第二十八話「魔法使いの旅人が来た」
ある朝、還り家に二十代後半くらいの見慣れない女性が来た。
旅装束を着ていて、髪が長く腰まであり、背中に大きな荷物を背負っていた。杖を持っていて、先についている小さな石が、うっすら光っていた。
魔法使いだとアオイはすぐにわかった。腐敗魔法で感じると、この女性から魔法的な気配がする。
「ここに腐敗魔法の使い手がいると聞いてきました」と女性は言った。
「私ですが…」
「あなたがそうですか」
「はい」
「本当に?」
女性はしばらくアオイを見た。何か確認するような目だ。
「魔法の気配がする。でも腐敗魔法って、こんな感じなんですね。もっとどろどろした感じかと思っていました」と女性は言った。
「どろどろはしていないですね」
「そうみたいですね」
女性は荷物を下ろして椅子に座った。
「私はシャナといいます。旅の魔法使いです」
「還り家のアオイです。お茶を入れますね」
「ありがとうございます。いただきます」
お茶を飲みながら、シャナが話した。
「私は光魔法の使い手です」
「光魔法とはどんな魔法ですか?」とアオイは興味深そうに言った。
「光を操る魔法です。照らしたり、集めたり、熱に変えたり」
シャナは杖の先の石を見た。
「これも光魔法で常時発光させています」
「便利ですね」
「暗いところでも困らないので。ただ」シャナは少し苦笑した。
「目立つんですよね、夜に光ってると」
「確かに」
「腐敗魔法も目立ちますか?」
「魔法を使うと目立ちます。ただ光らないので、知らせなければわからないです」
「腐敗魔法、見せてもらえますか」
「どんな使い方を見たいですか」
「何でも」
アオイは薬草液の仕込みをしながら、腐敗魔法を使って見せた。
発酵を促進する、雑菌を分解する、菌の状態を確認する。一つ一つ説明しながらやった。
シャナは身を乗り出して見ていた。
「面白い。光魔法と全然違う」とシャナは言った。
「光魔法はどんな感じですか」
「瞬間的です。光を出す、集める、消す。でもあなたの魔法は時間をかけて変化させていく感じがする」
「発酵は時間をかけるものなので」
「菌が動いているのが感じ取れますか」
「感じ取れます。種類も、活性状態も、だいたいわかります」
「すごい」シャナは目を輝かせた。
「私は光しかわからない。光の強さ、方向、波長くらいで」
「波長がわかるんですか」
「わかります」
「それはすごいですね」アオイはノートを取り出した。
「少し聞いてもいいですか」
「私もいろいろ聞きたいです」
「では交互に」
「いいですね」
気づいたら二時間以上経っていた。
アオイはノートに光魔法についての記録を書き込んでいた。シャナも自分のノートに何かを書いている。
「腐敗魔法と光魔法、意外と共通点があるんですね」とシャナは言った。
「そうですね。どちらも目に見えないものを操る、という点では似ています」
「菌と光か…確かに似ているかもしれない」
「光魔法で発酵を促進できるか試してみたいです」
「そんな事できるんですか?」
「光の波長によっては菌の活性に影響します。紫外線は菌を殺しますが、特定の波長の光は逆に活性化させることがあります」
「紫外線って何ですか」
「光の種類です。目に見えない光で——」アオイは少し考えた。
「波長が短くてエネルギーが強い光、とでも言えばいいのかな」
「目に見えない光か」
シャナは興味深そうな顔をした。
「そういう光も操れるかもしれない。試したことがなかったです」
「試してみますか」
「やってみたいです」
シャナは杖を構えた。
「どの瓶に当てればいいですか」
「この発酵液に。ただ強すぎると菌が死ぬので、弱めでお願いします」
「弱めにします。どのくらいですか」
「わからないです。やってみながら確認します」
シャナが光魔法で発酵液に特定の波長の光を当て、アオイが腐敗魔法で菌の状態を確認する。
「少し活性が上がりました」とアオイは言った。
「本当に?」とシャナが身を乗り出した。
「この波長だと菌が少し元気になります。ただ長時間当てると逆に疲弊するかもしれないので、間欠的に当てた方がいい」
「間欠的に?」
「少し当てて、休ませて、また当てる。そういうリズムで」
「やってみます」
シャナは集中した。光が瞬いた。点滅するように、リズムよく光が発酵液に当たる。
