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ポンコツ海賊令嬢と人魚姫のドタバタ航海記――この恋、沈没寸前です!――  作者: 明石竜


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22/23

Voyage 22 自由航路のはじまり

 しばらくして、船の揺れが落ち着いてきた。

 珊瑚宮を離れた海は、さっきまでより少し明るく見えた。帆は安定して風を受け、シーラビット号は北東へまっすぐ進んでいる。

 ミルフィナは舳先から海を見ていたが、何かを思い出したように振り向いた。

「リヴィアさん」

「何」

「海の聞き方の残り四回、いつ教えますか」

「今夜から始めましょう」

「今夜から?」

「四回残ってる。早く全部教えてもらいたい」

「急ぎますか」

「急がない。でも、全部聞きたい」

「全部聞いたら、どうしますか」

「また最初から教えてもらう」

「最初から?」

「一回聞いただけでは覚えられないわよ。何度も聞かないと」

「何度でも教えます」

「じゃあ、何度でも聞く」

 ミルフィナは少しだけ目を丸くしたあと、嬉しそうに笑った。

「何度でも来てください」

「来る。毎晩」

「毎晩ですか」

「ダメ?」

「ダメではありません。嬉しいです」

「また嬉しいって言う」

「嬉しいので」

「分かった」

そこで、補助の操舵をしていたたこまるが、八本の足のうち一本を器用に舵へかけたまま口を挟んだ。

「おまえら、毎晩甲板で海の授業か。波穏やかな夜が続くといいな」

「続くといいわね」

 ミルフィナは少し目を閉じた。風の音を聞くように、耳を澄ませる。

「続きますよ。今の海流なら、しばらく穏やかです」

「読んでくれたの?」

「はい。三日は穏やかです」

「では、三回は確実に教えてもらえる」

「はい。三回は確実です」

「残り一回は?」

「その次の海流次第です」

「じゃあ、穏やかな海流が続くように、あなたが歌えばいい」

「それは、少し反則です」

「反則でもいいわよ。あなたの歌なら」

ミルフィナは困ったように笑った。嬉しさとためらいが、同じ顔の中にある。

「……では、考えます」

「考えて」

「考えた結果、少しだけ歌うかもしれません」

「少しだけ?」

「あまり操作すると、自然な流れが乱れます。でも、少しだけなら」

「少しだけ歌って」

「はい」

 そのやり取りを聞いていたたこまるが、少しだけ声を低くした。

「海を操作するのは、あまり勧めないが」

「少しだけです」

「少しだけなら、まあ」

「はい。少しだけ」

「ただし、疲れたら止めろ」

「止めます」

「約束しろ」

「約束します」

「よし」

 リヴィアは舵を握った。

 前を向いた。水平線が続いていた。雲がなければ、水平線は遠くまで見えた。その先に、港町がある。その先に、見たことのない海域がある。深海図書館から写した海図に、いくつかの場所が記されていた。

