第80話:宴
よっこらせ。俺は城壁の縁から無造作に身を投げ、重力に従って石畳へと両足で着地した。衝撃を膝で逃がし、背後で鼻水と涙に顔をぐちゃぐちゃにして絶望しているセシリアへ、二つの小瓶を放り投げる。
「ラッチェンは霊薬、上級水薬はガイルに。ルカ、早く二人を回収して避難しろ」
指示を飛ばしながら、俺は手元のデズリズムを再装填する。ボルトが薬室へ滑り込み、高圧に圧縮された液化魔力がシリンダー内で気化、膨張して次弾発射のための爆発的な圧力を蓄えていく。金属同士が噛み合う硬質な音が、戦場に冷たく響いた。
片手でデズリズムを保持し、もう片方の手には後ろ腰から引き抜いた戦斧――「雷神の断罪」を構える。
すると、エルダー・ゴブリンも呼応するように、背中に背負っていた巨大な武器を引き抜いた。それはあらゆる種類の生物の骨を継ぎ接ぎして作成された、禍々しくも美しい大剣だった。
うぉ、かっけぇ。何だよあれ、知らねぇぞそんなの。クソ、俺のコレクター魂に火をつけやがって糞雑魚が。
プシュンッ
牽制に放ったボルトは、奴の横を通り過ぎて背後にそびえ立つ大木へと突き刺さった。瞬時にボルトに仕込まれた腐食毒が樹木の道管を駆け巡り、巨木は一瞬で立ち枯れ、轟音と共に根元から折れ曲がった。
その崩落の音に紛れ、エルダー・ゴブリンが大剣を振り上げながら肉薄してくる。奴の力任せの、山をも断ちそうな一撃。それを俺は片手の戦斧だけで正面から受け止めた。
キィィィィィィンッ!
鼓膜を突き破るような凄まじい衝撃音が響き渡る。まぁ、強いけど、バドに比べればチンカスだ。
雷神の断罪の固有スキルは、外部から衝撃が加わった瞬間にその威力を倍加させ、全方位へ超高電圧の雷撃を放つカウンター能力。
視界を真っ白に染め上げるほどの雷光が荒れ狂い、辺りの空気が焦げ付いた。
光が収まった後。そこには、片膝をついて苦悶に顔を歪めるエルダー・ゴブリンと、それを見下ろす俺の姿があった。奴の全身には、防ぎようのない雷撃によって夥しい火傷が刻まれ、その強靭な皮膚からは白煙が立ち上っていた。
何睨んでんだコイツ。今更C級如きの魔物が、一丁前にでしゃばりやがって。俺はエルダー・ゴブリンの顎を躊躇なく蹴り上げた。
無様に一回転して背後へ吹っ飛んだ奴は、ドス黒い血を口からゴボゴボと吐き出しながら、嗄声のような耳障りな雄叫びをあげる。
その叫びに応じるように、周辺にいた生き残りのゴブリンやコボルトたちが続々と集まってきた。
「ミカエルさん! 援護を!」
別に必要ないが、これ以上一人で目立つのも得策ではない。
やはり雑魚を虐めるのは癖になってやめられねぇな。前世で「初狩り」にハマっていた時期を思い出す。
俺はその場に落ちたエルダー・ゴブリンの骨の大剣を無造作に魔嚢へ収納した。そのまま逃げ出そうとするエルダー・ゴブリンを、城壁から縄梯子で降りてきたミカエルら騎士や兵士たちが、怒号と共に追い掛けていくのを見送る。
さて、俺は俺の役目をこなすとしよう。物陰で必死に治療を続けるセシリアとルカの元へ合流した。
ガイルは上級水薬のおかげで安定した寝息を立てている。だが、ラッチェンだ。霊薬で一命こそ取り留めたようだが、依然として顔色は死人のように悪い。
「……セシリアさん、これを着けてください」
俺は魔力伝導率を引き上げ、治癒能力を増幅させる装飾品を彼女の手に握らせた。さらに魔力切れで青褪めている彼女に魔法薬を手渡す。
「な、なんで……なんでそこまでしてくれるのっ……!」
セシリアは震える手でポーションを受け取ると、子供のような泣き顔のまま掠れた声で呟いた。