「いいですね。菌の活性が安定して上がっています」
「本当に?光魔法で発酵を助けられるとは思わなかった」と言ってシャナは嬉しそうな顔をした。
「私も光魔法が発酵に使えるとは思っていなかったです」
「魔法って組み合わせると面白いですね」
「そうですね。腐敗魔法と光魔法でこういうことができるなら、他の魔法との組み合わせも面白そうです」
「他に魔法使いの知り合いはいますか」
「いないです」
「私もほとんどいないです。魔法使いって少ないので、なかなか会えなくて」
シャナは少し寂しそうな顔をした。
「旅をしているのはそのためですか」
「一つは。他の魔法使いに会いたくて旅をしている部分はあります」
シャナはアオイを見た。
「腐敗魔法の使い手に会ったのは初めてです」
「私は他の魔法使いに会ったのはほぼ初めてです」
「ほぼ?」
「カルロスというヴェラン家の人間に会いましたが、あれは少し特殊な状況で」
「どんな状況ですか」
アオイはヴェラン家の一件を話すと、シャナは目を丸くしながら聞いていた。
「縮封術を腐敗魔法で解除したんですか…」
「はい」
「それはすごい」
シャナは感心した顔をした。
「縮封術って最上位の禁術でしょう。それを解除できるなら、腐敗魔法って相当汎用性が高くないですか?」
「汎用性が高いかどうかはわからないですが、菌と有機物と魔法的な構造物に対しては割と何でもできます」
「割と何でも、か…凄いことをサラッと言いますね」
シャナは笑った。
昼になったのでアオイは昼食を作った。
発酵調味料を使った野菜の炒め物と、ハンスのパンと、マルタのハーブチーズだ。
「お昼一緒に食べませんか」とアオイは聞いた。
「ありがとうございます」
シャナは遠慮なく食べた。
「美味しい。なんか深みがある」
「発酵調味料を使っているので」
「これも腐敗魔法で作ったんですか」
「発酵を促進するのに使いました。あと調味料の成分調整にも」
「料理にも使えるんですね」
シャナはハーブチーズを一口食べた。
「これも美味しい。このチーズ、魔法を使っていますか」
「チーズ屋のマルタさんが作っています。私は熟成管理を手伝っているだけです」
「チーズの熟成管理…腐敗魔法で何でもやるんですね」
シャナは少し呆れた顔をした。
「腐敗と発酵は紙一重なんですよ。光魔法だと明暗は紙一重、とか言えるかもしれないですね」
「そうなんですよ。明るくするのも暗くするのも同じ魔法なので」と言ってシャナは嬉しそうな顔をした。
「わかってくれる人が初めていました。普通の人には伝わらないんです。光魔法で暗くできると言うと、みんな怖がって」
「なぜですか」
「光を消せるなら真っ暗にできるということで、暗闇が怖い人には嫌な能力に見えるみたいで」
「腐敗魔法が怖がられるのと似ていますね」
「似ていると思います」とシャナは頷いた。
「腐敗という言葉が怖い。でも実際は発酵もできる。光魔法も同じで、暗くもできるけど明るくもできる…シャナさんが会いに来てくれてよかったです」
「私もよかった」シャナは杖の先の光を見た。
「いろいろ試せたし、美味しいものも食べられたし」
「また一緒に実験しましょう。光魔法と腐敗魔法の組み合わせ、まだやれることがありそうなので」
「絶対また来ます」
シャナは立ち上がった。
「次はここに泊まってもいいですか」
「いつでもどうぞ」
「ありがとうございます」
夕方、ゴルドが様子を見に来ると、還り家に見慣れない女性がいた。
杖の先が光っている。ゴルドは一瞬固まった。
「…誰なんだ」
「シャナといいます。光魔法の使い手で旅をしています」
「光魔法か…」
ゴルドはアオイを見た。
「どこで拾ってきた…」
「失礼なこと言わないでください。来てくれたんです」
ゴルドはシャナを見た。
「今夜の宿はあるか」
「今日はもう失礼しようかと思っていて…」
「うちに泊まれ」とゴルドはあっさり言った。
「客間がある」
「いいんですか」とシャナが驚いた顔をした。
「魔法使いが二人いると何かと便利そうだ…それだけだ」
「ありがとうございます…」
「礼はいい。飯食うか?」
「はい。いただきます」
ゴルドはアオイを見た。
「お前も来い」
「はい」
三人は醸造所に向かって歩いた。グラウンの夜は静かで、星が多い。
シャナの杖が夜道を明るく照らしていた。




