Voyage 15 シーラビット号、指名手配最大級
珊瑚宮を出た直後、セレナが追いついてきた。
「女王陛下から許可が出ました。私も動きます」
「一緒に来る?」
リヴィアが誘った。
「近衛として動く許可です。ただし、部下は連れていけません。私一人です」
「一人でいいの?」
「命令に疑義を持つ者を、今すぐ集めるのは難しいです。私が信頼できるのは、私自身の判断だけです」
「じゃあ、一緒に来て」
シーラビット号に戻った。全員が甲板に上がった。セレナが船を見回した。くたびれた帆、傷だらけの甲板、黒くなった帆の一部。
「……これが、ミルフィナ様が乗っていた船ですか」
「そう」
「小さいですね」
「いろいろ言われ慣れてる」
「でも、この船でここまで来たのですね」
「来た」
「……分かりました」
セレナは、それ以上は何も言わなかった。
ネリネが信号の準備をした。ローザへの連絡用だ。珊瑚宮の方向が変わったこと、オルカが宝珠を奪ったこと、追跡に移ることを伝える短い信号を、海面に光の形で出した。
「届くかしら」
リヴィアがそう呟くと、
「ローザさんなら、この海域に信号の見張りを立てているはずです。情報収集を怠らない方です」
ネリネがこう伝えた。
「そうね」
「あとは、向こうの判断次第です」
「合流できれば、心強い」
「できなくても、動きます」
「そうね」
オルカの痕跡を追った。
セレナが海流の乱れを読んだ。人魚の私兵が通ったあとには、海流に微妙な乱れが残る。それを辿ることで、方向が分かった。
「南東です。早い速度で移動しています」
「星潮の海溝への方向?」
「直接ではありませんが、中継地点に向かっている可能性があります。準備なしに海溝へは入れません。どこかで態勢を整えるはずです」
「中継地点が分かれば、そこで捕捉できる」
「距離があります。追いつくのは難しいかもしれません」
「追いつかなくていい。場所を特定するだけでいい」
「なるほど……では、海流を読みながら、私が先行します。シーラビット号は後ろから来てください」
「単独で先行するの?」
「人魚の方が速いです。痕跡を追うなら、人魚が有利です。ただし、戦闘は避けます。確認だけして戻ります」
「危険じゃない?」
「私一人の方が、痕跡を消しながら動けます。集団で動くより、見つかりにくい」
「……分かった。でも、三十分で戻ってこなければ、追う」
「三十分で戻ります」
セレナが海に入った。速かった。あっという間に見えなくなった。
シーラビット号が南東へ進んだ。
二十分足らずで、セレナが戻ってきた。
「中継地点が分かりました」
「どこ?」
「この先の海底、沈没船の群れがあります。古い船が何十艘も重なっている場所です。その中に、オルカの私兵が入っています。十五人ほど確認しました」
「オルカ本人は?」
「いました。宝珠を持っています。まだ移動していません。何かの準備をしているようです」
「星潮の海溝へ向かう前の、最後の準備か」
「そう思います。時間は、そう長くありません。今夜か、明日の朝には動くと思います」
「ローザへの信号は届いたかしら」
「届いていれば、この方向に来るはずです」とネリネが言った。
「待てる時間は限られてる。ローザの到着を待ちながら、位置を保つ」
「承知しました」
シーラビット号を、沈没船の群れから二キロほど離れた場所に停めた。近づきすぎると気づかれる。遠すぎると、動きに対応できない。
セレナが甲板で海流を監視した。
たこまるが食事を作った。待機中だからといって、腹は減る。
「たこまる」
リヴィアが呼んだ。
「何だ」
「ミルフィナ、大丈夫かな」
「珊瑚宮にセレナの部下が残っている。王宮の中にいる限り、すぐに危険にはならないと思う」
「体力の方は」
「休んでいれば回復する。珊瑚宮の環境は、あの子にとって楽なはずだ。深海の水が周囲にある」
「そうね」
「心配なのは、体力より気持ちの方か」
「両方よ」
「今日、かなりのことをした。言えなかったことを、評議員の前で言った。消耗するのは当然だ」
「でも、落ち着いた顔だった」
「覚悟が決まっている者は、ああいう顔をする」
「たこまる、人のことをよく見てるのね」
「観察が得意だ。昔から」
「昔から、ということは、だいぶ長く生きてる?」
「そうかもしれない。記憶が定かでないが」
「守護獣の末裔なら、長い歴史があるのね」
