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第76話:新たな闇

 女は全てを話した。


 こいつが所属するのは「根源的(アーキタイプ)恐怖・テラー」。ゲーム『スロン』のサイドクエストにおいて、そのあまりの非道さと執拗さでプレイヤーにトラウマを植え付けた秘密結社だ。


 剥ぎ取ったフードの下から現れた素顔はかなりの美人で、その肉体もまた豊満だった。拘束するついでに胸を揉んでみたが、その感触は――驚くほど柔らかかった。


「童貞かい? 見逃してくれたら、いいことをしてあげるよ」

「捧げる相手はもう決めてるんだ。悪かったな」


 軽口を叩きながら、エルザから回収した装備やアイテムを全て魔嚢に収納する。やはり、コボルトやゴブリンの混成軍はこいつの固有スキルで操られていたらしい。派遣された騎士団が壊滅したのも、この女の闇魔法による不意打ちが原因だ。


 名はエルザ。サイドクエストの敵役ながら、その残酷さと美貌で圧倒的な人気を誇っていたNPCだ。


「殺すのかい?」

「ん? 死にたいのか?」

「まさか。生きたいに決まっているだろう? 全部話したんだ、私の価値は理解できたはずだ」


 エルザの目的はただ一つ、闇魔法の探求。組織への忠誠心など微塵もなく、己の研究のためにリソースを利用していたに過ぎないという。真偽はともかく、ここで殺すには惜しすぎる人材なのは間違いない。


「……俺の名前はゼン・イグナス」


 そう名乗った瞬間、エルザの表情が凍りついた。


「今は学生で冒険者だが、裏で事業を立ち上げている。新鮮な研究材料と金がいるんだろ? 俺の下に来れば、望むだけ提供してやれるが」

「……どういうことだい?」

「メインの事業は人身売買だ。ここまで言えば、話は早いだろ」

「ふふ。あのイグナス公爵家の者が、そんな非道を許されると思っているのかい?」

「権力と暴力があれば何でも許されるんだよ、この世界は」


 さて、と。俺はウルガの幼体を人差し指に乗せ、彼女の目の前に突きつけた。


「殺しはしないが、これを飲み込んでもらう。基本的には何の害も与えないから安心しろ」

「……冗談だろう? ゴキブリじゃないか、それ」

「死ぬよりマシだろ。イグナス家の庇護の下で闇魔法の真髄に触れさせてやる。それに、俺は『獄門』の在処を知ってるぞ」


 その言葉を口にした瞬間、エルザは目を見開き、口をアワアワと震わせた。


 彼女が人生を賭けて求めている究極の魔導書――『獄門』。既に俺の手元にある以上、在処も何もないのだが、有能な駒として飼い慣らすには十分な餌だ。


 なぜ目の前の少年が自分の秘めたる欲望を知っているのか。なぜ失われた古代の知識である『獄門』の名を知っているのか。


 得体の知れない「俺」という異物を前にして、エルザは抗うする意思を失くし、大人しくウルガを飲み込んだ。


「領都の魔物は何とかできないのか?」


 俺の問いにエルザは肩をすくめて首を振った。


「私のスキルは半径五十メートル程度までしか及ばないんだ。今、領都を包囲している連中は、騎士団を壊滅させた余波で溢れ出した個体たちだよ」

「つまり……」

「直接叩かないと無理だね。私の支配下にある個体じゃないから、止める術はないよ」


 結局、領都まで行く必要があるのか。正直面倒くさくなってきた。だが、これも冒険者としてのランクを上げるためだと言い聞かせ、俺はあの五人の元に戻ることにした。


「帝都の裏外区でフィンチャーという男を探せ。すぐに見つかるはずだ。そいつに『災害は星さえ喰らい、闇に溶ける』と伝えろ。あとは指示された通りに働いてくれればいい。ちゃんと材料と費用、場所は工面してやるから、頼むぞ」

「ふふ。今まで騎士団やギルドの影に怯えながらコソコソとやっていたんだ。喜んで従わせてもらうよ、主人マスター


 そう言い残すと、彼女は夜のとばりに溶けるようにして姿を消した。


 手に残った彼女の胸の感触に、今更ながらニヤニヤが止まらない。俺は一人、来た時よりもさらに速い速度で一つ目の村へと引き返した。


「す、すいません……遅くなって……!」


 あたかも必死で夜道を駆けてきたかのように、わざとらしく膝に手をつき、肩で息をしながら村の広場へ滑り込む。合流した俺を待ち受けていたのは、ひどくちぐはぐな空気だった。


 ガイルたちは、使い古された石を囲んで焚き火をおこし、野営の準備を整え始めていた。一方でローラは、今すぐにでも自分の足で駆け出したいのを必死に堪えているのか、青白い顔で拳を握りしめ、地面を睨みつけている。


 先陣を切って偵察に行った俺が戻るのを待つ間、おそらく「安全を優先してここで夜を明かすべきだ」と主張する四人と、一刻も早い救出を願うローラの間で、ひと悶着あったのだろう。四人の装備は既に解かれ、急速に「休息モード」へと入っているのが見て取れた。


