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第84話:天災

 交流会――正確には「帝国主催・次世代人材親睦式典」とかいう、無駄に仰々しい名前の行事は、予定通りに始まった。


 巨大な円形ホール。白亜の柱が等間隔に並び、天井には星座を模した魔導灯が浮かんでいる。床は磨き上げられた大理石で、足音すら反響する。音響魔導が組み込まれているせいで、演台の声はどこにいても鮮明に届く仕様だ。


 要するに――金と権力を、これでもかと見せつけるための箱。


 開会の鐘が鳴り、司会役の高官が長々と前置きを始める。


「――本日ここに、皇族の皆様、諸侯のご令息ご令嬢、そして帝国の未来を担う士官学校生徒諸君をお迎えできましたことを――」


 はいはい、知ってる。

 帝国の栄光。若者への期待。伝統と革新の融合。平和と繁栄。


 どこの世界でも、偉い奴の話は驚くほど似通っている。内容よりも語尾の抑揚と間の取り方が重要で、意味なんてほとんどない。聞く側は感動しているフリをして、終わるのを待つだけだ。


 気づけば、視界がゆっくりと揺れていた。


 ……やばい。


 椅子の背に預けたまま、首がわずかに前に落ちる。意識が、すとんと下へ沈みかけた。


 ――コツ。


 脇腹に、控えめだが確実な衝撃。


 エレノアの肘だ。


 俺は小さく息を吸い、何事もなかったように姿勢を正す。


「……寝ないでください」


 前を向いたまま、極小の声が飛んできた。


「誰のせいだと思ってる」

「今は我慢なさって」


 その直後、また別の肘。

 今度は少し強め。


 周囲を見渡せば、同じような顔が並んでいる。貴族の御曹司たちは微妙に目が虚ろで、士官学校の上級生の何人かは完全に魂が抜けていた。誰もが似たような地獄を見ている。


 ――と。


 ざわり、と空気が変わった。


 ホールの奥、重厚な扉の方から、視線が雪崩のように集まる。


「……来た」

「嘘だろ……本当に来たのか」

「――マリア・イグナスだ」


 囁きは、瞬く間に広がった。


 扉が、ゆっくりと開く。

 差し込んだ光の中に、ひとりの女が立っていた。


 マリア姉様だった。


 深紅を基調とした式典用のドレス。魔導繊維で仕立てられたそれは、明らかに最高級品で、彼女の肢体を「隠す」ためではなく、「収める」ために存在している。歩くたびに、布地の内側で抑え込まれた曲線が主張し、銀髪が肩口で揺れた。


 それだけで、場が静まる。


「……綺麗、とかいう次元じゃないだろ」

「皇城の壁画が歩いてるのかと思った」

「いや、あれはもう反則だ……」


 皇族席ですら、言葉を失っている者がいる。

 学生たちは言うまでもない。感嘆、畏怖、そしてどうしようもない憧憬が、露骨なほどに顔へ浮かんでいた。


 俺の腹の奥で、災虫たちが一斉にざわめく。

 警戒ではない。――明確な「認識」だ。


 マリア姉様は、ゆっくりと演台へ向かう。その動線に、人の視線も、意識も、すべて引きずられていく。異性も同性も関係ない。魅了という言葉では生温い、もっと原始的な引力だった。