「あるのかもしれない。ただ、記憶がないので、あまり実感がない」
「怖くない? 自分の過去が分からないことが」
「怖くはない。今がある。今が分かれば、過去が何であれ、今は今だ」
「……そういうものかな」
「おまえも、シルヴェイル家の過去に引っ張られてきた。でも、今のおまえはおまえだ。それが正しいんじゃないか」
リヴィアは空を見た。星が出ていた。
「……そうね。今のわたしが、わたしよ」
「分かってきたじゃないか」
「少し前から、分かってきた気がする」
「誰かさんのおかげか」
「うるさい」
「ただの観察だ」
夜が深くなったころ、海面に光が現れた。
ヴァーミリオン号の信号だった。
「来た」
リヴィアが叫んだ。
ローザが小舟で移ってきた。
「信号を受け取った。状況を教えて」
リヴィアが経緯を説明した。珊瑚宮での評議会、宝珠の奪取、オルカの現在地。ローザは黙って聞いた。途中で質問を挟んだ。的確な質問だった。
「つまり、今夜か明日の朝には、オルカが動く。止めるなら、その前に動く必要がある」
「そうなる」
「戦力は。向こうが十五人」
「シーラビット号に五人とたこまると、セレナ一人。ヴァーミリオン号は?」
「精鋭が八人乗っている。海賊としての戦闘経験がある」
「合わせれば、互角以上にはなる」
「ただし、オルカの私兵は人魚だ。水中戦になると、こちらが不利になる。水面上に引き出すか、封じ込める必要がある」
「セレナ、水中戦で対応できる?」
リヴィアが尋ねた。
「私一人では、複数を同時には厳しいです。ただし、相手の海流を乱すことはできます。動きを制限すれば、水面上に引き出せる可能性があります」
「ミルフィナの歌があれば、もっと大きく乱せる」
「ミルフィナは珊瑚宮に残した」
たこまるが言った。
「分かってる。今の戦力でやる」
「作戦は?」
ローザが尋ねた。
「ヴァーミリオン号で沈没船の群れを塞ぐ。逃げ道を絞る。セレナが海流を乱して、私兵を水面上に引き出す。シーラビット号で受ける。オルカを捕捉して、宝珠を取り返す」
「シンプルね。シンプルすぎるくらい」
「複雑な作戦は、慣れていないとずれる。シンプルな方が確実よ」
「同意する。ただし、一点だけ変える」
「何を?」
「シーラビット号は使わない。小さすぎて、受けに使うには不安定だ。受けはヴァーミリオン号がやる。シーラビット号はセレナの補助に回る」
「それは――」
「正しい判断です。リヴィアさんの判断は戦略的に正しいが、実行の部分でローザさんの修正が妥当です」
セレナが言った。
「……分かった。ローザの案に乗る」
「珍しいわね、素直に受け入れるのは」
「正しいことを言ってるなら、受け入れる。それだけよ」
「成長したわね」
「うるさい。時間がない、動くわよ」
動いたのは、夜明けの一時間前だった。
ヴァーミリオン号が、沈没船の群れの出口を塞いだ。大きな船が、逃げ道を埋めた。
セレナが海中に入った。ローザの精鋭二人が海中に続いた。海流が変わった。沈没船の群れの中で、流れが乱れ始めた。
動揺する気配が伝わってきた。
私兵の何人かが水面に出てきた。ヴァーミリオン号の乗組員が対応した。
シーラビット号はセレナの補助に回った。たこまるが墨を展開して、視界を絞った。ピピが大砲を撃った。今日は当たった。
「当たりました!」
ピピが叫んだ。
「狙ってたの?」
リヴィアが尋ねた。
「狙ってました!」
「……本当に?」
「半分くらい!」
「正直ね」
混乱が続いた。
ヴァーミリオン号が抑えていた出口から、数人の私兵が突破しようとした。ローザが自ら出て、それを止めた。動きが速くて、無駄がなかった。
セレナが海中から戻ってきた。
「オルカが動いています。宝珠を持って、別の出口から出ようとしています」
「どこの出口?」
「北側です。気づいていませんでした」
「追える?」
「追えます。ただし、海中での追跡になります」
「たこまる、行ける?」
「行く」
「セレナ、たこまると一緒に追って。わたしはここで残りの私兵に当たる」
「承知しました」
セレナとたこまるが北側に向かった。
残りの私兵への対応が続いた。ヴァーミリオン号の乗組員が優秀で、数の上での劣勢をカバーしていた。ベルが甲板で敵が上がってくるのを片手で押し返していた。ネリネが航路の計算を続けながら、状況を報告し続けた。
二十分ほどして、たこまるが戻ってきた。