「ゼン! 無事だったか。……で、どうだった? 二つ目の村の状況は」


 ガイルが立ち上がり、期待と不安が混ざった表情で俺に詰め寄る。その背後で、セシリアがまだ先ほどの嘔吐の余韻か、顔色を悪くしたままこちらをすがるように見つめていた。


「大丈夫でした。二つ目の村も既に、魔物の残骸や……その、村人の死体はありましたが、脅威はもうないと断言できます」


 俺はもっともらしく報告を終えた。コボルトたちの死体はムカデが全て平らげたので、不自然な殺され方をした死体などの証拠は一切残っていない。ただ、魔物に蹂躙された後の静寂だけが広がっているはずだ。


「で、では! みなさん、一刻も早く領都に向かいましょう!」


 俺の言葉を聞くや否や、ローラが弾かれたように立ち上がり、焦燥を剥き出しにして叫んだ。だが、その肩をガイルの手が制する。


「ローラ、さっきも言ったけど、この時間に動くのは危険だ。視界の悪い夜間に、疲労した状態で戦うのはあまりにもリスクが高すぎる。少しだけ仮眠を取って、夜明けと同時に出発する」


 ガイルの言葉は、リーダーとして至極真っ当な正論だった。


 現在は深夜とも言える時間帯だ。生物学的に言えば、夜行性の魔物たちが活性化する一方で、人間はサーカディアン・リズム(概日リズム)によって体温が低下し、集中力や判断力が著しく減退する時間に当たる。本来、睡眠を摂るようにできている人間が、夜目の利く魔物たちとこの暗闇で戦えば、生存率は絶望的に下がるだろう。


 パーティーの安全を第一に考えるなら、動けるはずがなかった。俺はどちらの肩を持つこともせず、ただ黙って事の成り行きを伺うことにした。


「っ……。分かり、ましたっ……」


 二つの村が壊滅したという残酷な事実と、状況の分からない領都。焦る気持ちを無理やり喉の奥へ飲み込み、ローラは一人、皆から背中を向けるようにして地面に寝転んだ。その小さな肩が、微かに震えている。


 重苦しい沈黙が流れる中、既に隣で高いイビキをかき始めていたラッチェン。


 この極限状態でも揺るがないこいつのあまりの図太さと余裕には呆れを通り越して思わず笑ってしまった。


 数時間の仮眠を終え、夜が明けると同時に俺たちは最終目的地である領都へ向けて出発した。二つ目の村から領都までは三里、およそ十二キロメートルといった距離だ。通常なら三時間の行程だが、この状況では何が起きてもおかしくない。


 それにしても眠い。あくびをかましていたら「たるんでいるぞ」とラッチェンに背中を叩かれ、そのままぶっ殺してやりたい衝動に駆られたが、気合で何とか殺意を飲み込んだ。


「……これ、歩きながら食べてください。腹が減っては戦えませんから」


 俺は魔嚢から、あらかじめ用意しておいた軽食を取り出して全員に配った。焼いた厚切りの干し肉と、塩気のある硬質チーズを、表面を軽く炙ったライ麦パンで挟んだ簡素なサンドイッチだ。現代の知識で言えば、タンパク質と炭水化物を効率よく摂取し、これから始まる激戦に備えて血糖値を安定させるための合理的なメニューである。


 一行は、一夜明けた二つ目の村を通り過ぎる。


 朝の光に照らし出された村の惨状は、夜の闇よりもなお残酷だった。半分焼け落ちた家屋からは細く煙が立ち上り、地面には引き千切られた家財道具や、持ち主を失った靴が転がっている。俺が昨晩片付けたはずの場所も、静寂がかえって不気味な空白となって、村全体の絶望感を際立たせていた。


 一里、二里と街道を進むにつれ、前方から空を黒く染めるほどの重苦しい煙が立ち昇っているのが見えてきた。


 やがて、領都を囲む巨大な城壁がその姿を現した。だが、その光景は悲惨なものだった。強固な石造りの壁は、巨大な力で叩き壊されたかのように所々が激しく崩落している。城壁の銃眼からは、力なく垂れ下がった兵士の遺体や、壁にしがみついたまま絶命したコボルトの骸が、無数に点在していた。地面には折れた槍や砕けた盾が散乱し、鉄と血が混じり合った、吐き気を催すような臭気が風に乗って漂ってくる。


「そんなっ……! お父様! お母様!」


 ローラが悲鳴に近い声を上げ、制止を振り切って一人で走り出そうとする。それを、ガイルとラッチェンが左右から強引に引き止めた。


「待て、ローラ! 落ち着け!」

「離して! 早く行かないと……!」

「大丈夫だローラ。まだ陥落はしていない!」


 ガイルが、震える彼女の目を見て力強く断言した。


 その根拠は、城壁の最上部に僅かながら翻る王国の旗と、断続的に響き渡る警鐘の音だ。魔導通信が途絶えた中で、あの鐘は「生存」と「抵抗」を周囲に知らせるための最後の信号だ。もし完全に陥落しているならば、魔物たちは真っ先にあの音源を破壊し、旗を引き裂いて勝利を誇示しているはずだった。


 まあ、陥落していないとはいえ、喉元に刃を突きつけられている状態なのは変わりないがな。


「おい、ゼン!」


 あ、やべ。言葉に出しちゃった。めんごめんご。

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