Voyage 11 海賊少女、嫉妬する
鏡海を抜けた翌日の朝、ローザの船が現れた。
ヴァーミリオン号はシーラビット号の右舷に並んで、ローザが甲板から手を振った。やたらと様になる手の振り方だった。
「また会ったわね」
「また会った。なんで来たの」
「言ったでしょ。情報を共有する約束をした」
「こっちから連絡するつもりだったけど」
「待ってられなかったのよ。こちらから動いた方が早いと思って」
ローザは視線をミルフィナに移した。
「おはよう、ミルフィナ。元気そうね」
「おはようございます。ローザさんも」
「会うたびに思うけど、あなたは感じがいいわね」
「ありがとうございます」
「リヴィアと正反対だわ」
「そんなこと言わないで!」
リヴィアが叫んだ。
「事実を言っただけよ」
「わたしだって感じいい!」
「……まあ、あなたはあなたで、いいところがあるわね」
「褒め方が雑すぎる!」
たこまるが帽子から顔を出した。
「ローザ。情報があるなら、さっさと言え。朝から騒がしい」
「そうね」
ローザの声が少し変わった。
「乗り込んでいい? 話しやすい方がいい」
「来なさい」
ローザが小舟でシーラビット号に移ってきた。全員が甲板に集まった。
「オルカについて、新しい情報が入った。私の情報網から。信頼できる筋よ」
「どんな情報?」
「オルカは、星潮の冠の在処をすでに絞り込んでいる。星潮の海溝という場所に、冠が眠っていると考えているらしい」
「星潮の海溝」
「世界で最も深い海域のひとつ。空と海の境界が最も薄い場所と言われている。そこに、冠が眠っているという伝説が古くからある」
「オルカはそこへ向かってる?」
「準備を進めている。ただし、まだ動いていない。冠を使うために、何かが足りないらしい」
「三つの鍵のことかもしれません」
ミルフィナがそう言うと、ローザが少し目を細めた。
「鍵を知っているの?」
「時計塔で記録を読みました。冠は三つの鍵によって守られている。分断を望む者には使えない。ただし、壊せば力を取り出せる可能性があります」
「壊す、か。オルカが急いでいる理由が分かった。使えないなら壊す。その準備を進めているのかもしれない」
「壊されたら、どうなるの?」
リヴィアが尋ねた。
「分からない。でも、冠の力が制御できない形で解放されるとしたら、海流が乱れる。大規模に」
「海と陸の航路が断絶する?」
「最悪の場合は、そうなる可能性がある」
甲板が静かになった。
ミルフィナが口を開いた。
「私の一族は、冠の守護者でした。記録にそう書いてありました。でも、今の王宮ではそれが伝わっていない。あるいは、隠されている」
「オルカが隠したのかもしれないわね。守護者がいると分かれば、冠に近づきにくくなる。だから、その記録を消した」
「そういうことかもしれません」
「あなたが守護者なら、冠を守る鍵のひとつが、あなたにある」
「そう読めます」
「ならば、オルカはあなたを連れ戻したい理由がもう一つある。ミルフィナを王宮に閉じ込めておけば、守護者として冠に近づけない」
リヴィアが腕を組んだ。
「セレナへの追加命令が、拘束だった理由がそれかもしれない」
「おそらく」
「ミルフィナを押さえておきたい。だから、わたしたちを捕まえようとした」
「そういうことね」
ローザはそう言い、ミルフィナを見た。
「大変なことに巻き込まれたわね」
「巻き込まれたとは思っていません。自分で来ました」
「そうね。あなたはそういう人ね」
ローザが少し笑った。
「いいと思う。そういう人の方が、面白い」
ローザがミルフィナの近くに移動した。地図を広げて、説明しながら話した。ミルフィナが頷きながら聞いた。
リヴィアはそれを見ていた。
別に、何でもない。ただ見ていた。
「……」
「船長」
たこまるが耳元で囁いた。
「何」
「海より分かりやすいと言ったが、今日は特に分かりやすい」
「何が」
「顔が」
「どんな顔してる」
「眉の間に皺がある」
「考えてるから」
「何を」
「航路のことを」
「ローザとミルフィナが地図を見ながら話しているのに、航路を考えるなら自分も地図を見るはずだ」
「……」
「でも、おまえは地図を見ていない」
「見てる」
「どこを見てる」
「地図を」
「ミルフィナを見てる」
「見てない」
「見てる」
リヴィアは視線を逸らした。
「見てたとしても、それは確認よ。乗組員の確認」
「乗組員の確認を、あの顔でするのは珍しい」
「どんな顔よ」
「面白くない顔」
「面白くなくはない」
「面白くない顔だ」
「……うるさい」
ローザが笑う声がした。ミルフィナが何か言って、また笑う声がした。