俺は何も答えず、ただ静かに踵を返し、開け放たれたままの門を潜って領都へと戻った。
すると、城壁の上から先ほどの蹂躙劇を見ていた多くの領民たちが、割れんばかりの黄色い歓声で迎えてきた。
「見たか! あの一撃! 騎士団でさえ敵わなかった奴を、まるで調教師のようだったぞっ」
「あの魔物を、圧倒するなんてっ……救世主様だ!」
「ありがとう、本当にありがとう!」
いや、いいって。面倒臭い。
内心の毒を完璧な笑顔で隠しつつ、愛想よく手を振りながらローラの元まで進んでいく。
「ゼン様……あのような力をお持ちだったなんて……。信じられません、貴方は一体……」
驚愕と感謝が混じったローラの視線を、俺は謙虚な笑顔で受け流した。
「いえ、彼らの命懸けの奮闘があったからこそ、隙を突くことができました。ええっと……すみません。少し緊張の糸が切れてしまったようで、休ませてもらってもいいですか?」
案内された領主館は、帝都の豪華絢爛な邸宅とは一線を画す、無骨な石造りの要塞といった趣だった。僻地の領主らしく、装飾性よりも実用性を重視した厚い壁と高い天井。吹き抜ける風にはどこか湿った土の匂いが混じっているが、客間に用意された寝台は清潔で、一人になるには十分すぎる空間だった。
俺は人目を忍んでドアに鍵をかけると、魔嚢から先ほどの戦利品を取り出した。
目の前に現れた「骨の大剣」は、改めて見ても惚れ惚れするほど悍ましかった。剣身を構成するのは、何らかの巨大な魔物の背骨だろう。節々が鋭い棘となって突き出し、刀身の縁は鋸のようにギザギザに波打っている。柄元には魔核の代わりに無数の獣の指骨が巻き付いており、握るたびにカチリと鳴るその様は、まるで武器そのものが生きているかのようだ。
性能自体は、現段階ではイマイチと言わざるを得ない。素材そのものの強度は高いが、造りが荒く、重心も歪だ。
だが、この独特な形状。帝都の腕利きに加工させれば、一級の実戦用武器として化ける可能性を秘めている。スロンにはなかった系統の武器だけに、こいつを振り回してみたいという欲求が抑えられない。何せ大剣は、俺が最も得意とする戦斧の次に熟練度が高い武器。
とりあえずの基礎固めとして、予備の資材から硬度と強度を極限まで跳ね上げる「金剛魔石」を数個取り出した。魔力を持たない俺には直接魔力を流して固定することはできないが、そこは道具の使いようだ。魔力を自動で供給・定着させる外部出力式の魔導具を用い、骨の継ぎ目の隙間に魔石を丁寧にはめ込んでいく。
さて、次はどう改造するか。表面を竜の鱗で補強するか、それともあえて骨の質感を活かし、毒や出血の付与を強化するか。あまりの楽しさに時間を忘れ没頭していた。純粋に新しい玩具をいじくり回す悦楽に浸る。
だが、その至福の時間は控えめなノックの音によって遮られた。扉の向こうから、申し訳なさそうに俺を呼ぶローラの声が響く。
「ゼン様、お休み中でしょうか……?」
我に返った俺は、慌てて大剣を魔嚢へ押し込み、何事もなかったかのように平静を装って応じた。
「父が、ぜひとも直接御礼を申し上げたいと申しております。ゼン様、お疲れのところ申し訳ありませんが、お時間をいただけますか?」
チッ。分かっていたことだが、実に面倒臭い。それに領主ともなると、帝都の社交界を通じて俺の顔を知っている可能性もゼロではない。だが、ここで頑なに拒むのも不自然だ。俺は内心の舌打ちを隠し、「分かりました」と短く返事をして部屋を出た。
ローラに案内されるがまま、重厚な扉の奥にある応接間へと通される。そこには既にガイル、セシリア、ルカの三人が揃っていた。
