第85話:暗躍する影
反政府勢力。
そう呼べば、まるで高尚な理念でもあるかのように聞こえる。
だが実態は違う。
反皇族派――より正確には、皇族内部の権力争いから弾き出された連中が、裏で金を出し、血の臭いに群がる者たちを集めただけの寄せ集めだ。
傭兵。
冒険者崩れ。
軍を追われた元兵士。
犯罪歴を抱え、もはや表の世界に戻れない者たち。
理想も信念もない。
あるのは金と、鬱積した怨嗟と、どうせ失うものなど残っていないという共通認識だけだった。
その烏合の衆を束ねる首魁の名は――デルバン・ガッチマン。
冒険者階級で示すなら、プラチナ級。
英雄と称されるほどではないが、幾度も修羅場を潜り抜け、生き残るためなら手段を選ばない男だ。
彼は強さよりも「使い方」を知っていた。
人も、金も、恐怖も、欲望も。
今回の依頼を最初に聞いたとき、デルバンは即座に断るつもりだった。
帝国中枢を狙う?
皇族、重鎮、士官学校関係者が一堂に会する交流会?
冗談じゃない。
あの警備網は、正面からなら古龍や魔神を相手にする方がまだ生存率が高い。
だが、依頼主は焦らなかった。
淡々と条件を提示し、最後にこう付け加えた。
――外からではない。
――内部からだ。
デルバンは、その一言で態度を変えた。
「……なるほどな」
警戒が厳重であるということは、
逆に言えば“中にいる者”は疑われにくい。
加えて、報酬額。
一度きりの仕事で、この先一生、遊んで暮らせるだけの金。
失敗した場合は切り捨て。成功した場合は完全な身分洗浄と逃亡経路の保証。
あまりに露骨で、あまりに危険だ。
だが同時に、不可能ではない。
デルバンはその場で首を縦に振った。
準備には一年近くを費やした。
資金は段階的に流され、足がつかぬよう幾重にも分散された。
傭兵は小分けに雇われ、互いの全貌を知らされない。
冒険者ギルドを追放された実力者たちは、甘言と現実的な逃げ道で誘い込まれた。
デルバン自身は前に出ない。
表に立つのは常に代理と影だ。
すべては、明日のため。
作戦拠点の壁には、五枚の資料が貼られていた。
標的一覧。
現皇帝。
皇族。
帝国軍の要職者。
士官学校関係者。
デルバンは無造作にナイフを取り、壁へ投げつける。
刃は迷いなく、一枚の顔面へ突き刺さった。
「――アルフォンス・バースバル・アウグストゥス」
現皇帝。
この仕事の“象徴”だ。
だが、デルバンの視線はすぐに別の一枚へと移った。
銀髪の女。
冷えた真紅の瞳。
見る者を圧する、異様な存在感。
マリア・イグナス。
五人の標的の中で、ただ一人だけ条件が違った。
殺すな。生け捕りにしろ。
「……へぇ」
デルバンは低く笑った。
生け捕り。
それは殺すより遥かに面倒で、リスクも高い。
それでも依頼主は、彼女を“欲しがった”。
理由は語られていない。
だが、語られない理由ほど、男の想像力を刺激するものはない。
(なるほどな……)
デルバンは、貼られた肖像画――
実物を元に描かれた、89×127の精密な絵を見つめた。
理性で理解する。
この女は危険だ。
触れれば、噛み殺されるかもしれない。
飼おうとすれば、こちらが首輪を嵌められる可能性すらある。
それでも。
胸の奥で、どす黒い欲望が蠢いた。
支配したい。
折り伏せたい。
価値あるものを、自分の所有物にしたい。
その醜悪な感情に引きずられるように、
デルバンは自分の身体の変化を自覚した。
下腹部に、重く熱い血が集まる。
股間が、はっきりと膨らんでいく。
「……誰が渡すかよ」
呟きは、唾と共に吐き捨てられた。
依頼主が娶る?
