第86話:模擬戦
交流会二日目。
今日のメインイベントは、どう考えても模擬戦だ。
各校の代表者が、所属する学府の名誉と矜持を背負って真正面から殴り合う――健全かどうかはさておき、見世物としては一級品。
しかも噂では、毎年裏で相当な賭け金が動いているらしい。
どこだ。
どこに賭けの窓口がある。
これだけ人が集まってて、金の匂いがしないわけがないだろ。
俺も一枚噛ませてくれ。運だけは自信あるんだ。
「ゼン、今日の模擬戦だが――」
背後から、いかにも爽やかで、いかにも善人面した声。
振り返る前に、俺は片手を上げた。
「いい、黙れ。俺は絶対に出ない。幼年部代表はお前だ」
即断即決。
議論の余地はない。
目の前に立っていたバルトロメウスは、一瞬だけ目を瞬かせ、それから肩をすくめた。
「はぁ……まぁ、分かってたけどね。でも勿体ないよ。ぼくより強い君が見学だなんて」
……は?
こいつ、本気で言ってるのか。
思わず反射で口が動きそうになるのを、ぐっと飲み込んだ。謙遜ってのはな、使いどころを間違えるとただの嫌味になるんだぞ、クソガキ。
第一、お前は自覚がなさすぎる。
生まれつきの恩恵持ちで、基礎から完成してる才能の塊が、努力型の雑魚を基準に語るな。俺が正面からやり合って勝てるわけないだろ。客観視って言葉、知ってるか?
それにだ。
観客が見たいのは、派手な魔法、豪快な斬撃、分かりやすい勝ち負けだ。空を焦がす術式とか、地面を割る一撃とか、そういう“絵になるやつ”。
間違っても――
俺のキショすぎるスキル披露会じゃない。
あんなもん、人前で出したら即クレーム案件だ。最悪、交流会が中止になる。
俺はため息を一つついて、肩越しに闘技場の方を見た。
既に観客席はざわつき始めている。
学生、貴族、軍人、冒険者。
期待と興奮が混ざった、あの独特の空気。
「安心しろ。お前が出る方が“正解”だ」
そう言ってやると、バルトロメウスは少しだけ目を細めた。
「……そう言われると、余計に緊張するんだけど」
知るか。
俺みたいなモブにも主人公にもなれない半端もんは、安全圏から完成された連中の技量を眺めて、へぇとかほぉとか言ってるくらいがちょうどいい。
俺は観客席に腰を下ろし、模擬戦用に整えられた闘技場を見下ろした。
――さて。
今日はどんな派手な見世物を見せてくれるんだか。
「それでは皆様、お待たせいたしました。本日最初の模擬戦を開始いたします」
程よく腹に響く声が、闘技場全体に行き渡る。
お、始まった。
「初戦は――第二帝国士官学校所属、ユング・ルーテン。対するは、第一竜騎空軍士官学校所属、ケンドリック・ウーバン!」
名前が告げられると同時に、観客席のあちこちから歓声と口笛が飛んだ。
なるほど、どっちも知名度は高いらしい。
闘技場の中央に進み出た二人を眺めて、俺は小さく息を吐く。
ユングは細身で、いかにも理詰めの魔導士って雰囲気だ。手にしているのは短剣型の触媒。刃は細く、装飾も最低限。無駄を削ぎ落とした実用一辺倒。
一方のケンドリックは余裕のある立ち姿。触媒は剣ですらない。右手の指に嵌めた、宝石付きの指輪だけだ。
……指輪型か。
「他校の魔導士の実力、興味ありますわ」
気づけば、当たり前みたいな顔でエレノアが隣に座っていた。
視線は闘技場に固定されたまま、一切ぶれない。
「ふーん。勝てそうか?」
正直、深い意味もなく投げた一言だった。
「そんな単純な話ではないんです!」
即座に肘が飛んできた。
……え、そこ怒るとこ?
「魔導戦は相性、間合い、構築速度、魔力循環……見るべき点がいくらでもあります。勝敗だけで語れるほど浅くありません!」
「はいはい、すみませんでした」
難しすぎる。
俺は素直に視線を闘技場へ戻す。
合図と同時に、ユングが先手を取った。
短剣型触媒を軽く振り、空間に細かな魔導陣を展開。無数の光の刃が具現化し、一直線にケンドリックへと殺到する。
速い。無駄がない。
これが正統派か。
だが――
ケンドリックは動じない。
指輪に嵌められた宝石が淡く光った瞬間、闘技場の景色が歪んだ。
「……あ?」
一瞬、視界がおかしくなる。
ユングの放った魔法は、確かに直撃した。
はずだった。
だが次の瞬間、ケンドリックの姿が揺らぎ、霧のように掻き消える。
幻術。
それも、視覚だけじゃない。距離感、音、気配――全部まとめて誤認させるタイプだ。
「っ、しま――」
ユングが気づいた時には遅かった。
背後。
いつの間にか、もう一人の“ケンドリック”が立っている。
指輪に込められた魔力が収束し、幻想と現実の境目が一気に反転する。
炸裂音。
ユングの防御結界が砕け、衝撃で身体が弾き飛ばされた。
「勝者――ケンドリック・ウーバン!」
歓声が爆発する。
俺は思わず口の端を吊り上げた。
「なるほど……幻で位置をずらして、相手の構築を読ませないわけか」
「ええ。指輪型は出力では劣りますが、その分、発動の速さと隠蔽性に優れています」
エレノアが満足そうに頷く。
なるほどなぁ。
派手さはないが、完成度は高い。これは確かに、見てて楽しい。
