第78話:腹が減っては何とやら
俺は手にしていたデズリズムを、背負い袋の横に備え付けたクイックリリース式の固定ベルトへと装着した。ボルトの装填機構を保護するラッチがカチリと小気味よい音を立てて噛み合い、重量が肩へと分散される。
「凄い数でしたね……。これで回復を」
俺は残る二人に対し、魔嚢から取り出した上級水薬を無造作に放り投げた。
ガイルは片手で見事に受け止めたが、ラッチェンはあろうことかキャッチに失敗し、顔面に瓶が直撃して「ギャッ」と情けない短い悲鳴を上げた。……何を遊んでんだ、こいつは。
ガイルは受け取ったハイポーションを自身の頭部の傷口に直接振りかける。安物の水薬とは桁違いの魔力濃度を持つ液体が組織を強制的に再生させ、みるみる傷が塞がっていく様子に、彼は驚愕の色を隠せず目を見開いた。
「ゼン、お前は……」
いかにも「何か重大な事実に気づきました」という雰囲気で、ガイルが鋭い視線をこちらに向ける。俺はすかさず、後頭部を掻きながら、締まりのない笑顔を浮かべてみせた。
「いやぁ、お二人のおかげで、なんとか当てる事が出来ました! 流石は期待のパーティーですね。緊張のあまり、戦う前から腹が痛くなって草陰に隠れていた僕とは大違いですよ」
心底からの賞賛を装ってそう告げると、ガイルの表情に僅かな困惑と、そして年下から頼られたことへの安堵が混ざった。
高台から、ソーマで傷を癒したルカも合流し、俺たちは城壁の最上部、狭間胸壁に向けて声を張り上げた。
「要請によりギルドから救援に来た冒険者だ! 門を開けてほしい!」
ガイルの呼びかけに応じ、鉄兜を被った兵士が恐る恐る壁の淵から顔を出した。
「ぼ、冒険者だと……!? 救援にしては少なすぎる。火事場泥棒の類ではないという証拠に、ギルドタグを提示しろ!」
兵士の警戒は至極当然だ。戦場においては、混乱に乗じて内部から略奪を働く勢力も少なくはない。身分を提示し、所属を明らかにさせようとするのは、防衛側として極めて真っ当な判断と言えるだろう。
「よし、本物のタグだ……。開門! 救援の冒険者殿がお着きだぞ!」
上空から吊り下げられた籠でギルドタグを確認した兵士が、声を張り上げた。
重厚な石の摩擦音を響かせ、西門の潜り戸がゆっくりと開かれる。俺たちは警戒を解かぬまま、戦火の残り香が漂う領都内へと足を踏み入れた。
領都の内部は、静止した地獄のようだった。
魔物の本格的な侵入は免れたようだが、それでも外壁を越えてきた数匹の「跳び込み」が暴れた爪痕は随所に見られる。美しい石畳の道には、焦げた荷車が転がり、建物の壁面には無数の矢や、何らかの酸で焼かれたような悍ましい黒ずみがこびりついていた。
だが、何より凄惨だったのは人々の姿だ。
建物の影や、臨時の救護所となった広場の隅では、避難してきた住人たちが疲れ果てた様子でうずくまっていた。煤と埃にまみれた衣服、希望を欠いた虚ろな瞳。赤子の泣き声さえも枯れ果てたような、重苦しい沈黙が街を支配している。
そんな絶望的な空気の中に、ルカに連れられたセシリアとローラが合流した。ローラの姿が衆目に晒された瞬間、辺りの空気が一変する。
「あ……ああ、ローラ様! ローラ・ヌマーラ様だ!」
「生きて……生きていらしたのか!」
警備にあたっていた兵士や、血に染まった甲冑を纏った騎士たちが、信じられないものを見るかのように目を見開き、次々とその場に崩れ落ちるように膝をついた。それは単なる権力への服従ではなく、心の支えを失わずに済んだという純粋な、救いとしての儀礼だった。
ローラもまた、溢れ出す涙を拭うこともせず、一人一人の兵士の肩に手を置き、あるいは疲れ切った住人の目を見つめて、震える声で告げた。
「よく……よく、今日まで耐えてくれました。ありがとうございます」
その光景に、感受性の強いセシリアは口を抑えながら「よかったぁ……」と嗚咽を漏らしている。ガイルは満足げに腕を組み頼もしい笑顔を浮かべていた。ラッチェンはと言えば、何故か自分が救世主であるかのように威風堂々と胸を張って誇らしげにしているが、もはやツッコむ気すら起きない。
「彼らが、私利私欲を顧みず、死地に等しいこの街への依頼を受けてくださった、高潔な冒険者の皆さんです」
ローラの凛とした紹介に、周囲からは「おぉ……!」と、地を這うような呻きに似た、しかし確かな期待と希望に溢れた歓声が沸き上がった。
「へへ、そんなに言われると照れるなぁ。……えぇ、おほん。皆さん、俺たちは冒険者パーティー『暁の戦陣』です! まだ新人の駆け出しではありますが、この危機を皆さんと共に、命に代えても乗り越えたいと考えています。夜明けは近いです、もう少しだけ踏ん張りましょう!」
ガイルの力強い言葉に、パチパチという拍手と、嗚咽混じりの感謝の声が重なって響く。
「それで、ガイル殿。他の冒険者の方たちは、いつ頃こちらに到着される予定なのですか?」
