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第8話:イグナス家の敗北

 オーガスティン城跡の入り口は、帝国の「傲慢」と、追い詰められた民の「執念」が激突する屠殺場と化していた。


 先陣を切ったザングース・イグナスは、愛馬を駆りながら退屈そうに指先を弾いた。彼にとって、この遠征は戦いではなく、不潔な害虫の駆除に過ぎなかった。


「消えろ、下民ども。貴様らの血で、私の靴を汚させるな」


 ザングースの言葉と共に、虚空から無数の紫電が降り注ぐ。それは農民たちが掲げる錆びた鍬や鎌を粉砕し、一瞬にして数人を炭化させた。圧倒的な魔導の力。対等な戦いなど、そこには存在しないはずだった。


 しかし、一揆軍の背後に控える元冒険者たちの動きは、ザングースの予想を裏切るものだった。


「今だ、火炎瓶を投げろ! 騎士たちの目を眩ませろ!」


 ケインの号令と共に、魔力を含んだ特殊な油瓶が騎士団の足元で炸裂する。炎そのものは騎士の魔導鎧を貫けずとも、発生した濃密な黒煙と熱波が、統率された騎士団の連携を乱した。農民たちはその隙を突き、死を恐れぬ特攻で軍馬の脚に縋り付く。一人が斬られれば二人がその死体に乗り上げ、数で重装騎士の動きを封じ込めていた。


「ちっ、鬱陶しい……。さっさと立て直せっ!」


 ザングースが後方の騎士達へ叫び、さらに敵陣の奥深くへ、単騎で突っ込んだ。その先、崩れた岩壁を背に、一人の男が静かに斧を構えて立っていた。


 ヴァレアス・ロドリゲス。


 かつて帝国軍の最前線で「暴力の権化」と謳われた男が、その瞳に静かな殺意を宿してザングースを見据えていた。


「貴様が首謀者のヴァレアスか。軍人の端くれなら、魔法の前に人がいかに無力か理解しているだろう?」


 ザングースは冷笑し、最大級の雷撃を放とうと魔導陣を展開した。空気がパチリと震え、紫色の雷光がヴァレアスの頭上へ収束する。

 だが、ヴァレアスは動かない。その足元、雪の下に隠されていた「罠」が発動したのはその瞬間だった。


「――発動オン。」


 ヴァレアスの合図と共に、地面に埋設されていた古い魔導阻害石アンチ・マナ・ストーンが共鳴を始めた。それは帝国の軍用物資をケインたちが命懸けで略奪してきたものだ。ザングースが展開していた精密な魔導回路は、外部からの強制的な干渉を受け、耳を劈くような不協和音と共に霧散した。


「なっ……魔力が、霧散した……!?」


 魔法に絶対の自信を持ち、それゆえに魔法に頼り切っていたザングースに、動揺が走る。魔導師としての致命的な隙。百戦錬磨のヴァレアスが、その一瞬を見逃すはずがなかった。


「戦場で魔法を信じすぎるなと、教官に教わらなかったか。坊主」


 ヴァレアスの巨躯が、雪を蹴って爆発的に加速した。

ステータスを極限まで筋力(ATK)に振り切った男の突進。ザングースは慌てて予備の魔力で障壁を張ろうとしたが、ヴァレアスが振り下ろした手斧は、その未完成な盾を紙細工のように引き裂いた。


ギィィィィィィィン!!


 重厚な金属音が響き、ザングースの魔導鎧の肩当てが粉砕される。

「がっ……あ……っ!?」

「魔法の壁がなければ、貴様もただの肉塊に過ぎん。」

 ヴァレアスは斧を捨て、その剛腕でザングースの喉元を直接掴み上げた。圧倒的な握力。帝国が誇る天才の細い喉が、ヴァレアスの指の中で悲鳴を上げる。ザングースは必死に手を伸ばし、電撃を放とうとしたが、ヴァレアスは容赦なくその腕を捻り上げ、関節を外した。


「……ぐ、あああぁぁぁ!!」

「ザングースさまぁっ!」


 後方で騎士達が叫ぶが、農民と冒険者たちの必死の足止めにより、前進を阻まれている。

 ヴァレアスは、抵抗する力を失ったザングースを、雪原に跪かせた。


「イグナスの誇りも、帝国の栄光も、握り潰せばこれほど脆いものか。……イグナス家の騎士達よ! 主人の命が惜しくば、直ちに全軍を退け!」


 吹雪の中に、敗北を喫した天才の醜い喘ぎと、かつての英雄による冷酷な要求が響き渡った。雪原に飛び散った鮮血が、帝国の傲慢が砕け散った事実を、何よりも雄弁に物語っていた。


