Voyage 14 王女は逃げない
朝、珊瑚宮の広間に、女王がいた。
昨夜より表情が固かった。侍女が二人、後ろに控えていた。セレナが隣に立っていた。セレナがリヴィアを見て、小さく頷いた。報告はすでに入れた、という意味だと取った。
「おはようございます、母上」
「おはよう、ミルフィナ。リヴィア・シルヴェイル、昨夜はよく眠れましたか」
「おかげさまで」
「では、話をしましょう。セレナから報告を受けました。オルカのことです」
広間が静かになった。
「リヴィアさんが話したことを、セレナから聞きました。星潮の冠のこと、三つの鍵のこと、ルーンシェル家の守護者としての歴史のこと」
「全部、セレナに伝えた通りです」
「時計塔の記録の写しを、見せていただけますか」
「ネリネ」
「はい」
ネリネが手帳を取り出した。昨日のうちに清書していたらしく、文字が整っていた。セレナを通じて女王に渡った。
女王が読んだ。読む間、表情が動かなかった。動かないのが、動いているより重かった。
「……これが、本物だとすれば」
女王が呟くと、
「疑う理由があれば、言ってください。ただ、時計塔は実在しました。珊瑚宮の文字と同じ書式の記録が残っていました。ミルフィナが読みました」
リヴィアが伝える。
「ミルフィナ、あなたが読んだのですか」
「はい。古い文字ですが、読めました。ルーンシェル家の名前が、守護者として明記されていました」
「なぜ、そのことが王宮に伝わっていなかったのか」
「分かりません。ただ、オルカが冠を求めているなら、守護者の存在を隠す理由があります」
女王がネリネの手帳を閉じた。
「セレナ」
「はい」
「オルカの動きを、昨夜から追っています。報告してください」
「昨夜、珊瑚宮の外周に、王国の正規兵ではない者が複数確認されました。オルカの私兵と思われます。今朝は姿を消していますが、この海域に留まっている可能性があります」
「評議会は?」
「オルカは今朝、緊急評議会の召集を求めています。議題は、ミルフィナ様の安全に関わる問題、と登録されています」
「ミルフィナの安全を議題にして、私たちを批判するつもりね」
「おそらく。評議会での発言権を使って、リヴィアさんたちを危険な海賊として正式に糾弾する。そうすれば、王国として対応せざるを得なくなります」
「時間を作っているのよ。冠を手に入れるための時間を」
リヴィアが突っ込む。
「その可能性があります」
ミルフィナが前に出た。
「母上」
「ミルフィナ」
「私が、評議会で話します」
女王が少し目を細めた。
「評議会に出るつもりですか」
「はい。私が自分で乗ったことを、自分の口で言います。リヴィアさんが誘拐したのではないと、私が証言します。オルカの主張に、当事者として答えます」
「評議会は、あなたが慣れていない場所です。オルカは経験豊富です。言葉で圧倒される可能性があります」
「それでも、言います」
「なぜですか」
「逃げてきたとは思っていません。外を見に来ました。見ました。知りました。知ったことに責任があります。知っていて黙っていれば、逃げることになります。それは、したくありません」
広間が静かになった。
女王がミルフィナを見ていた。
長い間、見ていた。
「……変わりましたね」
「変わりました。でも、変わる前の私も、同じことを思っていました。言えなかっただけです」
「言えるようになったのですね」
「はい」
「誰のおかげですか」
「私のおかげです。ただ、言える場所にいられたのは、リヴィアさんの船のおかげです」
女王がリヴィアを見た。
「シルヴェイル家の娘」
「はい」
「娘が言える場所を作ってくれたことに、礼を言います」
「作ろうとしたわけではありません。うちの船がそういう船なので」
「それでも、礼を言います」
「……ありがとうございます」
評議会は昼に開かれた。
珊瑚宮の評議の間は、広くて、壁に長い歴史の紋章が並んでいた。評議員は十二人。全員が人魚で、長い年月を宮殿で過ごしてきた者たちだ。
リヴィアたちは評議の間には入れなかった。廊下で待った。
「ミルフィナが出るなら、おれたちにできることはない」
「待つしかない」
「苦手か、待つのは」
「苦手。でも、今は待つしかない」
「そうだ」
ピピが廊下を行ったり来たりしていた。ベルが壁の珊瑚を観察していた。ネリネが手帳を読み返していた。
リヴィアは扉を見ていた。
「たこまる」
「何だ」
「ミルフィナは、大丈夫?」
「消耗はしていない。昨夜よく眠れたし、今朝の顔色はよかった」
「体力の話じゃなくて」
「……精神的には、落ち着いている。恐れている様子はない。覚悟が決まっている顔をしていた」
「そうね。覚悟が決まってた」
「心配か」
「心配よ。でも、止めなかった。止める理由がない」
「止めれば止まったと思うか」
「止まらないと思う」
「だろうな。あいつは、言えなかっただけで、ずっと同じことを思っていたと言った。今日は、言える場所で、言える状況で、言いたいことを言う。それがあいつにとって大事なことだ」
「そうね」
「船長として、止める判断をしなかったことは、正しい」
「あなたに認められると少し安心する」
「珍しいな、素直に言うのは」
「最近、少し練習している」
「誰かさんの影響か」
「そうかもしれない」
扉が開いた。
セレナが出てきた。表情が、いつもより複雑だった。
「どうだった?」
リヴィアが尋ねた。
「ミルフィナ様が、最後まで話されました。オルカの主張に、全部答えました」
「内容は?」