 演台の前に立ち、軽く微笑む。


 それだけで、誰かの喉が鳴った音が聞こえた。


「皇族、貴族、そして士官学校に集う皆さん」


 よく通る声。

 柔らかく、しかし否応なく耳に届く声。


「本日は、帝国の未来を担う若き力が一堂に会する、誠に喜ばしい場です」


 形式的な挨拶。内容自体は、どこにでもあるものだ。

 だが、彼女が語ると、それだけで重みが変わる。


「立場や家柄、学年の違いはあるでしょう。けれど今日この場では、それらはいったん脇に置いてください」


 視線が、自然と集まる。


「ここにいる皆さんは皆、同じ帝国という土台の上に立つ存在です。この交流が、互いを知り、学び、そして未来へ繋がる一助となることを願っています」


 短く、簡潔に。

 それで十分だった。


 拍手が起こる。

 先ほどまでの義務的なものとは違う、素直な感情を含んだ拍手だ。


 ……やれやれ。同じ言葉でも、誰が口にするかで、ここまで変わる。これが「イグナス家の長女」か。


 俺は視線を落とし、静かに息を整えた。


 この場は、もう退屈な式典じゃない。欲望と評価と期待が、露骨に交錯する場所だ。そしてその中心に、マリア姉様が立っている。


 ――厄介で、面倒で、そして心強い。


 交流会は、ようやく本当の意味で始まった。


「では皆様。第一竜騎空軍士官学校による展示飛行が行われます。準備が整い次第、外庭へご案内いたしますので、ぜひご観覧ください」


 司会の声が朗々と響くと、張り詰めていた空気が一気にほどけた。会場を満たしていたのは、さっきまでの形式張った緊張ではなく、露骨な期待と高揚だ。


 竜騎――翼竜に騎乗する騎士。


 帝国でも最難関の花形職だ。志望すればなれるわけじゃない。適性検査で大半が落とされ、生き残っても訓練中に脱落する者が後を絶たない。それでも志願者が絶えないのは、空を支配するという一点だけで、すべてを補って余りあるからだ。


 日本で言えば白バイ隊員。いや、もっと露骨な“憧れ”だ。


「展示飛行なんて久しぶりだな」

「本校のじゃないのか、空軍士官学校か」

「落ちたら終わりだろ……よくやる」


 周囲の学生たちが口々に言い合う。

 俺も素直に、これは見たいと思った。


 そうして人の流れに乗ろうとしたところで、背後から声がかかる。


「ゼン。少しだけいいか」


 振り返ると、本校教官のスネル・ヘイバンが立っていた。

 年季の入った軍人特有の立ち姿。現役を退いても、気配だけは前線のままだ。


「措定されていた事だが、念のため伝えておく。反政府勢力が周辺に集まっているという情報が入った」


 声は低く、あくまで事務的。


「この規模の警備を突破できるとは考えていない。だが外に出る以上、油断はするな。集団行動を意識しろ」

「了解しました」


 それだけで会話は終わった。

 余計な煽りも、不安を煽ぐ言い回しもない。


 正直なところ、俺の感想は単純だった。

 ――無謀だ。


 この場には、皇族、重鎮、士官学校の上澄みが揃っている。護衛も、数だけでなく質が異常だ。アダマンタイト級の冒険者、万人長クラスの軍人、名前を出せば面倒な連中がごろごろいる。


