Voyage 12 たこまる、家出する
翌朝、喧嘩になった。
発端は、リヴィアの作戦だった。
深海図書館を探すにあたって、リヴィアはひとつの案を出した。シーラビット号とヴァーミリオン号が別々の海域を探し、信号で連絡を取り合う。効率がいいし、広い範囲を同時に当たれる。そこまでは問題なかった。
問題は次だった。
「図書館を見つけたら、ミルフィナに潜ってもらって、中の古文書を確認する。時間が限られてるから、見つけ次第すぐに入る。準備は省く」
「準備を省く、というのは」
たこまるが尋ねた。
「体力的に問題なければ、すぐに動く」
「昨日、時計塔で消耗した」
「今日は別の日よ。一日休んだ」
「一日で回復する消耗量ではなかった」
「ミルフィナ本人に聞けばいい。大丈夫なら――」
「聞くな」
「なんで?」
「あいつは大丈夫だと言う。自分が消耗していても。王宮でずっとそうしてきた。疲れたと言えない場所にいた。だから、本人に聞いても正確な答えが返ってこない可能性がある。船長が判断しなければならない」
「じゃあ、わたしが見て判断する」
「おまえの見立ては甘い。昨日の夜の顔色を、おまえは大丈夫と判断したか」
「大丈夫に見えた」
「おれには消耗が残っていた。まだ戻り切っていなかった」
「それは」
「おまえが見たいものを見る癖がある」
そう言われ、リヴィアはぴくりと反応した。
「どういう意味よ」
「問題がないと思いたいから、問題がないように見てしまう。ミルフィナに対して、特に」
「そんな癖はない」
「ある」
「ないわよ」
「ある。認めろ」
「ないと言ってる」
「では聞くが、昨日、ミルフィナとローザが話していた時間、ミルフィナを何回見た」
「……確認のために見た」
「何回見た」
「数えてない」
「嘘をつくな。分かってて数えなかっただけだ」
「関係ない話よ」
「関係ある。おまえはミルフィナのことを、よく見ているようで、見たいように見ている。それが今回の作戦にも出ている。大丈夫だと決めてから、判断している」
リヴィアは腕を組んだ。
「わたしの判断は間違ってるって言いたいの」
「間違っている可能性がある、と言っている」
「たこまるに指摘される筋合いはない」
「ある」
「ない。わたしが船長よ」
「だから言っている。船長が判断を誤ると、全員が困る」
「誤ってない」
「誤っている可能性がある、と言っている。同じことを繰り返させるな」
「うるさい。もういい」
「よくない」
「もういいって言ってる!」
たこまるが足を止めた。
リヴィアも止まった。
甲板に、沈黙が落ちた。ネリネとピピとベルが、距離を置いて立っていた。ミルフィナも、少し遠くで聞いていた。
「……おれを、便利な足八本の雑用係だと思うな」
たこまるの声は、さっきより低かった。
「料理して、操舵して、墨吐いて、突っ込んで。それがおれの役目だと思うなら、違う。おれはリヴィア、おまえのことを心配して言っている。その言葉を聞けないなら」
「聞いてる」
「聞いていない。うるさいと言った」
「……それは」
「いい」
それだけ言って、甲板の縁に向かった。
「待って」
「いい」
「どこ行くの」
「少し出る」
「出るって、海よ」
「分かってる」
「あなた、陸にいられないわよ。水の中は――」
「人魚じゃないが、水には入れる。しばらく一人でいる」
「たこまる」
「呼ぶな」
たこまるが、甲板から海に落ちた。落ちた、というより、自分で飛び降りた。小さな水音がして、消えた。
リヴィアは縁から海を見た。たこまるの姿は見えなかった。
甲板がしばらく静かだった。
「……行ってしまいましたね」
ミルフィナは苦笑いを浮かべていた。
「うん」
「追いますか」
「海の中には追えない。たこまるの方が速い」
「では、待ちますか」
「……待つしかない」
ネリネが冷静に言った。
「船長。たこまるさんの言っていたことは、筋が通っていました」
「分かってる」
「であれば」
「分かってるって言ってる」
「……はい」
リヴィアは操舵輪を握った。
誰も何も言わなかった。波の音だけが続いた。
一時間ほどして、ピピが叫んだ。
「あ! たこまるさん!!」
指差した先、シーラビット号から百メートルほど離れた場所に、小さな浮島があった。浮島というより、岩が一つ、海面から出ているだけだ。その上に、丸い影があった。
「たこまるだわ」
「行きますか」
ミルフィナが尋ねた。
「ボートで近づけるか確認する」
岩に近づくと、たこまるは岩の上で八本の足を折りたたんで丸まっていた。目は開いていたが、こちらを見なかった。
「たこまる」
「……帰れ」
「帰れないわよ。あなたを置いて行けない」
「置いていけばいい。ここで干物になる」
「ならないわよ。岩の上にいれば乾かない。潮が来たら流される」
「流されてもいい」
「よくない」
「おれが決める」
「わたしの船の乗組員でしょ」
「船を降りた」
「降りてない。飛び降りただけ」
「……屁理屈を言うな」
リヴィアはボートを岩に寄せた。
「屋台で皿洗いをしていたって聞いた。港町でもないのに、ここで何をするつもりだったの」
「……ここには屋台はない」
「そうね」
「見つからなかった」
「岩の上で干物になる予定だったのね」
「そうだ」
「やめて」
「おれが決める」
「わたしが決める。乗組員のことは、船長が決める」
「間違えた判断をする船長の言うことを聞く理由はない」
「間違えた。認める」
たこまるが少し動いた。足の一本が動いた。
「認めるの?」
「認める。あなたの言う通りだった。ミルフィナの状態を、見たいように見ていた。大丈夫だと思いたかったから、大丈夫に見えた」
