第73話:初めてのパーティ
「兄ちゃん! 悪ぃな、あんな汚い所を押しつけちまって」
厨房の奥から、恰幅の良いコックが申し訳なさそうに声をかけてくる。
「いえいえ。正当な対価としての報酬は頂いておりますから、気にしないでください」
俺は「爆水放射機」を構え、換気扇の油汚れや、床に染み付いた食材の残滓を根こそぎ洗い落としていく。
公衆トイレというボーナスタイムのような依頼は三日に一度ほどの頻度でしか現れないらしく、俺は落胆しながら、近くにあるレストラン『赤の果実亭』の厨房清掃を受注した。ここは帝国の中産階級に人気の店で、昼時のランチタイムが終わったばかりの今は、戦場のような忙しさが引いて閑散としている。
高圧の水線が走るたび、何年も蓄積していたであろう頑固な油が剥がれ落ち、元の清潔なタイルが顔を出していく。その劇的な変化に、コックたちは唖然とした様子で立ち尽くしていた。
「……信じられねぇ。あんなに苦労してた煤汚れが一瞬で消えちまった。兄ちゃん恩に着るよ!」
「よかったらまかないを食ってけ! 腹減ってんだろ?」
豪快な誘いに俺は二つ返事で頷いた。
「え、いいんですか? では、お言葉に甘えて……」
差し出されたのは、余った肉と香草をふんだんに使った煮込み料理と、焼きたてのパン。
俺はピカピカになったテーブルに座り、まかないとは思えないほど美味いメシをガツガツとかき込んだ。肉の旨味を噛み締め、最後にキンキンに冷えたレモン水で後味ごと一気に嚥下する。
全身の細胞が潤うような満腹感。少しばかりの、いや、エクスタシーさえ感じる快感だ。
「ごちそうさまでした」
俺が静かに手を合わせると、皿を下げに来たコックが不思議そうに首を傾げた。
「なんだその儀式。見たことねぇな」
「これは……故郷に伝わる、食材に感謝を捧げるための儀式なんです」
それっぽい理由を添えると、コックは感心したように「へぇ、信心深いんだな」と笑った。
その後、コックたちとしばらくの間、下らない世間話に花を咲かせて談笑する。
夕方になり、そろそろ今日の成果を報告しようとギルドへ向かったのだが――入り口の受付付近で、何やら物々しく揉めている声が聞こえてきた。
そこにいたのは俺と同じ年頃の少女だった。着古されてはいるが、仕立ての良さが窺える服。農民には見えない。おそらくは僻地の領主の娘、といったところだろうか。
本来は綺麗だったであろうドレスは泥にまみれ、靴は片方しかなく、露わになった左足は無惨に血に染まっている。裸足でここまで走ってきたのだろうか。
「……ですから、何度も申し上げています通り、ギルドの規約で相応の報酬金が保証されない案件は受理できない決まりなのです。特例は認められません」
受付嬢の声には、事務的な冷徹さと、隠しきれない困惑が混じっていた。
「だからっ、お金はあとで必ず用意します! 父が、領主が必ず! 今は一刻を争うんです、早く冒険者の方々を出してください!」
少女の切羽詰まった叫びがホールに響く。二人のやり取りを尻目に、俺は明日の獲物を探すべく掲示板へと足を向けた。今の俺にとって必要なのは、公衆トイレのような高効率な掃除案件か、さらに泥臭い汚れにまみれた場所の依頼だけだ。
すると、近くで飲んでいた酔っ払いの冒険者が、聞いてもいないことをニヤつきながら教えてくれた。
「見ろよ、ありゃ。ヒクッ。どっかの世間知らずな貴族様が、領地が魔物に襲われてるから助けてくれだとさ。しかも、今は一銭も持ってねぇから後払いにしてくれってよ。笑わせるぜ、なぁ?」
「後払い、ねぇ。それで、何に襲われてるんだ?」
「ゴブリンと、コボルトの群れだとよ。ヒッ。支払われる保証もねぇ依頼のために、誰が命を懸けてやるかってんだ。バカ貴族め、現実を見ろっての」
ゴブリンとコボルトの混成群。
同種意識が強く、種族の壁を超えて協力することの稀な魔物が、異種族間で群れを形成するというのはかなり珍しい事例だ。だが、確かに繁殖能力に優れたゴブリンと、生命力が強く組織的に動くコボルト。この二種に物量で攻められれば、中央から切り離された僻地の村や町が対処しきれないのも無理はない。
俺は掲示板を見つめながら、その「異例」という言葉にわずかな興味を覚えた。
「後払いでもいいですよ! 俺たちがその依頼、引き受けます!」
静まり返ったホールに、若々しく威勢の良い声が響き渡った。
