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ポンコツ海賊令嬢と人魚姫のドタバタ航海記――この恋、沈没寸前です!――  作者: 明石竜


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16/23

Voyage 16 深海図書館と失われた航路

 珊瑚宮に戻ったのは、昼前だった。

 ミルフィナが宮殿の入口に出てきた。リヴィアの顔を見て、小さく息を吐いた。

「戻りましたね」

「戻った。約束通り」

「はい」

「怪我はない。全員無事。ただし、オルカには逃げられた」

「宝珠は」

「持っていかれた」

 ミルフィナが少し目を伏せた。でも、すぐに顔を上げた。

「次があります」

「そうね。次がある」

「セレナは?」

「腕に軽い怪我。大きくはない」

「治療は」

「応急処置は済んでいる。王宮の方で診てもらう方がいいかもしれない」

「そうします」

 ミルフィナがセレナに近づいた。セレナが少し表情を変えた。

「ミルフィナ様、申し訳ありません。取り逃がしました」

「謝らなくていいです。怪我をしながら追ってくれました。ありがとうございます、セレナ」

「……はい」

「手当てをします。来てください」

「私は平気です」

「来てください」

「……はい」

 セレナがミルフィナについていった。たこまるが見送りながら言った。

「ミルフィナも変わったな」

「そうね。評議会で話してから、少し違う」

「腹が決まった、というやつだ」

「セレナへの接し方が変わった。以前は、少し遠慮があった」

「対等に扱い始めた」

「そうね」


 昼食は珊瑚宮で取った。女王が用意した食事だった。食事の間、女王がリヴィアに言った。

「オルカへの対応は、評議会で進めます。宝珠の奪取は、証拠として使えます。ただし、時間がかかります」

「どのくらいですか?」

「評議会の手続きには、最低でも数日かかります。オルカが星潮の海溝に向かっているなら、それまでに動くかもしれません」

「止めるために、先に動く必要があります」

「分かっています。ただし、私がリヴィアさんたちに動いてほしいと言うのは、難しい立場です。王国として、正式に依頼する形を取ることもできません」

「では、独自に動きます。王国の依頼としてではなく」

「そうなりますね」

「ミルフィナは連れていきます。守護者として、必要な場面があります」

「ミルフィナが望むなら、止めません」

女王が言った。それからミルフィナを見た。

「あなたはどうしますか」

「行きます」

ミルフィナはすぐに答えた。

「そうですか」

女王は止めなかった。

 午後から、深海図書館を探す話を再開した。

 ローザが持っていた情報と、ミルフィナの海流の読みを合わせた。クジラの移動パターンと、この季節の外海の流れを重ねると、おおよその位置が絞れた。

「東の外海、この辺りにいる可能性が高い」

ローザが地図を指した。

「ミルフィナ、海流で確認できる?」

リヴィアが尋ねた。

「ここに来る前に、少し感じていました。大きな生き物の気配が、東の方向にあります。具体的な距離は分かりませんが、方向は合っています」

「では、東に向かいながら、海流を読んで絞っていく」

「はい」

「セレナは王宮に残る?」

リヴィアが尋ねた。

「残ります。評議会の動きを監視します。オルカ側が何か動いたら、信号で知らせます」

「助かる」

「それと、リヴィアさんを、リヴィア船長と呼んでいいですか」

 セレナにそう言われ、リヴィアは少し考えた。

「……いいわよ。なんで急に」

「評議会でミルフィナ様が言っていました。リヴィアさんの船の話を。岩礁の中でも舵を離さなかったと。それを聞いて、そう呼びたいと思いました」

「船長らしいことをしてるだけよ」

「それが船長というものでしょう」

「……じゃあ、リヴィア船長で」

「はい」

セレナの表情が、少し違った。


 翌朝、珊瑚宮を出た。

 シーラビット号とヴァーミリオン号が並んで、東の外海へ向かった。ミルフィナが海流を読みながら、少しずつ方向を修正した。


「大きい生き物の気配が、強くなっています」

二時間ほど進んだところでミルフィナが言った。

「どの方向?」

「北東です。ただ、動いています。クジラなら、移動しています」

「追える?」

「気配を追います。速度を上げてください」

「ネリネ、速度最大で」

「了解です」

 シーラビット号が加速した。ミルフィナが舳先に立って、目を閉じていた。歌ではなく、ただ感じている状態だ。たこまるが静かに横に立っていた。

「右に少し」

「右に」

「そのまま」

「維持」

「もっと北です」

「北に」

 一時間ほど追ったところで、見えてきた。

 クジラだった。

 大きかった。シーラビット号の十倍以上ある。灰色の背中が海面から少し出ていて、ゆっくりと動いていた。その背中に、建物が乗っていた。

「深海図書館だ」

リヴィアが言った。

 建物は古かった。木造で、窓が並んでいて、扉がある。クジラの背中に根付いているように、しっかりと固定されていた。クジラが動いても、建物が揺れない。何らかの魔法で固定されているらしかった。