 こんな場所で事を起こすなら、それは抗議でも抵抗でもない。ただの自殺だ。


「何かあったんですか?」


 隣のエレノアが、小声で尋ねてくる。


「いや、注意喚起を受けただけ」


「……そうですか。では、早く行きましょう。始まってしまいます」


 そう言って彼女は歩き出す。

 その背を追い、俺たちは外庭へと向かった。


 視界が開ける。


 整備された石畳の広場。上空には淡く光る結界が張られ、警備兵が等間隔で配置されている。配置に無駄がなく、いかにも“慣れている”。


 次の瞬間――。


 空気を裂く羽音が、腹の底に響いた。


 影が落ちる。


 三騎のワイバーンが、編隊を組んで上空を横切った。

 鱗は磨き抜かれ、陽光を受けて鈍く輝く。騎乗者の姿勢は一切ぶれず、まるで竜の延長のようだ。


 急降下。

 引き起こし。

 旋回。


 観衆から、抑えきれない歓声が上がる。


「……すごい」

「流石、空軍士官学校だな」

「本校とは迫力が違う……」


 確かに、見事だった。

 空を舞うという行為を、純粋な技術と胆力で成立させている。


 俺は黙って、それを見上げた。


 空を切り裂く羽音。

 翼竜――ワイバーンが、編隊を組んで帝都の上空を滑っていく。


 速い。正確。無駄がない。

 高度も間隔も、全部きっちり揃ってる。


 ……凄すぎワロタ。


 スロン基準で言えば、完全に空中ユニットの完成形だ。

 昔はイベントムービーの背景で飛んでるだけの雑魚モブだった癖に、いつの間にこんな仕上がってんだよ。


 急旋回。

 縦列からの一斉展開。

 合図も声もないのに、全員が同じタイミングで動く。


 下から見てるだけでも分かる。あれ、個人技じゃない。訓練量でゴリ押ししてきてる動きだ。


「……あれ、生身でやってるんだよな」


 思わず零した俺に、エレノアが小さく胸を張る。


「当たり前でしょう。第一竜騎空軍ですもの。帝国で一番“落ちない”部隊よ」


 なるほど。

 そりゃ憧れられるわけだ。


 地上戦は、装備と数でどうにかなる。

 でも空は違う。

 最初から“選ばれた連中”しか立てない土俵で、その中でも生き残ったやつらだけが飛んでる。


 ……普通に強い。

 少なくとも、帝国の戦力としては信用できる。


 俺はしばらく無言で、編隊が描く軌跡を目で追った。完成された動きを、ただ眺めてるだけで十分だ。


 まあ、スロンだったらこの直後に全滅イベントが入る。

空から何か降ってきて、指揮系統が崩れて、気付いたらロード画面――そんな流れだ。


 けど現実は違う。少なくとも今のところは、拍子抜けするほど平和そのものだった。


 編隊は最後の旋回を終え、翼竜たちが雲間に吸い込まれていく。遅れて歓声と拍手が追いかけ、校庭の空気がようやく人の熱を取り戻した。


「……あれで学生だというんですから、驚きですよね」


 隣から、穏やかな声がかかる。


 振り向くと、白と紺を基調にした制服。鍔の短い制帽に、端正な眼鏡の青年が立っていた。姿勢は柔らかいが、立ち方に隙がない。――海軍だな。


「そうですね。あれを定期的に回されるなら、帝国の制空権も当分は安心でしょう」


 社交辞令半分で返すと、青年は楽しそうに口元を緩めた。


「おや、それは心強い。では我々がいる限り、制海権の方もご心配なく」


 さらっと言うが、軽口に聞こえない。というか、笑顔の奥が冷えすぎている。


 ……魔力。


 正直、俺はこの世界の魔力感知に関しては落第点だ。災虫たちの反応頼みだし、単体でどうこうできるほど敏感じゃない。それでも分かる。


 こいつ――おかしい。


 目の前の青年から、海そのものみたいな圧がじわじわ押し寄せてくる。荒れ狂う嵐じゃない。底が見えない深海。静かで、逃げ場がなくて、沈んだら最後のやつ。


 同年代には化け物しかいないのか?


 いや、違うな。

 同年代で残っているのが、化け物だけなんだ。


「第一海軍兵学校の方ですか」


 探りを入れると、彼はあっさり頷いた。


「ええ。艦隊運用科です。今日は交流という名目でしたので」


 交流、ね。

 帝国的には“顔合わせ”か“品定め”のどちらかだろう。


 一瞬、彼の視線が俺の腹部に落ちる。ほんの一瞬。だが確かに、何かを測るような目だった。


「……では、また明日」


 そう言って、青年は一歩下がり、帽子に指を添えて軽く礼をする。


「ゼン・イグナス君」


 名を呼ばれた瞬間、背筋に薄く冷たいものが走った。調べてきている。しかも、俺が“ただの無能な三男”じゃない可能性を、すでに疑っている。


「ええ。また」


 短く返すと、青年は何も言わず、人混みの中へ溶けていった。


 残された俺は、もう一度空を見上げる。さっきまで竜騎が舞っていた青空。今はただ、馬鹿みたいに澄んでいる。

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