一人の若い兵士が、希望に溢れた笑顔で純粋な疑問を投げかけた。後ろに控える住人たちも、強力な増援の軍勢が街道を埋め尽くしているのを期待するように、期待の眼差しを向けている。
「えぇと……。救援に来たのは、俺たちだけです。ギルドは動けず、もう他からは誰も来ません」
ガイルが少し申し訳なさそうに、だが事実を隠さず告げた。
その瞬間、熱狂していた広場の温度が急速に凍りついた。ガイルの言葉は伝染するように広がり、先ほどまでの歓迎が嘘のように、不安と絶望が波となって押し寄せてくる。
「嘘だろう……? たった四人、いや、そこの小僧を入れて五人だけなのか……?」
「冗談じゃない! あんな化け物の群れに、こんな若造たちが何ができるって言うんだ!」
「期待させておいてこれかよ! 見捨てられたんだ、俺たちは帝国に見捨てられたんだ!」
生き残りたちは口々に絶望を吐き出した。それをなんとか収めようと、ローラが声を張り上げる。
「皆さん、落ち着いてください! 彼らは死地を越えて、私をここまで送り届けてくれた勇気ある方々なのです!」
しかし、一度爆発した負の感情は止まらない。空腹と死の恐怖、そして裏切られたという思い込みが、いつしか理不尽な怒りの声へと変わっていく。
「勇気なんて腹の足しにもなりゃしない! 欲しいのは軍隊だ、騎士団だ!」
「どうせ怯懦にかられて逃げてきただけだろ! 英雄ごっこなら他所でやってくれ!」
ようやく助けが来たかと思えば、目の前にいるのは明らかに実力不足に見える若者たち。極限状態での疲弊が、人々の感情の起伏を狂わせているのは理解できるが、これでは流石に命を懸けてきたガイルたちが気の毒だ。
ガイルは飛んでくる罵声に顔を伏せ、ラッチェンは先ほどまでの自信を失って震えている。セシリアは悲しげに瞳を揺らし、ルカはやり場のない怒りに拳を握りしめていた。
「とりあえず、飯にしましょうや」
罵声が飛び交う殺伐とした空気の中、俺は淡々と魔嚢に手を突っ込んだ。
取り出したのは、皮が張り裂けんばかりに実った新鮮なリンゴやブドウ。それから、街の硬い配給パンとは一線を画す、表面に艶のある白パンの数々だ。それらを、比較的汚れの少ない平らな荷車の上に次々と並べていく。
さらに、泥の混じった水ではなく、透き通った清潔な飲料水を樽ごと用意し、香付けのレモンを浮かべた。加えて、この世界では日常的に飲まれる、水より安全でアルコール度数の低い軽やかなエール酒の小樽も並べる。
いきなりの奇行に、観衆もガイルたちも呆気にとられ、怪訝な目を向けてきた。だが、ここ数日まともに食っていない彼らの視線は、本能的にその「ご馳走」へと釘付けになる。
それでもまだ空腹より死の恐怖が勝っているのか、俺に向けた罵声がパラパラと飛んでくる。だが、その中を縫うようにして、恐る恐るといった様子で二人の幼い兄妹が近づいてきた。
「……お兄ちゃん。これ、食べていいの?」
泥に汚れた指先でパンとチーズを指さし、上目遣いで聞いてくる。俺は屈んで、その子供と同じ目線で頷いた。
「あぁ。好きなだけ食っていいぞ。あ、今から肉も焼くから、まずはそれを先に食べてろ」
俺は手品でも見せるかのように、魔嚢から巨大な鉄製のグリルを引っ張り出した。魔導具で瞬時に炭へ着火し、赤々と燃える炎の上に、厚切りの牛バラ肉や大ぶりの川魚、彩り豊かな野菜を並べていく。
ジゥ、と脂の爆ぜる音が響き、辺りに殺人的に香ばしい匂いが漂い始めた。立ち昇る煙が人々の鼻腔を容赦なく蹂躙する。
兵士や騎士たちは、軍人としてのプライドがあるのか、苦虫を噛み潰したような顔で耐えていたが、限界は近かった。一人、また一人と、空腹に耐えかねた領民たちが食料に手をつけ始める。
そうなると、あとはもうお祭り状態だった。
一人が食べれば、それまでの緊張の糸が切れたように人々が殺到した。我先にと焼きたての肉を口に運び、バクバク、もしゃもしゃ、ごくごくと、喉を鳴らして腹に詰め込んでいく。
「おいしぃ……おいしいよ、お兄ちゃん……!」
さっきの妹が、肉汁を口の端から零しながら満面の笑みを浮かべた。
「だろ? まだまだあるから、喉に詰まらすなよ」
俺は幼い妹の頭を軽く撫で、トングで肉を豪快にひっくり返す。溢れ出した脂が炭に落ち、さらに食欲をそそる煙が舞う。
「……あの、私も手伝います。こんなに素晴らしいことをしてくださっているのに、黙って見ているなんてできません」
傍らにいたローラが、意を決したように袖をまくり上げて申し出た。
流石に領主の娘が給仕を手伝い始め、庶民に混じって肉を焼こうとしている光景を、騎士たちが黙って見ているわけにはいかなかった。
「お、お嬢様! 滅相もございません、我々が代わります!」
「おい、ぼうっとしているな! 水を運べ! 薪を用意しろ!」
先ほどまで怒号を上げていた騎士や兵士たちが、慌てたように次々と加わり始めた。
絶望に染まっていた広場は、いつしか肉を焼く煙と、数日ぶりに人々の口から溢れた「美味い」という安堵の声に包まれていった。