「次、どこへ行きましょうか」

「港町のあと?」

「はい」

「ローザの海図に、気になる場所がいくつかある。巨大亀の背中に町があるっていう場所」

「巨大亀の背中に?」

「そう。クジラの背中に図書館があったんだから、亀の背中に町があっても不思議じゃない」

「行きたいです」

「行きましょう」

「他には?」

「幻の港町という記録がある。霧の中にある港で、迷い込んだ船だけが入れると書いてある」

「迷い込まないといけないのですか」

「そうらしい。わたし、方向音痴だから、迷い込む可能性は高い」

「……それは、強みですか」

「この場合は強みよ」

「では、方向音痴は今後も維持してください」

「維持するわよ、意図しなくても」

 ミルフィナが笑った。

「他には?」

「星が降る海、という場所がある。夜、空の星が海に降ってきて、水面に浮かぶらしい」

「見たいです」

「見ましょう」

「リヴィアさんと一緒に見たいです」

「一緒に見るわよ」

「約束ですか」

「約束よ」

「では、楽しみにしています」

「楽しみにして」

「ずっと楽しみにしていていいですか」

「いいわよ」

「着くまでの間、ずっと楽しみにしています」

「着いたら、もっと楽しい」

「そうですね」


 ピピが甲板を走り回っていた。ベルが黙って甲板の傷を確認していた。ネリネが手帳に何かを書いていた。

ミルフィナは舳先の方で、海流の音を確かめるように目を閉じていた。たこまるは補助の操舵をしながら、遠くを見ていた。

「たこまる」 

リヴィアが呼んだ。

「何だ」

「遠くを見てる。何が見える?」

「何も見えない。水平線だけだ」

「何を考えてる?」

「何も考えていない。ただ見ている」

「ただ見ることも、あるのね」

「ある。考えすぎると疲れる。たまにただ見る」

「いい習慣ね」

「そうかもしれない」

「わたしも、たまにただ見る」

「知っている。おまえは水平線をよく見る」

「見てた?」

「見ていた。この旅で何度も見ていた」

「観察してたのね」

「観察が得意だと言っただろう」

「そうね。言ってた」

「ミルフィナも水平線を見るようになった」

「そうね。最初の頃は、下ばかり見ていた」

「今は前を見る」

「変わったのね」

「変わった。おまえもだ」

「わたしも?」

「おまえは、最初は水平線の先に何があるかを見ていた。今は、水平線そのものを見ている」

「違いが分かる?」

「分かる。目の焦点が違う。先を見る時と、今を見る時は、目が違う」

「……今を見るようになった?」

「そうだ。先ばかり見ていると、今が見えなくなる。今を見るようになると、先も分かってくる」

たこまるは補助の操舵を続けたまま、水平線から目を離さなかった。

「ミルフィナのおかげかもしれない」

「そうかもしれない。ミルフィナは今をよく見る。おまえはそれを見ていた」

「感染したのね」

「感染、というよりは、影響を受けた」

「同じじゃない?」

「少し違う。感染は意図せず広がる。影響は受け取ったということだ」

「……受け取った、ということね」

「そうだ」 


しばらく、波の音だけが間に入った。

 その声が聞こえたのか、ミルフィナが舳先から戻ってきた。

「何を話していましたか」

「あなたの話よ」

「私の?」

「あなたから影響を受けた、という話」

「どんな影響ですか」

「今を見るようになった」

「今を見る?」

「水平線の先ばかり見ていたのが、今の海を見るようになった、ということよ」

「よかったです」

「なんで?」

「今の海が、綺麗だから。今を見れば、綺麗なものが見えます」

「そうね」

「では、これからも今を見てください」

「見る。あなたが隣にいれば、見やすい」

「隣にいます」

「いて」 

「います」

リヴィアは少しだけ視線を逸らし、また海を見た。

「おれも今を見ることにする」

 たこまるが、急に真面目な声で言った。

「たまにでいいわよ」

「たまにじゃなく、いつもにする」

「いつも?」

「今を見ていれば、料理の素材も分かりやすい。今の食材が何かを見れば、何を作るか決められる」

 真面目な話は、そこで急に台所へ着地した。

「……料理の話になった」

「料理は今だ。今ある素材で、今作る。そういうものだ」

「哲学的ね」

「哲学ではない。料理の話だ」

「同じじゃない?」

「違う」

「どう違うの?」

「料理は食べられる。哲学は食べられない」

「……それは確かに違う」

「だろう」

 ミルフィナが笑った。

「たこまるさんは、面白いですね」

「面白くない」

「面白いです」

「面白くない」

「面白いです」

「……そういうことにしておく」

「はい」


 昼になった。

 たこまるが昼食を作った。ネリネが半分手伝った。言い合いをしながら、でも結果的にいつもより多い品数が出てきた。

「多い」

リヴィアが突っ込んだ。

「気合いが入った」

「なんで?」

「出発の日だから」

「昨日も今日も、特別じゃないわよ。毎日が続いているだけ」

「それでも、節目はある」

「節目?」

「珊瑚宮を出た。また海に出た。それが節目だ」

