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第77話:射撃

 正門前に屯する百数匹の魔物どもは、まさしく汚泥の塊だった。


 肌は脂と泥にまみれてどす黒く、不潔な体毛には寄生虫が這い回っている。連中は城門を叩く合間に、獲物の肉や落ちている武器を巡って同族間で醜い小競り合いを繰り返していた。中には倒した冒険者から剥ぎ取ったのであろう、血まみれの革鎧や歪んだ鉄兜を歪に纏ったコボルトの姿もある。


 だが、その混沌とした群れの中心に、異質な静寂を纏う個体がいた。


 人間の死体を積み上げて作った悪趣味な椅子に、悠然と腰を下ろしているのは上級子鬼エルダー・ゴブリンだ。


 通常のゴブリンよりも一回り大きな体躯、そして長年の実戦で刻まれた無数の傷跡。知性を宿した濁った瞳は、退屈そうに頬杖をつきながら戦況を眺めている。エルダー・ゴブリンは、群れを率いる指揮官としての資質を持ち、その狡猾さと暴力によって魔物たちの食物連鎖ヒエラルキーの頂点に君臨していた。圧倒的な力の差の前に、狂暴なコボルトたちでさえ、その椅子の周辺に近づくことすら避けている。


 やはり、あの個体がこの場における最大の脅威か。


 俺たちが潜む岩陰では、ガイルを中心に迅速な作戦会議が執り行われていた。


「いいか、正面からまともにぶつかれば囲まれて終わりだ。配置を確認する。ルカはここから弓で、突出してくる個体を削ってくれ。セシリアはローラの護衛を最優先しつつ、俺たちの負傷を即座に癒やすヒーラーに回ってくれ」

「……弓兵(アーチャー)の本文だね、任せてよ」

「ローラさん、離れないでくださいね」


 二人の返答を受け、ガイルは俺とラッチェンに視線を向ける。 


「俺とラッチェンは西側の群れの端を叩く。あそこは正面に比べて数が薄い。一気に切り込んで城壁の裂け目まで突破し、中にいるはずの兵士たちと合流するぞ」

「フッ、闇を切り裂く一撃を見せてやろう」

「ゼン、お前も俺たちと一緒に攻めるんだ。はぐれるなよ」


 ガイルが俺の肩を叩いて頷く。まぁ、無難な作戦だ。


 魔物共は低脳らしく、頑強な正面突破に固執して戦力を集中させている。西側の数が少ない側面を叩くのは理にかなっており、そこから中に入ることができれば生き残りと連携も取れる。


 ただ、今の俺にはそれ以上に深刻な問題があった。


 さっき食った肉が当たったのか、猛烈な便意が俺の腹部を急襲している。作戦の成否よりも、突撃の衝撃で「門」が開いてしまわないかの方がよっぽど死活問題だ。顔を青白くさせ、冷や汗を流しながら、俺はただ一点、決壊寸前の己の尻に全神経を集中させていた。


「すいません……ちょっと腹痛で」


 俺は申し訳なさそうに手を挙げた。こんな時に正気かという薄情者達の冷ややかな視線が刺さるが、気にする余裕など微塵もない。ケツを必死に押さえながら、小走りで近くの草陰へと駆け込んだ。


 そして、解放。


 内臓を攪拌かくはんしていた嵐が去り、あまりの開放感に「ふぅー……」と深い吐息を漏らす。賢者タイムにも似た静寂の後、俺を置いて先に進んだ二人の背中を追いかけ、西側の戦場へと向かう。


 西側には、五匹のゴブリンと七匹のコボルトがたむろしていた。


 地面には数匹のコボルトの死体が転がり、腐肉を求めて群がるはえが、黒い塊となって羽音を立てている。その横では、ゴブリンたちが不揃いな棍棒で、生きているコボルトを執拗に殴りつけていた。暇つぶしか、あるいは力の誇示か。どちらにせよ、死臭と内輪揉めに夢中な連中の様子から、唯一の懸念であったコボルトの鋭い嗅覚が機能していないことを確認した。


 絶好の機会と見たガイルとラッチェンが、得物を構えて突撃する。


「武技――蓮撃れんげき!」


 ガイルが叫ぶ。明らかに習得したての、型も定まらない不格好な武技だ。しかし、殆ど新品の大剣は勢い任せに二匹のゴブリンを不意打ちで襲った。一撃目は空を切り、二撃目がようやくゴブリンの肩口を割り、三撃目で無理やり押し切る。地面に倒れ込んだところを、ガイルが持ち替えた大斧でその頭蓋を粉砕した。


 ふむ。中々にいい連携だ。しかし、運が良かったのはそこまでだった。


 仲間の死に気づいた一匹のコボルトが、空を仰いで鋭い遠吠えを上げる。さらに生き残っていたゴブリンが、腰に下げていた不格好な半鐘を激しく打ち鳴らした。


 あーあ。これですぐに囲まれるぞ。


「ガイル! 北側からすごい数が走ってくるよ!」


 岩陰からルカが慌てたように叫ぶ。馬鹿か。自分の居場所を大声でバラしてどうする。


 俺は合流する前に、魔嚢から認識阻害の魔導具、無銘の「背景バックグラウンド」を羽織り、気配を消した。装着者の存在を風景の一部として定義し、他者の脳から認識を強制的に排除するそのマントは、混戦において文字通りの死神の衣となる。そのまま音もなく近くの高台へと登り、毒蝕竜カガンドラのクロスボウを構える。


