「喉に少し甘みが残る」
「有効成分の一部が甘味を持っているかもしれません。ベアさん、鋭いですね」
「長年の経験だ」
三日目、適切な濃度が決まった。
腐敗魔法で確認すると、この濃度で菌への抑制効果が十分出ている。体への影響も問題ない。
「これだと思います」とアオイは言った。
「体への影響はなかった…ただ一つ言うと」
「なんですか」
「…少し苦い」
「苦いですか」
「薄めの苦みだ。飲めない苦さではないが、気になる人はいるかもしれない」
「薬草で苦みを和らげますか」
「蜂蜜を少し加えてもいいかもしれない」
「蜂蜜ですか」
「甘みで苦みを和らげる。子供に飲ませるときも飲みやすくなる」
「なるほど。試してみます」
蜂蜜を加えた飲み薬も作って、ベアに確認してもらった。
「飲みやすくなった。これでいいだろう」とベアは言った。
「ありがとうございます」
アオイは完成した飲み薬を小瓶に入れた。
「ベアさんがいなかったら完成しなかったです」
「私は飲んで感想を言っただけだ」
「それが一番重要でした」
ベアは少し黙った。
「お前は人に礼を言うのが上手だな」
「そうですか?ありがとうございます」
「褒めているわけではない。ただそう思っただけだ」
ベアはため息をついた。でも口元が少し動いていた。
完成した飲み薬を棚に並べた。小さな瓶が六本。蜂蜜入りで、薄い黄色をしている。
「抗菌飲み薬」とアオイはノートに書いた。
「アオカビ由来抗菌物質と乳酸菌発酵液の組み合わせ。蜂蜜で苦み調整。体内の菌の増殖を抑制。一日三回、食後に服用。」
値段はベアと相談して銀貨三枚にした。
「軟膏より高いですね」
「作るのに三倍時間がかかっただろう」とベアは言った。
「そうですね」
「それが値段だ」
「わかりました」
翌日、ゴルドに飲み薬ができたことを伝えた。
「本当に完成したのか」とゴルドは言った。
「できました。ベアさんに協力してもらって」
ゴルドは飲み薬の瓶を手に取った。
「色が綺麗だな」
「蜂蜜を入れたので」
「味は」
「少し甘くて、後から少し苦いです」
「飲んでみていいか」
「どうぞ。一口だけなら問題ないです」
ゴルドは一口飲んだ。少し考えるような顔をした。
「悪くない」
「よかったです」
「頑張ったな」と言ってゴルドは瓶を棚に戻した。
その夜、アオイは一人になってから考えた。
魔力切れで誰かを助けられなかったあの夜から始まった話だ。
今は魔力が切れても、薬で対応できる。
完璧ではない。全ての菌に効くわけではないし、重症の場合は腐敗魔法での処置が必要だ。
でもないよりはずっといい。