「近づける?」

リヴィアが尋ねた。

「クジラが許してくれれば。歌で、お願いしてみます」

 ミルフィナが歌い始めた。クラゲの島で使ったのと似た歌だが、音域が違う。クジラに届く低い音だった。

 クジラが速度を落として、ゆっくりと止まった。

「お願いが届いたようです」

「ありがとう」

 シーラビット号をクジラの横に寄せた。ロープを渡して、クジラの背中に固定した。梯子を渡して、背中に上がった。

 クジラの背中は広かった。皮膚の感触が独特で、少し柔らかかった。図書館の扉の前まで歩いた。

 扉に、文字が書いてあった。

「静粛に、とあります」

ミルフィナが読んだ。

「守れる自信がない」

リヴィアは苦笑いを浮かべた。

「ピピさん」

ミルフィナが呼ぶ。

「はい!」

「今日は、静かに」

「分かりました。静かにします」

「本当に?」

「本当に。できます」

「できますか」

「たぶんできます」

「たぶん、は困ります」

「絶対できます」

「ありがとうございます」

 扉を開けた。

 中は、外から見た建物より、ずっと広かった。珊瑚宮と同じように、魔法で内部が拡張されていた。

 天井まで棚が並んでいた。棚には本が詰まっていた。古い本、新しい本、巻物、石板。全部が整然と並んでいて、背表紙に文字がある。

 司書がいた。

 クラゲだった。

 半透明の体が浮かんでいて、触手が本を抱えている。複数いた。五匹、六匹、七匹。それぞれが別の棚の間を漂いながら、本の整理をしていた。

「……クラゲが司書なの」

リヴィアが突っ込んだ。

「クラゲの島で、意思疎通できました。ここも、歌で話せるかもしれません」

 ミルフィナが小さく歌った。司書クラゲの一匹が近づいてきた。触手を伸ばして、ミルフィナの手のそばで止めた。

「何か聞いてきています」

「何と?」

「何を探しているか、と」

「星潮の冠に関する記録。古代の航路の記録。できれば、三つの鍵についての詳細を」

 ミルフィナが歌で伝えた。司書クラゲが少し動いた。それから、別の方向に向かった。ついてくるように示している。

「案内してくれるようです」

「助かる。行きましょう」

 図書館の奥へ進んだ。棚が続いた。どこまで続くのか分からないほど深い。途中で、ピピが本の背表紙を読もうとして、たこまるに足をぺしりと叩かれた。ピピが「静かに」と言って黙った。

 奥の棚の前で、司書クラゲが止まった。触手で、一冊の本と、一つの巻物を取り出した。

「これを示しています」

ミルフィナが伝えた。

 本は重かった。表紙が石に近い素材で、古い書体で文字が刻まれていた。ネリネが受け取って、慎重に開いた。

「古代海図です。この形式は、時計塔の記録と一致します。同じ時代のものです」

「星潮の海溝の位置は?」

「……あります。ここに記載されています。現在の地図とは少し座標が違いますが、照合できます」

「書き写せる?」

「はい」

ネリネが手帳を取り出した。

「巻物の方は?」

リヴィアがミルフィナに言った。

「私が読みます」

 ミルフィナが巻物を受け取って、広げた。長い巻物で、細かい文字が続いていた。

「三つの鍵について書いてあります」

「詳しく読んで」

「……三つの鍵は、それぞれ異なる世界に属する存在に宿る。第一の鍵は、海の底を守る者。第二の鍵は、深海の記憶を持つ者。第三の鍵は、二つの世界の間を渡った者」

「海の底を守る者が、ルーンシェル家?」

「そう読めます。守護者の家系が、第一の鍵」

「深海の記憶を持つ者が、たこまる?」

「たこまるさんは守護獣の末裔で、深海の記憶を持っています。第二の鍵と一致します」

「第三が、二つの世界の間を渡った者」

 たこまるが呟いた。

「二つの世界の間を渡った者、というのは、人魚でも人間でもなく、その境界を越えた存在だ」

「どういう存在?」

「人魚の世界と、人間の世界、両方を知っている者。どちらかに属さず、どちらも理解している者」

「そんな人間がいるの?」

「いるかもしれない。あるいは、これから生まれるかもしれない」

「この旅で、人魚の世界を知った人間がいるわね」

 ローザが言った。

「誰?」

「あなた」

 リヴィアの動きが一瞬止まった。

「わたしは人間よ」

「人間として、人魚の世界を知った。ミルフィナと一緒に時計塔に入った。海の中を、人魚に引かれて進んだ。海の聞き方を教わった。人間でありながら、人魚の世界に触れた者が、あなた以外にいる?」

「……それは」

「境界を越えた者、というのが、文字通りの越え方でなくてもいいとしたら、心の境界を、越えた者、という解釈もできます」

「ミルフィナ」

「私は、人魚です。でも、この船で人間の世界を見ました。第一の鍵が守護者の家系としての私なら、第三の鍵は、境界を越えた者として、リヴィアさんかもしれません」

「……それは、根拠がない」

「全部が根拠のある話ではありません。でも、整合性はあります」

「わたしが鍵なら、もっと早く分かってるはずよ」

「分かる必要がある場面に来ていなかっただけかもしれません」

「おれも、はっきりとした記憶はない。ミルフィナも、守護者として育てられたわけではない。リヴィアも、鍵として知っていたわけではない。三つとも、この旅で気づいてきた。それが、この旅の意味かもしれない」