「……」
「昨日の夜、ミルフィナが疲れが残っていると言った時も、すぐに大丈夫かを確認しなかった。あなたに言われるまで動かなかった」
「それは」
「あなたが突っ込んだから、気づけた。今回も、あなたが言わなかったら、作戦をそのまま進めていた。それは間違いだった」
たこまるがリヴィアを見た。
「分かっていて、なぜうるさいと言った」
「……怖かったから」
「何が怖い」
「自分の判断が間違っているって認めるのが、怖い。船長だから。間違えたら、全員に関わるから。だから、指摘されると、反射的に否定した」
「それは分かる。でも、おれは雑用係じゃない」
「分かってる」
「おまえのことを心配して、言った」
「分かってる」
「うるさいと言われると、心配した甲斐がない」
「……ごめん」
たこまるは目を見開いた。
「謝るのか」
「謝る。あなたの言葉を、うるさいと遮った。それは間違いだった。ごめん」
岩の上で、たこまるが丸まったままでいた。波が岩を叩いた。
「……まあ、おまえが謝るのは、珍しい」
「滅多に言わないわよ。大事な時だけ」
「今が大事な時か」
「そうよ。あなたが岩の上で干物になりかけてる。大事な時でしょ」
「干物になりかけてはいない」
「なりかけてる」
「……」
「戻って。お願い」
たこまるが足を伸ばした。
「お願い、とも言えるようになったか」
「滅多に言わない」
「今日は大事な時だから?」
「そうよ」
たこまるがゆっくりと立ち上がった。岩の上で、少し伸びをした。
「戻ったとして、作戦はどうする」
「変える。ミルフィナの状態を、あなたと一緒に確認してから判断する。あなたの見立ての方が正確だから」
「おれを頼るのか」
「頼る。高貴なる深海知性体の判断を、借りる」
「……借りる、ではなく、参考にする、という形が正しい」
「分かった。参考にする」
「おれが言ったことを全部正解とするのも違う。判断するのは船長だ。ただ、おれの見立てを無視するな」
「無視しない。約束する」
たこまるがボートに飛び移った。
「帰るか」
「帰ろう」
ボートをシーラビット号に戻した。
甲板に上がると、全員が待っていた。ミルフィナが一歩前に出た。
「たこまるさん」
「なんだ」
「さっき、私のことを心配してくれていたと、聞こえていました」
「聞こえていたか」
「はい。ありがとうございます」
「礼を言うな。当然のことだ」
「当然でも、ありがとうございます。私は、自分の状態を正確に伝えるのが、あまり得意ではありません。これからは、正直に言います。消耗した時は、消耗したと言います」
「それでいい」
「私も、たこまるさんの見立てを頼りにします。私自身より、正確に分かることがあると思います」
「分かる。おれの方が、外から見えるものがある」
「はい」
たこまるがリヴィアを見た。
「飯にしろ。腹が減った」
「干物になりかけてたから?」
「岩の上にいたら空腹になった。それだけだ」
「分かった。たこまる、作って」
「おれが作るのか」
「高貴なる深海知性体の料理が食べたい」
「……まあ、いい」
たこまるが厨房に向かった。
「私が作ります」
ネリネがすぐについていく。
「おれがやる」
「今日は私が」
「昨日もそう言った」
「昨日はあなたが勝手に作りました」
「うまかっただろ」
「……それは否定しません」
リヴィアは、そのやり取りを聞いて、少しだけ息を吐いた。
ピピが走り回り始めた。ベルが黙って甲板の修理を再開した。
リヴィアはミルフィナの隣に立った。
「聞こえてたのね」
「はい。全部」
「恥ずかしい」
「なぜですか」
「ごめんなさいなんて、あまり言わないから」
「言えていました。かっこよかったです」
「かっこよくない。失敗したのよ」
「失敗して、認めて、謝れる人は、かっこいいです」
「そういうもの?」
「そういうものです。本にも書いてありました」
「海賊小説に?」
「はい。主人公が仲間に謝る場面がありました。その後、仲間との絆が強くなりました」
「……そういう展開ね」
「今日も、そうなると思います」
「なるといいけど」
「なります」
ミルフィナは迷いなく言った。
リヴィアは空を見た。
「あなたの状態、ちゃんと確認するようにする。見たいように見るんじゃなくて、ちゃんと」
「ありがとうございます」
「消耗してる時は言って。たこまるの見立てと合わせて、判断する」
「はい」
「約束よ」
「約束です」
厨房からたこまるの声が聞こえた。
「リヴィア、さっきの作戦だが、変えるにしても方向性は間違っていなかった。ミルフィナの状態を確認してから、同じ方針で動けばいい。根本は正しかった」
「……そう言ってくれるの」
「間違いは間違いとして指摘したが、全部が間違いだったとは言っていない。正しい部分は正しいと言う」
「ありがとう」
「礼を言うな。当然のことだ」
「当然でも言う」
「……勝手にしろ」
ミルフィナが小さく笑った。
「やさしいですね」
「やさしくない」
「やさしいです」
「やさしくない」
「やさしいです」
「……飯ができたら呼ぶ。待ってろ」
シーラビット号に、いつもの声が戻った。波の音と、厨房の音と、ピピの声と、ネリネとたこまるの言い合いと。
リヴィアは操舵輪を握った。今日は必要があって握った。
前を向いた。水平線が見えた。
まだ先がある。深海図書館も、星潮の冠も、三つの鍵も。分からないことだらけだ。
でも、いつもそうだった。分からないまま進んでいる。それで今日まで来た。
「行くわよ」と小さく言った。
波が答えるように、シーラビット号を揺らした。