「あれ? ラッチェンさんは?」
俺の問いに、ガイルが椅子から立ち上がり、深く頭を下げた。
「おかげでもう大丈夫だ。あいつは別室で休んでいる。ゼン、本当に、感謝してもしきれないよ。君がいなければ、俺たちは今頃……」
「いえ、気にしないでください」
殊勝な態度のガイルに言葉を返すと、彼は悔しさを滲ませながらも、その瞳に強い光を宿して続けた。
「今回の件で、自分たちの本当の実力を思い知った。……俺たちはまだ未熟だ。でも、今後は地道に、一歩ずつ歩みを止めずに突き進むつもりだ。いつか君に背中を預けてもらえるような、本物の冒険者になるために!」
相変わらずの熱血具合だ。眩しすぎる笑顔に俺は苦笑を返すことしかできない。
すると、隣にいたセシリアが、申し訳なさそうに俺が貸し出した指環の装飾品を差し出してきた。
「ありがとうございました。これがなければ、ラッチェンさんは今頃死んでいたわ。……あなたは、私たちの恩人です」
いや、今更こんな使い道のないゴミを返されても困るんだが。俺にとっては在庫処分の端材に等しい代物だし。
「いや、これは貴女が持つにふさわしいアイテムです。どうか、そのまま受け取ってください」
「そんな、これほど高価なものを……! これ以上いただくわけにはいきません!」
いや、このやり取り、日本人かよ。押し問答を続けるのも時間の無駄なので、最終的に無理やり彼女の手に押し付ける形で事なきを得た。
そんなやり取りをしていると、ローラと共に一人の男が入ってきた。
この地の領主、セルバール・ヌマーラ。病み上がりゆえか顔色は優れないが、その体躯は大きく、かつては前線で剣を振るっていたであろう武人の風格を漂わせている。白髪の混じった髭を整え、威厳に満ちた佇まいで俺たちの前に立った。
「貴公らが、我が領地を窮地から救ってくださった冒険者の方々か。この度は、娘の護衛のみならず、領民たちの命まで繋ぎ止めてくれたこと、領主として心より感謝申し上げる。礼を言わせてくれ、本当にありがとう」
礼節を重んじた、重みのある感謝の言葉。彼は深々と頭を下げ、その誠実な姿勢は周囲の騎士たちをも引き締めるほどだった。
領主の言葉を皮切りに、応接間の重苦しい空気は一気に和らいだ。ミカエルを筆頭とした騎士たちも、領主の感謝に続くように深々と頭を下げる。辺境の地で死を覚悟していた彼らにとって、俺たちがもたらした物資と「勝利」は、神の慈悲にも等しいものだったのだろう。
「さて、若き英雄たちよ。この恩義、言葉だけで済ませるつもりはない。今宵は城を挙げての宴を用意させよう。まずはその身体を休め、勝利の味を噛み締めてくれ」
セルバールのその言葉と共に、使用人たちが慌ただしく動き出し、テーブルには次々と豪勢な料理が運ばれてきた。先ほど広場で焼いた肉とはまた違う、洗練された香草の香りが鼻腔をくすぐる。
ガイルたちは最初こそ緊張していたものの、領主の気さくな振る舞いに毒気を抜かれたのか、やがてこれまでの苦労を語り合いながら食事に手を付け始めた。泣き疲れたセシリアもようやく少しだけ頬に赤みが差し、ルカと笑い合っている。
俺はそんな彼らの賑やかな声を背中で聞きながら、窓の外に広がる夕暮れの領都を眺めた。
結局、身分を明かすような事態には至らなかった。面倒な社交の場も、この「若き冒険者」という仮面を被り続けていれば、適当なところで切り上げられるだろう。
予定外の寄り道ではあったが、結果として得られた人材とアイテムは予想以上の収穫。俺はグラスに残った安酒を喉に流し込み、酔いしれる仲間たちの喧騒をどこか遠い世界の出来事のように感じていた。