リヴィアは前を向いた。前を向いて、全然別のことを考えた。次の航路のこと、深海図書館の場所のこと、食費のこと、帆の黒ずみのこと。
全然別のことを考えたが、どうしても耳が向こうの会話を拾った。
ローザの声だった。
「リヴィアは昔から強がりなのよ。きっと今も、何か一人で抱えてる」
「分かります。でも、少しずつ言えるようになっています」
「そう?」
「はい。ここでは言えると、思ってくれているようです」
「あなたのおかげかもしれないわね」
「リヴィアさんの船だからだと思います」
「どっちもじゃない?」
「……そうかもしれません」
リヴィアは舵を握った。握る必要はなかったが、握った。
「……」
「不機嫌が悪化した」
たこまるが突っ込んだ。
「不機嫌じゃない」
「悪化した」
「してない」
「ローザとミルフィナが話すたびに悪化している。これは記録だ」
「記録しなくていい」
「貴重なデータだ」
「捨てて」
ローザが戻ってきた。リヴィアの隣に立った。
「情報を整理したわ。次は深海図書館でしょ。私も情報を持っている」
「どんな情報?」
リヴィアは努めて普通の声で尋ねた。
「クジラの移動パターンに規則性がある。今の季節なら、東の外海に出ている可能性が高い。具体的な場所は、海流を読まないと分からないけど」
「ミルフィナが海流を読める」
「ならば、二人で協力すれば見つかるかもしれない。ただし、私も一緒に行く」
「なんで?」
「深海図書館には、私も用事がある。古代海図の原本があると聞いた。それを見たい」
「……別行動じゃダメ?」
「同じ場所に行くなら、一緒の方が効率がいいでしょ。非効率な別行動を好む理由がある?」
リヴィアは答えられなかった。論理的には、ローザの言う通りだ。一緒に行った方が効率がいい。それは分かる。
「……分かった。一緒に行く」
「いい返事ね」
ローザはそう言って、またミルフィナの方を見た。
「ミルフィナ、海流の読み方を教えてもらえる? この海域の特性を知りたいの」
「もちろんです」
二人が船首の方へ歩いた。
たこまるが言った。
「おまえ、今、何かを我慢しているな」
「我慢してない」
「してる。何を我慢してる」
「何もしてない」
「リヴィア」
「何よ」
「ローザが何かを盗もうとしているか」
「……してない。ローザはそういう人じゃない」
「ミルフィナが嫌な思いをしているか」
「してない。楽しそうにしてる」
「では何が問題だ」
「問題はない」
「では、なぜ面白くない顔をしている」
リヴィアは黙った。
「面白くない顔をしているのに、理由がないはずがない。ただし、理由は本人が一番よく分かっているはずだ。おれは知らない」
「知らないなら言わなくていい」
「ただ、一つだけ言う」
「何」
「分かってることを、自分に嘘をついて誤魔化してると、あとで面倒になる」
「何が分かってるって?」
「おれは言わない。おまえが知ってることだ」
たこまるが帽子に戻った。
リヴィアは前を向いた。
船首で、ミルフィナとローザが並んで海を見ていた。ミルフィナが何かを説明して、ローザが頷いていた。ミルフィナは、誰に対しても同じように話す。距離を置かない。警戒しない。それがミルフィナという人間だ。
分かっている。
分かっているが、面白くなかった。
面白くない理由も、分かっていた。
「……面倒ね」
リヴィアは小声で呟いた。
「何が面倒?」
ネリネが通りがかりに尋ねた。
「独り言よ」
「そうですか」
ネリネは立ち止まって、呼んだ。
「船長」
「何」
「あくまで私の観察ですが」
「何」
「ミルフィナさんは、ローザさんと話していても、定期的にこちらを見ています」
「……そう」
「五分に一回くらい、こちらを確認しています。ローザさんとの会話が続いても、視線はよく飛んできます」
「それがどうしたの」
「別に。ただの観察です」
ネリネが行った。
リヴィアは船首の方を見た。
ミルフィナが、ちょうどこちらを見た。目が合った。
ミルフィナが少し笑った。
リヴィアは視線を逸らした。でも、顔が少し緩んだ。緩んだのが分かったので、また引き締めた。
昼になった。
たこまるが昼食を作った。全員で甲板で食べた。ローザも一緒に食べた。
「これ、誰が作ったの」
ローザが尋ねた。
「おれだ」
「美味しいわね」
「当然だ」
「ヴァーミリオン号の料理人より上かもしれない」
「当然だ」
「随分自信家ね」
「実力がある者が自信を持つのは妥当だ」
「……そうね」
ローザが笑った。
「嫌いじゃない、その言い方」
「どうでもいい」
「たこまる、ローザに感じよくしなくていい」