「……」

「確認する方法はあるか」

ローザが尋ねた。

「冠に近づけば、分かると思います。鍵が揃っていれば、冠が応答するはずです。揃っていなければ、応答しない」

「つまり、試すしかない」

「はい」

「では、先に進む以外の選択肢はないわね」

ローザがそう言うと、

「そうなる」

リヴィアが反応した。

 司書クラゲが近づいてきた。触手を動かした。

「時間だと言っています。長居すると、クジラに負担がかかります」

「ネリネ、写しは終わった?」

「海図の主要部分は写しました。完全ではありませんが、星潮の海溝の位置は把握できました」

「じゅうぶん。出ましょう」

 司書クラゲが扉まで案内してくれた。外に出た。クジラの背中の空気が、図書館の中より新鮮だった。

「ありがとうございます」

ミルフィナが歌で伝えた。

 クジラが、低い音を出した。深い音で、体全体に響いた。

「お礼を言っています」

「クジラが?」

「はい。来てくれたことへの、お礼だと思います。長い間、誰も来なかったようです」

「図書館に誰も来なかった?」

「クラゲたちだけで、守っていたようです。来てくれて、よかったと言っています」

 リヴィアはクジラの背中を見た。どこまでも広い背中だ。その上に、古い図書館がある。ずっとここで、来る客を待っていた。

「また来る」

「クジラに?」

「クラゲたちに。古い記録を、これだけ守ってきたなら、礼を言わないといけない」

「伝えます」

ミルフィナは歌で伝えた。クラゲたちが一斉に触手を動かした。

「喜んでいます」

「それはよかった」

 シーラビット号に戻った。

 ネリネが写した海図を広げた。星潮の海溝の位置が、現在の地図と照合できた。

「ここです。現在位置から、二日半ほどです」

「オルカは先に向かっている。こちらが着く前に、準備が整う可能性がある」

「そうなります」

「急ぐ」

「風向きが安定しています。最速で進めば、差を縮められます」

「ミルフィナ、海流を読んで、一番速い航路を見つけて」

「はい。少し時間をください」

 ミルフィナが目を閉じた。海流を感じる作業だ。たこまるが隣に立って、穏やかに見ていた。


 しばらくして、ミルフィナが目を開けた。

「少し北に回り込む航路が、最速です。海流に乗れます。ネリネさん、この方向で」

「承知しました」

 シーラビット号が動き始めた。ヴァーミリオン号が並んで動いた。

 ローザが信号を出した。ヴァーミリオン号にいる精鋭に何かを指示している。

「準備を始めた」

たこまるが言った。

「ローザは早い」

リヴィアが突っ込んだ。

「優秀だからな。認めたくなさそうだが」

「認めてる。ただ、負けたくない気持ちもある」

「両立する」

「そうね」

 夕方になった。海が赤くなった。

 ミルフィナがリヴィアの隣に来た。

「図書館で、リヴィアさんが第三の鍵かもしれないと言いました」

「覚えてる」

「驚きましたか」

「驚いた。でも、否定もできなかった」

「なぜですか」

「根拠がないとは言ったけど、整合性があると感じた。あなたが言った時に、そう感じた」

「感じたことは、大事です」

「証明はできない」

「証明は、冠が教えてくれます」

「……そうね。怖くない?」

「何が?」

「鍵を持っているとして、冠に近づく。オルカと対峙する。うまくいかないかもしれない」

「怖いです。でも、行かない選択肢はありません」

「なんで?」

「リヴィアさんが行くからです」

「それだけ?」

「それだけではありませんが、それが一番大きいです」

 リヴィアは海を見た。

「……わたしも、怖い」

「知っています」

「でも、行く」

「知っています」

「なんで知ってるの」

「リヴィアさんだから」

「どういう意味よ」

「怖くても、舵を離さない人だから、分かります」

 リヴィアは何も言わなかった。

 たこまるが帽子から言った。

「おまえら、飯にするぞ。動く前に食え。腹が減ると判断が鈍る」

「いつも同じことを言う」

「大事なことは何度でも言う」

「分かった。食べる」

「おれが作る」

「いつも作ってるわね」

「料理人として、大事な時には腕を振るう」

「ライバルへの意地もある?」

「……それも少しある」

「正直になったわね」

「おまえらの影響だ。勘弁してくれ」

 ピピが走ってきた。

「たこまる料理ですか!」

「そうだ」

「やった!」

「やったと言うな。準備を手伝え」

「はい!」

 夕食の準備が始まった。ベルが食材を運んだ。ネリネが食後の計算のために手帳を用意した。

 シーラビット号が、夜の海を進んだ。星潮の海溝に向かって。

 風が強かった。帆が鳴った。

 リヴィアは舵を握った。前を向いた。

 怖い。でも、行く。その二つが、今は同じことだと分かっていた。


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