笑わせる。
こんな女は、誰かの飾りになる器じゃない。
飼うなら、首輪を握るのは自分だ。
「帝国を壊すついでに……」
デルバンはナイフを引き抜き、マリアの肖像画に指を滑らせる。
「最高の獲物を手に入れる」
明日、宴は始まる。
表では笑顔が交わされ、
裏では刃が走る。
帝国が誇る平和な一日が、何事もなかったかのように終わる――
その陰で、確実に“奪われるもの”がある。
デルバン・ガッチマンは、そういう仕事をしてきた。
そして明日、
彼は自分がこれまで積み上げてきたすべてを賭ける。
相手が帝国だろうが、
女神のような女だろうが――関係ない。
欲しいものは、奪う。
それが、この男の流儀だった。
「ボス、Sから連絡は?」
薄暗い作戦室で、部下の一人が恐る恐る尋ねた。
デルバンは酒瓶を傾けながら、露骨に舌打ちする。
「来るわけねぇだろ、バカが」
短く吐き捨てる。
「会場に入る時点で通信端末も魔導具も全部没収だ。仮に持ち込めても、結界で遮断される。そんな初歩も理解してねぇのか」
部下は口を閉ざす。
周囲の空気が一段冷えた。
デルバンは苛立ちを隠そうともしない。
(まあいい)
こいつらを相手にするのも、明日で終わりだ。
成功すれば全員使い捨て。
失敗すれば全員囮。
どのみち、報酬を分け与える気など最初からない。
直接手を下さずとも、帝国側がまとめて捕縛してくれる。
“口封じ”としてはむしろ都合がいい。
「じゃあ、どうやって仕掛けるんで?」
別の部下が口を挟む。
デルバンは壁の資料に視線を向けた。
「今回の交流会で、一番警備が緩む時間帯はどこだと思う?」
誰も答えられない。
「夜の懇親会だよ」
指で机を叩く。
「式典や展示の間は、全員が“公の顔”だ。警備も軍規も最大限張り詰める」
「だが懇親会は違う。飲食が入る。貴族同士の社交が目的になる。形式上は護衛がいても、“場を壊さない”配慮が優先される」
つまり――
「警備の質が変わる」
人数は多い。
だが注意は分散する。
「Sが仕込んだ罠が上手く動けば、そこで第一段階終了だ」
具体的な中身は語らない。
言う必要もない。
厨房。
給仕。
流通経路。
毒を混ぜる手段など、いくらでもある。
「……まあ、そんな綺麗に決まるとは思ってねぇがな」
デルバンは肩を鳴らした。
「要はターゲットが消えりゃいい」
指で資料を叩く。
「絶対条件は二つ」
皇帝。
そしてマリア・イグナス。
「この二人が落ちれば、話は終わりだ」
デルバンは、帝国がどうなろうと知ったことではなかった。秩序も、統治も、混乱も――全部、他人事だ。
重要なのはただ一つ。
依頼主が満足するかどうか。
皇帝が死に、マリア・イグナスが消えれば、それで条件達成。その先で帝国が荒れようが、内乱が起きようが、街が燃えようが、そんなものは後始末をする連中の仕事だ。
「あとは勝手に踊ってろって話だ」
デルバンはそう吐き捨て、資料から視線を外した。
「そこで二段階目だが――」
「え、それって具体的には――」
言いかけた部下の腹に、デルバンの蹴りがめり込んだ。
「ぐぇっ!?」
鈍い音と共に男が床に転がる。
「全部説明してやる義理があると思うなよ」
冷えた目で見下ろす。
「お前らは言われた通り動け。それで十分だ」
咳き込む部下を一瞥し、デルバンは酒を飲み干した。
明日。
帝国の中心で何かが起きる。
成功すれば、巨万の富と逃亡生活。
失敗すれば、死か処刑。
だがデルバンにとっては、どちらでも構わなかった。
退屈な日常より、
血の匂いがする賭けの方が性に合っている。
壁の肖像画に視線をやり、口元を歪める。
「せいぜい楽しませろよ、帝国様」
夜は静かに更けていく。
そして翌日、
華やかな交流会の裏で、牙が剥かれる。