初戦からこれか。今日は退屈しなさそうだ――と思ったところで、次の対戦が始まる。
名前を呼ばれた二人は、正直どこにでもいそうな生徒だった。一人は土属性の基礎魔法を丁寧に積み上げるタイプ、もう一人は剣と身体強化の併用。悪くはない。悪くはないが……。
「堅実ですね」
「うん、堅実だな」
以上。
安全運転の模範解答みたいな試合で、勝敗も順当に決まった。拍手は起きるが、さっきの熱量には到底及ばない。観客席の空気も、次を待っているのがはっきり分かる。
そして――三組目。
「次の対戦者を紹介いたします。第一帝国陸軍士官学校、幼年部代表――バルトロメウス・フォン・ヴォルフラム!」
名前が響いた瞬間、空気が変わった。
続けて、
「対するは、第一海軍兵学校代表――エレン・ストアノス!」
ざわ、と観客席が色めき立つ。どよめきの質が、さっきまでとは明らかに違う。俺だけじゃない。周囲の視線が、一斉に闘技場へと吸い寄せられていく。
帝国軍元帥の息子が出る時と、ほぼ同じ反応だ。
「……知名度、高くないですか?」
エレノアが小声で呟く。
「ああ。正直、ここまでとは思わなかった」
海軍兵学校の眼鏡。
昨日、展示飛行の後で話しかけてきた、あの穏やかな青年だ。
だが今、闘技場に立つエレン・ストアノスからは、あの時の柔らかさはほとんど感じられない。静かで、冷えていて、深い。
「バルト、大丈夫ですよね……」
エレノアが不安そうに視線を向ける。
「分かんねぇ」
思ったまま口に出した。
闘神の加護。
それだけ聞けば反則じみた切り札だ。実際、バルトロメウスはその名に恥じない化け物だと思っている。
だが――相手も、何かを隠している。
同格か、それ以上。そんな予感が、腹の底で嫌な音を立てた。
「――それでは、第三試合、開始!」
合図と同時。
バルトロメウスの模擬刀――大剣が、空気を裂いた。
踏み込み一閃。
残像を引きずるような初動。速い、重い、迷いがない。
……が。
剣先が、ぴたりと止まる。
エレンの前に、突如として展開された水の膜。衝突の瞬間、鈍い音と共に波紋が広がった。「やっぱり、水か」。しかも薄い。薄いが、硬い。
ただの防御じゃない。圧縮と循環を同時にやってる。生半可な魔力操作じゃ無理だ。
「っ、邪魔だ!」
バルトロメウスが吼え、剣を振り抜く。火の武技が発動し、刃に灼熱が纏わりつく。水と火。相反する属性が、真正面から噛み合った。
蒸気が噴き上がり、視界が白に染まる。だがその中でも、二人は止まらない。バルトロメウスは力で押し切ろうとする。エレンは受け流し、削り、距離を制御する。
水が鞭のように伸び、足元を絡め取る。
火が爆ぜ、闘技場の床を焦がす。
拮抗。
完全に、拮抗している。
学生の域? とっくに越えてる。気づけば、観客席は総立ちだった。学生も、教官も、皇族も、冒険者も関係ない。
誰もが息を呑み、誰もが拍手を惜しまない。
――まだ決着はつかない。
だが、このカードが“当たり”なのは、もう疑いようがなかった。
「まずいですわっ!」
エレノアが鋭く叫ぶ。
「キャッ!?」
思わず情けない悲鳴が口から漏れた。いや、いきなり叫ぶなよ。マジで心臓に悪い。
ほんの一瞬。
刹那と言っていいほどの短さだった。
その一瞬、戦いから目を離した隙に――決着は、もうついていた。視線を闘技場へ戻す。
倒れている。
……え?
バルトロメウスが、地面に膝をつき、そのまま崩れ落ちていた。
「は?」
声が抜ける。
なに? 嘘やん。
見逃した。完全に。
派手な衝突も、爆音もない。
さっきまでの火と水のぶつかり合いが嘘みたいに、静かすぎる幕切れ。
隣を見ると、エレノアが口元を押さえ、肩を小さく震わせていた。
「……血液操作。極天黒魔法の一種ですわ」
低く、噛みしめるような声。
「相手の体内循環に直接干渉し、血圧、酸素供給、筋肉反応を瞬間的に阻害する魔法……」
なるほど。
ありがとうエレノアちゃん、説明助かる。
「……あの年齢で、あの完成度。間違いなく化け物ですわ」
血液操作。
スロンにはなかった系統だ。
というか、他人の血を直接いじるとか、普通にチート過ぎるだろ。
そりゃ派手なエフェクトなんて出ない。
見た目は、ただ一瞬、体が言うことを聞かなくなっただけ。
だからこそ――気づいた時には終わっている。
観客席は、一拍遅れてざわついた。
「……え? 終わり?」
「今の、何が起きた?」
「倒れただけじゃないか?」
拍子抜け。
そんな空気が広がる。
だが、違う。
有識者。
実力者。
前線を知る者たち。
そういう連中だけが、息を呑んでいた。
誰も歓声を上げない。誰も軽々しく拍手をしない。ただ、理解してしまったがゆえの、静かな戦慄だけが走る。
――派手さはない。
――だが、殺し合いなら、これ以上なく完成されている。
俺は倒れたバルトロメウスから視線を外し、立ったままのエレン・ストアノスを見た。
眼鏡の奥の瞳は、凪いだ海みたいに静かだった。同年代、化け物しかいねぇな。今日は本当に、退屈しなさそうだ。