「感じよくしていない。事実を言っているだけだ」
「褒められてるわよ」
「料理を評価されているだけだ。料理人として当然の反応をしている」
「料理人なの?」
「料理をする者は料理人だ」
「高貴なる深海知性体じゃなかったの?」
「どちらも兼ねている」
ローザが笑い続けた。リヴィアはそれが少し悔しかった。ローザがシーラビット号の空気に馴染んでいることが、何となく。
「ミルフィナ、さっき話していた海流の件、もう少し詳しく聞いていい? 食後に」
「はい。喜んで」
「リヴィアも来る?」
リヴィアは少し間を置いた。
「行く」
「意外ね。あなたは海流の話には興味がないかと思ってた」
「あるわよ」
「そう?」
「あるの。海賊だから」
「じゃあ、三人で話しましょう」
食後、三人で船首に集まった。ミルフィナが海流の話をした。リヴィアは聞きながら、ミルフィナの隣に立った。さっきよりローザとの間に入る形になった。
たこまるが後ろから見ていた。何も言わなかった。
ミルフィナが話し終えたあと、ローザが呼んだ。
「リヴィア」
「何」
「さっきより顔がよくなったわね」
「どういう意味よ」
「さっきはずっと面白くない顔してた」
「してなかった」
「してた。今の方がずっといい顔をしてる」
「……うるさい」
「素直じゃないわね」
「うるさい」
ローザが笑って、離れた。
ミルフィナがリヴィアを見た。
「リヴィアさん、今日は一緒に来てくれました」
「まあ、海流の話だったから」
「ありがとうございます」
「礼を言うことじゃないわよ」
「でも、嬉しかったです」
「なんで」
「隣にいてくれたので」
リヴィアは前を向いた。
「……うちの船員だから。把握しておく必要がある」
「はい」
「どこにいるか、何をしているか」
「はい」
「それだけよ」
「はい」
ミルフィナはそれから少し間を置いて、続けた。
「でも、嬉しかったです」
「……もうそれ以上言わなくていい」
「はい」
「言わなくていい」
「言いません」
「よし」
「でも、思います」
「思うのは止めない」
「ありがとうございます」
たこまるがぽつりと言った。
「海より分かりやすい、ということは、おれの観察眼が正しいということだ」
「何が分かりやすいの?」
ピピが走ってきた。
「船長の顔だ」
「船長の顔がどうしたんですか?」
「さっきまで面白くない顔をしていたが、今はいい顔をしている」
「本当だ! 船長、今すごくいい顔してます!」
「してない!!」
「してます!」
「してないわよ!!」
夕方、ローザが戻る前に、リヴィアに言った。
「明日、外海に出る。深海図書館を探す。合流地点を決めましょう」
「分かった。どこに?」
「北の外海、岩柱群の手前。知ってる?」
「知ってる。半日で着く」
「では、明後日の夜明けに。それまでにどちらかが図書館の場所を掴んでいれば、信号を出す」
「了解」
「それと、リヴィア」
「何」
「さっきよりさらにいい顔をしているわ」
「……黙って帰って」
「素直に認めればいいのに」
「何を認めるの」
「自分で考えなさい」
ローザが小舟に乗った。ヴァーミリオン号に向かって漕ぎ始めた。
ミルフィナがその背中を見ていた。
「ローザさんは、面白い人ですね」
「そう?」
「はい。からかいながら、本当のことを言います」
「そういう人よ。昔から」
「リヴィアさんとは、長い付き合いですか」
「長い。腐れ縁よ。好きじゃない」
「嫌いですか」
「……嫌いでもない。嫌いならこんなに付き合ってない」
「では、好きですか」
「好きでもない」
「どちらでもない?」
「……ライバルよ。ライバルは好きでも嫌いでもない。ただ負けたくない相手」
「負けたくないのは、大事に思っているからですか」
「そうじゃない」
「では?」
「……負けたくないのは、負けたくないからよ。それだけ」
「そうですか」
ミルフィナは少し笑った。
「では、私はどうですか」
「何が」
「好きですか。嫌いですか」
リヴィアは少し考えた。
「……乗組員よ」
「それはどっちですか」
「どっちでもない。乗組員」
「乗組員は、好きでも嫌いでもないのですか」
「……好きよ。乗組員は、みんな」
「みんな、の中に私も入りますか」
「入る」
「ありがとうございます」
ミルフィナは嬉しそうな声で言った。
「礼を言うことじゃない」
「でも嬉しいです」
「もう分かった」
「ありがとうございます」
たこまるが言った。
「おまえら、出航前から沈みそうだぞ」
「沈まない」
「顔が赤い」
「夕日よ」
「今日は曇っている」
「夕日よ!!」
シーラビット号は、夕の海に静かに浮かんでいた。