「追いつけなかった」
「オルカが逃げた?」
「速い。私兵の中でも段違いに速い。セレナも追いきれなかった」
「宝珠は」
「持っていった」
リヴィアは拳を握った。
「方向は分かる?」
「南東。星潮の海溝に向かっている可能性が高い」
「追う?」
「今は無理だ。私兵への対応が終わっていない。それと」
「それと?」
「セレナが怪我をした」
「どこ?」
「腕に、軽い切り傷だ。大きな傷ではないが、今すぐ動かせる状態ではない」
リヴィアは状況を整理した。オルカが逃げた。宝珠を持って。しかし私兵を置いていった。このまま追っても、疲弊した状態で星潮の海溝に入ることになる。
「今日は引く」
リヴィアはそう判断した。
「それで正しいと思います」
ネリネが言った。
「ローザに伝えて。残りの私兵を確保したら、ここで休む。明日、改めて動く」
「承知しました」
残りの私兵を確保したのは、夜明けが来るころだった。ヴァーミリオン号の乗組員が拘束した。私兵は戦意を失っていた。オルカに置いていかれた者たちだ。
ローザがシーラビット号に戻ってきた。
「一段落ね」
ローザが言った。
「オルカが逃げた。宝珠を持って」
「聞いた。残念だったわね」
「でも、今日で分かったことがある。オルカは早い。単独での追跡は難しい。それと、私兵の数が減った。今日の戦力差を、次に活かせる」
「前向きね」
「落ち込んでいても仕方ない。次を考える」
「そうね」
ローザは海を見た。
「ミルフィナのことを考えているでしょ」
「……そうね」
「珊瑚宮に戻る必要がある?」
「ミルフィナを連れてこなければ、次は動けない。守護者として、冠に近づく鍵が必要だ。それに」
「それに?」
「約束した。情報を持って戻るって」
「ミルフィナに?」
「うん」
ローザが少し笑った。
「では、珊瑚宮に戻りましょう。セレナの治療もしなければならないし」
「そうね」
シーラビット号が向きを変えた。夜明けの光が海を染め始めていた。橙と金が混じった色で、波が細かく光を砕いていた。
たこまるが肩に乗ってきた。
「疲れたか」
「疲れた。でも、まだ動ける」
「そうか」
「たこまるは?」
「おれは疲れない」
「そんなことないでしょ」
「……少し疲れた。ただし、次も動ける」
「じゃあ、一緒ね」
「そうだな」
海が明るくなった。
セレナが甲板で腕の手当てをしながら、水平線を見ていた。リヴィアが近づいた。
「大丈夫?」
「傷は浅いです。問題ありません」
「今日、一緒に動いてくれてありがとう」
「私の役目です」
「命令ではなかったでしょ。自分の判断で動いた」
「……そうです」
「それが、ありがとう、ということよ」
セレナが少し間を置いた。
「リヴィアさん」
「何」
「今日の作戦。シーラビット号をセレナの補助に回すという修正を、素直に受け入れましたね」
「ローザの判断が正しかったから」
「でも、受け入れるのは簡単ではなかったと思います」
「……そうでもないわよ。最近、そういう練習をしているから」
「誰かの影響ですか」
「まあ、そうね、ミルフィナが、わたしは自分に正直でいると思えるようにしてくれた。それが、人の意見を聞くことにも繋がってる気がする」
「そうですか」
「セレナも、最近変わったんじゃない」
「……変わりましたか」
「ミルフィナが笑っているのを見てから、迷い始めたでしょ。それは、変わり始めたということよ」
「迷うことが、変わることですか」
「迷わない人間は、考えていない。迷える人間は、考えている。それが変わることの始まりよ」
セレナが少し黙った。
「リヴィアさんは」
「何」
「海賊小説のような人ですね」
「どういう意味よ」
「ミルフィナ様がよく読んでいた海賊小説の、主人公のような人だということです」
「わたし、全然かっこよくないわよ。船酔いするし、方向音痴だし、地図を逆さに持つし」
「海賊小説の主人公も、完璧ではありません。でも、大事な時に正しいことをします」
「……そうかな」
「そう思います」
セレナが、珍しく、まっすぐな声で言った。
リヴィアはそれを聞いて、何も言わなかった。言わなかったが、少し前を向いた。
シーラビット号が、朝の海を進んでいた。珊瑚宮への道を、戻っていった。
ミルフィナが待っている。
約束した。情報を持って戻ると。
「行くわよ」と小さな声で言った。
波が答えるように、船を揺らした。