「オルカは、ミルフィナ様が海賊に脅されていると主張しました。ミルフィナ様は、自分で乗ったと証言しました。オルカは、それは洗脳の証拠だと言いました。ミルフィナ様は、洗脳された者が甲板掃除に感動すると思うかと、評議員に問いました」
「……甲板掃除」
「評議員が少し笑いました。オルカが続けて、リヴィアさんたちが星潮の冠を盗もうとしていると主張しました。ミルフィナ様は、冠を盗もうとしているのは誰かと、オルカに直接聞きました」
「それは、かなり直接的ね」
「評議の間が静かになりました。オルカは答えませんでした。ミルフィナ様は、時計塔の記録を示して、ルーンシェル家の守護者としての歴史を述べました。そして、冠を壊そうとしている者がいるなら、それを止めるのが守護者の役目だと言いました」
「評議員の反応は?」
「賛否が分かれています。ただ、オルカへの信頼が揺らいでいる評議員が複数います。今日すぐに結論は出ませんが、オルカが評議会を完全に掌握している状況ではなくなりました」
「ミルフィナは今?」
「まだ中にいます。女王陛下と話しています」
しばらくして、扉が開いた。
ミルフィナが出てきた。
疲れた顔だったが、落ち着いた顔だった。リヴィアを見て、少し息を吐いた。
「終わりました」
「お疲れ様」
「うまくできたかどうかは分かりません。でも、言いたいことは全部言いました」
「甲板掃除のくだり、セレナから聞いた」
「よかったですか」
「よかった。評議員が笑ったなら、効いてる」
「緊張して、とっさに出た言葉でした」
「とっさに出た言葉の方が、本当のことを言ってることが多い」
「そうですか」
「そうよ」
たこまるが言った。
「ミルフィナ。消耗度合いを確認する。今の状態を、正直に言え」
「疲れました。かなり」
「正直に言えた」
「はい。練習しました」
「いつ練習した」
「今朝、一人で練習しました。正直に言う練習を」
「……そうか」
たこまるは珍しく、穏やかな声だった。
「よくやった」
「ありがとうございます」
「今日は休め。これ以上動くな」
「でも、オルカが――」
「今日は休め。おまえが倒れると、全員が困る」
「……はい」
そのとき、廊下の奥から音がした。
足音ではない。何かが動く音だ。水の音に近いが、もっと重い。
「何の音?」
リヴィアが尋ねた。
「分かりません」
セレナの表情が変わった。
「宮殿内でこの音は――」
遠くで、叫び声がした。王国の兵の声だ。
「何が起きた?!」
「確認します」
セレナはそう伝えて、走った。
数分後、戻ってきた。
「オルカの私兵が、王宮内の宝物庫に入りました。古い宝珠が、一つ保管されていました。星潮の冠の手がかりになる宝珠です。それが、持ち出されました」
「宝珠が奪われた?」
「はい。評議会の間、王宮の警備が手薄になっていました。そこを突かれました」
「オルカが評議会を利用した。時間を作るために」
「そうなります。評議会に集中させておいて、その間に動いた」
リヴィアは拳を握った。
「オルカは今、どこに?」
「宮殿内にいません。評議会の途中で姿を消しています。私兵と合流したと思われます」
「宝珠を持って、星潮の海溝へ向かってる可能性がある」
「星潮の海溝へ行くには、準備がまだ必要なはずです。すぐには動けない」
「どのくらい時間がある?」
「分かりません。ただ、準備の段階で動きが出れば、捕捉できます」
「追う」
「船長、今の戦力で、オルカの私兵に当たるのは――」
ネリネが突っ込む。
「追って、場所を把握する。直接当たるのは今じゃない。でも、先手を打つなら今追わないと間に合わない」
「ローザへの連絡は?」
ネリネが確認する。
「信号を出す。合流できれば、戦力が増える」
「私も動きます。女王陛下からの許可を得ます」
セレナが言った。
「許可が出るの?」
「出ます。女王陛下は、今日の評議会でオルカへの疑念を持ちました。宝珠が奪われた事実があれば、動く理由になります」
「急いで」
「はい」
セレナが走った。
ミルフィナが呼んだ。
「リヴィアさん」
「何」
「私も行きます」
「今日は休めと、たこまるが言った」
「でも、守護者として――」
「ミルフィナ」
「はい」
「今日は休む。追跡は初日だから、体力を温存する方が大事よ。これから長くなる」
「でも――」
「守護者として動くなら、万全の状態で動いてほしい。今の状態で無理をしたら、本当に必要な時に動けなくなる」
ミルフィナが立ち止まった。
「……それは、正しいです」
「だから今日は休む。わたしたちが追跡する。情報を持って戻ってくる。その後、一緒に動く」
「約束しますか?」
「約束する。情報を持って戻ってくる」
「……分かりました」
ミルフィナはそれから少し間を置いた。
「リヴィアさん」
「何」
「戻ってきてください」
「戻る」
「約束しましたね」
「約束した」
「では行ってください」
リヴィアが動こうとした時、ミルフィナが言った。
「もう一つだけ」
「何」
「今日、評議の間で、緊張した時にリヴィアさんのことを考えました」
「わたしのことを?」
「岩礁の中でも舵を離さなかった、という話を、自分に言い聞かせました。それで、言えました」
「……うちの船の話が、役に立ったのね」
「役に立ちました」
「じゃあ、また役に立てるように、戻ってくる」
「はい」
リヴィアが走った。
たこまるがついてきた。ネリネがついてきた。ピピもついてきた。ベルもついてきた。
廊下を抜けて、宮殿の外に出た。
海の底から、上を見ると、遠くに光が見えた。シーラビット号の灯りだ。
「行くぞ」
たこまるが言った。
「行く!」
リヴィアが叫んだ。
珊瑚宮の外、海の底から、一行は上へ向かった。