「くそっ!」


 案の定、声を上げたルカの元にコボルトが飛びかかる。ルカは短刀で必死に応戦するが、それによって矢の援護が止まった。眼下の二人は、瞬く間に防戦一方へと追い込まれていく。


「くっ……数が、多すぎる!」

「ガ、ガイル! 一ったん退こうっ。このままでは俺たちが死んでしまう!」


 ラッチェンは既に息を切らしていた。自分の身の丈に合わない、見栄え重視の重い鎧を身に纏い、情けなく逃げ回る。一方でガイルは、必死にゴブリンたちの猛攻を盾と大剣で防いでいた。棍棒がぶつかり、火花と激しい金属音が響く。


 だが、限界はすぐに訪れた。


 焦ったラッチェンが、小石に足をもつらせて前のめりにぶっ倒れる。


「ひっ……!」


 短い悲鳴を上げるラッチェンの前に、一匹のゴブリンが立ちふさがった。卑俗な舌なめずりをしながら、今から獲物をいたぶろうとする残酷な捕食者の目だ。


「ラッチェン!!! くそっ、今助け――ぐはっ!」


 仲間に気を取られたガイルの隙を、ゴブリンの粗末な棍棒が逃さなかった。


 横から振り抜かれた一撃が、ガイルの頭部を直撃する。鈍い破砕音と共に、鮮血が周囲の土をどす黒く染めた。


 まさに絶体絶命。


 地面を這い、泣き叫ぶラッチェン。頭から血を流しながら、それでも剣を握り直そうとするガイル。そして背後の高台では、ルカがコボルトに右腕を深く噛みつかれ、悲鳴のさらに上を行く、喉を引き裂くような絶叫を響かせていた。


 ――ヒュン。


 弦が弾かれ、極細の鋼線が蓄積していた張力を一気に解放する。毒蝕竜カガンドラのクロスボウ――「デズリズム」のリムが極限までしなり、反動を逃がすと同時にボルトが発射された。科学的に見れば、弦の弾性エネルギーが運動エネルギーへと変換される際、ボルトの重心が安定するように設計されたレールが摩擦を最小限に抑え、空気抵抗を切り裂くための回転を付与している。音速に近い速度で撃ち出された一矢は、もはや不可視の死の針だった。


 ルカを襲っていたコボルトの側頭部に、そのボルトが深々と突き刺さる。


 ボルトの勢いは凄まじく、コボルトの頭蓋骨を紙細工のように粉砕した。脳漿と砕けた骨の破片を背後に撒き散らしながら、その体は物理法則に従って数メートル後方へと吹き飛ぶ。毒が神経を侵す暇すらなく、コボルトは文字通りの即死を遂げた。


「へっ……?」


 ルカの間抜けな声が漏れる。俺は無銘の「背景」を纏ったまま、魔嚢から市販のポーションなど比較にならない高純度の「霊薬ソーマ」を取り出し、彼の足元に放り投げた。


「これで回復を。急げ」


 短く告げる。ルカは呆然としながらも、転がってきた小瓶の中身が、金貨数枚は下らない貴重なソーマであることに気づき、「え、えええっ……!?」と、先ほどよりもさらに間抜けな悲鳴を上げていた。


 うるせぇな。さっさと回復しろ。この役立たずめ。


 視線を眼下へ向ける。そこでは数匹のゴブリンがラッチェンの四肢を押さえつけ、今まさに錆びた刃で彼の右腕を切り落とそうとしていた。ラッチェンの涙と鼻水にまみれた顔が絶望に染まる。


 俺は、その中心に立つゴブリンの胸部へ狙いを定め、引き金を引いた。


 放たれたボルトは、ゴブリンの胸板を貫通し、そのまま背後の地面まで深々と突き刺さった。文字通り地面に縫い付けられたゴブリンは、口からどす黒い血の泡を吹き、四肢をビクビクと蠕動ぜんどうさせながら絶命していく。


 二本、三本、四本、五本。


 頭上から降り注ぐ「死の雨」は、正確無比に魔物たちの急所を穿った。ゴブリンの眼球を貫き、コボルトの脊椎を断つ。瞬く間に周囲は、原型を留めない肉塊と緑色の体液がぶち撒けられた地獄絵図へと変貌した。


「なにが……何が起こっているんだ……!?」


 頭から血を流したガイルが、震える声で周囲を見渡す。

 そして、最後の一匹となったゴブリン。いまだに「背景」と同化した俺の存在を認識できず、見えない死神に怯えてキョロキョロと視線を彷徨わせていた。


 だが、その眼前まで俺は既に肉薄していた。ゼロ距離から放たれた最後の一矢。


 バキィッ、という凄まじい破壊音と共に、ゴブリンの頭部は城壁の石材ごと食い込んだ。太いボルトが頭蓋を貫通し、石壁の奥深くまで穿たれている。さながら巨大な釘で固定された木偶人形のように、ゴブリンの死体は壁に張り付いたまま、ピクリとも動かなくなった。


 ハラリ、と。


 俺がマントを脱ぎ捨て、その姿を現した瞬間、ガイルとラッチェンの息を呑む音が静寂の中に響いた。

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