第二話「辺境の街、グラウン」
異世界への転移は一瞬だった。
光に包まれたと思ったら、もう別の場所に立っていた。さっきの森とは違う。開けた草原で、遠くに山脈が見える。空は青いが、太陽が二つある。なるほど異世界だ、とアオイは思った。
足元の草を一本抜いて、匂いを嗅いだ。青臭い。地球の草と大差ない。次に土を少し掘って、指で触れた。しっとりしていて、有機物が豊富そうな黒土だ。菌が元気に生きていそうな感触がある。
「いい土だ」
アオイは満足して立ち上がった。
目的地はないが、とりあえず歩くことにした。なんとなく人がいそうな方向へ向かえばいいだろう。神様から地図はもらえなかったが、川を見つければ下流に集落があるはずだ。それは異世界でも変わらないと思う。
三十分ほど歩いたところで、川を見つけた。
川沿いにさらに一時間歩くと、小さな集落が見えてきた。石造りの建物が十数軒、柵で囲まれた畑、井戸。人の声がする。
アオイが近づいていくと、畑仕事をしていた中年女性が気づいて固まった。
「あの、こんにちは」とアオイは言った。
女性は叫んで逃げた。
次に出てきた男性も、アオイを見た瞬間に顔色を変えた。白衣が怪しかったのかもしれない。
結局、村の入口に屈強な男が三人出てきて、アオイは追い払われた。
「よそ者は街へ行け。ここから東に半日だ」
「わかりました。ありがとうございます」
アオイは礼を言って東へ歩いた。追い払われたことより、東に街があることがわかったのが収穫だった。
半日歩いて、街に着いた。
グラウン、という名前らしかった。城門に小さな看板が掛かっていて、かすれた文字でそう書いてある。門番の若い兵士が眠そうに立っていた。
「旅の方ですか」と門番は言った。
「そうです。少し休ませてもらえますか」
「身元を証明できるものはもっていますか」
「もっていません」
門番は少し困った顔をした。それからアオイをじっと見た。危険そうな様子は全くない。
「まあ辺境だしな」と門番は呟いた。
「変な服だけど、悪い人には見えないし」
「ありがとうございます」
こうしてアオイはグラウンの街に入った。
街の第一印象は、少し寂れているということだった。
道は石畳だが、あちこちが割れている。店は開いているが、客が少ない。建物の壁には蔦が這っていて、補修された跡があちこちにある。それでも人々は普通に生活していて、子供が走り回っている。
アオイは歩きながら街の匂いを嗅いだ。
路地を一本曲がったとき、ふと足を止めた。
すぐ近くから、発酵の匂いがする。
小さな醸造所があった。樽が積まれていて、扉の隙間から酸味のある香りが漏れている。アオイは思わず深呼吸した。
「いい匂いだ」
「そうか? 俺はもう慣れすぎてわからん」
声がして振り返ると、樽を抱えた60代くらいの男が立っていた。顎に無精髭、エプロンに染み。醸造師だろう。
「ここで何を作っているんですか」
「果実酒だ。売れないけどな」とおじさんは言った。
どこか諦めたような声だった。
「商人がなかなか来ない。来ても買い叩かれる」
「味が問題なんですか、それとも流通が問題なんですか」
男は少し驚いた顔をした。
「……両方だな。発酵がうまくいかないことが多い。酸っぱくなりすぎたり、濁ったり」
「見せてもらえますか」
「なんでだ。あんた、何者だ」
アオイは少し考えた。
「発酵が得意な旅人です」
男はしばらくアオイを見た。
「……まあ、いいか。入れ」
こうしてアオイは、グラウンでの最初の人間関係を醸造師のおじさんと結んだ。今夜の宿も何も決まっていなかったが、アオイは特に焦っていなかった。楽観的な性格で、心配するという発想がなかった。