「そうね。節目ね」

「節目には、いい食事が合う」

「合うわね」

「食べろ」

「食べる」

 全員で食べた。いつもより多い料理を、全員で、甲板で食べた。風が気持ちよかった。波が穏やかだった。空が青かった。

「おいしいです」

ミルフィナが言った。

「当然だ」

「今日は特においしい気がします」

「気合いが入っているから」

「気合いが味に出るのですね」

「出る。料理は気持ちで変わる」

「では、これからも気合いを入れてください」

「毎回入れている」

「今日は特に?」

「今日は特に」

「ありがとうございます」

「礼は要らない」

「言います」

「……好きにしろ」


 午後、風が少し強くなった。

 帆がよく膨らんで、速度が上がった。

「このペースなら、二日より早く着けるかもしれません」

ネリネが言った。

「急がなくていいわよ」

「急がない方がいいですか」

「港町に着いたら、また次に動く。急いで着いても、急いで出ることになるだけ」

「では、このままで」

「このままで」

 ミルフィナが舳先に立っていた。風を受けていた。銀青色の髪が、後ろに流れていた。

 リヴィアが近づいた。

「気持ちいい?」

「気持ちいいです」

「風が強い日は、こうなるのよ」

「知りませんでした。初めて経験します」

「甲板の端に立つと、風がよく当たる」

「教えてくれましたね。また教えてもらえました」

「まだ教えることがあるわよ。嵐の前の風の匂いとか、夜光虫が光る海域の見分け方とか」

「全部教えてください」

「全部教えるわよ。時間はたくさんある」

「はい。たくさん教えてもらいます」

「たくさん教える」

 二人で風を受けた。

 たこまるが後ろから言った。

「おまえら、舳先で二人で立つのは、これが最初ではないな」

「最初の方からやってたわよ」

「そうだ。最初の頃から、よく二人で立っていた」

「観察していたのね」

「している。変化が分かる。最初は、並んでいるが少し距離があった。今は、距離がない」

「……そんなに変わってる?」

「変わっている。気づいていなかったか」

「気づいていなかった」

「ミルフィナは気づいていたか」

「……少し、気づいていました」

「そうか」

「たこまる」

「何だ」

「あなたは、この旅で一番多く見てきたのね。全部」

「そうだ。肩の上から全部見ていた」

「どうだった?」

「どう、とは」

「この旅を見てきて、どうだった、ということよ」

「……よかった」

「それだけ?」

「それだけだ。よかった」

「もっと言って」

「よかった、以上のことは言えない。よかったが全部だ」

「分かった。よかった、ということね」

「そうだ」

「わたしも、よかったと思う」

「そうか」

「あなたがいてくれたから、よかった」

「……礼は要らない」

「言う」

「言わなくていい」

「言う。ありがとう、たこまる」

 たこまるが少し黙った。

「……どういたしまして」


 夕方になった。

 空が橙に染まった。水平線が光った。シーラビット号の影が、海面に長く伸びた。

「今日も綺麗ですね」

「そうね」

「毎日綺麗です」

「毎日綺麗よ」

「これからも毎日見ます」

「見ましょう」

「一緒に」

「一緒に」

 ピピが叫んだ。

「夕日です! きれいです!」

「見てるわよ」

「あたしも見てました! でも叫びたかったので!」

「叫んでいいわよ」

「ありがとうございます!」

「あまり大声でなければ」

「分かりました! 大声じゃなく叫びます!」

「大声じゃなく叫ぶのは難しいわよ」

「やってみます! 船長! これくらいですか!」

「普通に大声よ」

「では、心の中で叫びます!」

「それはもう叫んでないわ」

 ネリネが来た。

「今夜の海の聞き方の授業は、何時頃ですか?」

「授業って言うのね」

「ミルフィナさんが教えてくれると聞いたので、参加してよいですか」

「ネリネも?」

「海流の読み方に、実用的な応用ができるかと思いまして」

「もちろんです。一緒に聞いてください」

「ありがとうございます」

「ピピさんとベルさんも聞きますか」

「聞きます!」

ピピが叫んだ。

「……聞く」

ベルが言った。

「では、全員で」

「全員で聞くのね」

「いいですか?」

「いいわよ。全員で聞きましょう」

「では、夕食のあとに」

「夕食のあとね」

「夕食はおれが作る」

「今日も?」

「節目には食事が合うと言った。今夜は出発してから最初の夜だ。節目だ」

「節目が多い」

「それでいい。節目が多い方が、食事がうまくなる」

「……そういうもの?」

「そういうものだ」

「分かった。今夜もお願いする」

「任せろ」

「その理屈でいくと、明日の朝も節目です」

 ネリネが言った。

「もちろん節目だ」

「食材の消費が増える節目ですね」

「……」

 たこまるは困った顔を浮かべ、八本の足をきゅっと丸めた。

「……節目にも限度がある」


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