 ――時計の針を、わずかに巻き戻そう。

 舞台は、オーガスティン城跡、西側。

 そこには、帝国の放つ研ぎ澄まされた軍律と、死に物狂いで食らいつく民草の泥臭い執念とが、真っ向から衝突する戦場があった。


 雪原を紅蓮の熱気で溶かしながら進軍するジルド・イグナス。その周囲には、公爵家が誇る精鋭騎士団《双頭龍の鉄爪》が、一分の隙もない陣形で追従している。彼らにとって、目の前に立ちはだかる数百の農民たちは、本来であれば一薙ぎで掃討できるはずの「障害物」に過ぎない。だが、その障害物が、今や血と肉の壁となってジルドの歩みを完全に停滞させていた。


「退け! 命を無駄にするな、ラザルの民よ!」


 ジルドが咆哮し、愛剣から放たれた炎の波動が雪原を横薙ぎに払う。凄まじい熱波が先頭の農民たちを襲うが、その瞬間、一揆軍の背後から元冒険者たちが魔導防壁のスクロールを次々と起動させた。


「今だ! 崩れるな、死を恐れるな! ここを通せば、村の女子供に明日はないぞ!」


 元ゴールドランク冒険者ジェルリアの声が響く。防御魔法が弾け、炎が霧散する。その僅かな隙を突き、農民たちは「肉弾戦」を仕掛けた。


 彼らには魔法も、洗練された剣技もない。あるのは、飢えで痩せ細った自らの体を「楔」として打ち込む狂気だけだ。一人が炎に焼かれ、断末魔の叫びを上げながらもジルドの足首に縋り付く。二人が槍で突かれ、鮮血を撒き散らしながらも公爵家騎士の軍馬の喉笛を鎌で引き裂く。


「……っ、貴様ら……!」


 ジルドの瞳に苦渋の色が走る。彼が剣を振るうたび、誰かの父親であり、誰かの息子である男たちが物言わぬ肉塊へと変わっていく。しかし、一揆軍の波は途切れない。一人が倒れれば、その死体を踏み越えて三人が押し寄せる。彼らは知っていた。真正面から戦えば数秒で全滅する。だからこそ、自らの命を「ジルドの足を一秒止めるための消耗品」として投げ出していた。


「ジルド様、これでは埒が明きません! 賊軍は我らの情に付け込んでいます!」


 副官が叫ぶが、ジルドは剣を振り抜けない。騎士としての正義感が、丸腰に近い農民を虐殺することに歯止めをかけていた。その「甘さ」こそが、ヴァレアスが描いた戦術の核心であった。


 その時、一揆軍の奥方、岩壁の向こう側から、空を劈くような絶叫が響き渡った。


「――が、ああああぁぁぁぁぁ!!」


 それは、聞き間違えようのない弟の声であった。

ジルドの背中に、氷水を浴びせられたような戦慄が走る。視線を向ければ、立ち上る黒煙の向こう側、ヴァレアス・ロドリゲスの剛腕によって、無残に喉元を掴み上げられ、宙に吊るされたザングースの姿があった。


「ザングース!」


 ジルドが叫び、全魔力を解放して突撃しようとした。しかし、ヴァレアスは冷酷に、ザングースの右腕を不自然な方向へと捻り上げた。バキリ、という硬質な破壊音が風に乗ってジルドの耳に届く。


「イグナスの誇りも、帝国の栄光も、握り潰せばこれほど脆いものか。……イグナス家の騎士達よ! 主人の命が惜しくば、直ちに全軍を退け!」


 ヴァレアスの声は、戦場全体の喧騒を圧するほどに重く、鋭かった。


 ジルドの動きが凍りついた。


 目の前では、今なお犠牲を出し続けながら自分を食い止めようとする農民たちが、血に塗れた顔で自分を睨みつけている。そして視線の先には、捕虜となり、屈辱と激痛に顔を歪める弟の姿。


「……汚い真似を……っ」


 ジルドの拳が震え、握りしめた剣から火花が散る。だが、彼には選べなかった。弟を見捨てる非情さも、このまま農民たちを皆殺しにして突き進む冷酷さも、今の彼には備わっていない。


「全軍……一時撤退だ。陣を引き下げろ!」


 ジルドの苦渋に満ちた命令に、騎士団に動揺が走る。しかし、人質が次男ザングースである以上、異論は許されなかった。騎士たちは農民たちの罵声と、勝利の咆哮を背中に浴びながら、ゆっくりと後退を開始した。

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