視線を向けると、そこには四人組の若者たちが立っていた。剣を背負った熱血漢そうなリーダー格の男、大斧を軽々と担ぐ体格の良い重戦士の男、そして後ろには弓を携えた細身の少年と、聖典を大事そうに抱えた清楚な魔導士の少女。
装備はどれも新品に近く、見るからに「これから伝説を築くパーティーです」といったキラキラした自信と希望に満ち溢れている。正直、今の俺には直視できないほど眩しすぎる連中だ。
「ほ、本当ですか!? 助けていただけるんですか……!?」
「はい! ギルドの規約でも、冒険者が自発的に無報酬、あるいは報酬の後払いに合意して受注するのであれば、受理を拒む理由はありませんよね?」
リーダーの男が受付嬢に食ってかかる。その正義感に燃える瞳は一点の曇りもない。
「確かに、双方が合意しているのであれば、ギルドが強制的に止めることはできませんが……」
受付嬢が困惑した表情で言い淀む。
早く実力を示してランクを上げたい新人冒険者と、藁をも掴む思いで領地を救ってほしい少女。そして、規則と現場の板挟みに合う末端の受付嬢。三者三様の切実な事情が絡み合い、もはや掲示板の依頼どころではない。最善ではないにせよ、一つの結末に向かおうとする流れに、俺の意識も知らず知らずのうちに惹きつけられていた。
すると、カウンターの奥から一人の男が姿を現した。
整えられた口髭に、隙のない仕立ての制服。ギルドの支部長代理か、あるいはそれに準ずる立場の上席職員だろう。彼は冷徹なまでに冷静な視線で、少女と新人たちを見据えた。
「よろしい。報酬金が後払いであっても構わないと冒険者側が同意し、かつギルドに対して一切の未払い補償を求めないのであれば、特例として許可しましょう」
男の声は慇懃無礼なほど丁寧だが、その内容は極めて冷酷だった。
「お嬢様、失礼ながら念押しさせていただきます。必ず、後日報酬をお支払いください。もし不履行となれば、我々ギルドはあなたを詐欺、あるいは不当搾取の対象として指名手配せざるを得ません。……それでもよろしければ、この無謀な契約の仲介をいたしましょう。いかがいたしますか?」
逃げ場を塞ぐような通告。少女は一瞬だけ身を震わせたが、すぐに汚れたドレスの裾を強く握りしめ、覚悟を決めたように深く頷いた。
「あなたたちの組織階級は、まだただの互助集団に過ぎません。ゴブリンとコボルトの群れなど、本来であれば受注資格すらありませんが、双方の合意がある以上、ギルドは確かに……承りました」
上司の男は、重々しく、それでいて突き放すような口調で言葉を継ぐ。
「通常、この規模の案件であれば複数のパーティーに応募をかけ、万全を期します。しかし今回は、失敗すれば救援も補助も一切ありません。全滅しようが、逃げ出そうが、その時点で依頼は失敗となります。よろしいですね?」
その冷酷すぎる説明の裏にあるのは、失敗すれば冒険者たちは死に、少女は再び絶望の中で助けを求めることになるという残酷な現実だ。それでもリーダーの男は、曇りのない笑顔を崩さず、少女の肩を優しく叩いた。
「大丈夫ですよ。俺たちが、必ず救いますから」
眩しすぎる。映画のワンシーンかよ。まるで勇者とお姫様だな。
「……そして、もし今回の依頼を完遂させた暁には、複数の現地証言が一致することを条件に、あなたたちをブロンズ級へと特例で即時昇級させましょう」
は?
待て、ふざけるな。そんな話、聞いていないぞ。
俺が泥にまみれて一ポイントずつ積み上げようとしている横で、そんなショートカットが許されてたまるか。不眠不休で十日間? そんな悠長なことをしている間に、こいつらに先を越されるのは容認できない。
俺は思考よりも先に足が動いていた。掲示板の前から弾かれたように飛び出し、受付の輪の中へと割り込む。
「待ってください! 人数は多い方がいいでしょう?」
突然の乱入者に、少女と新人パーティーの面々が驚いたようにこちらを見た。俺は息を整え、必死に「お人好しの新人」の面皮を被って言葉を重ねる。
「俺もカッパーの新人です。彼らと同じく、報酬はいりません。足手まといにはなりませんから、ぜひ同行させてください」
ウインクをしようとして白目をむいた俺に少し引き気味の一向。
「やめておけ。昇級を目当てに、そう安々と命を懸けるものじゃない。俺たちはただ、困っている人を助けるために命を懸けているんだ」
重戦士の男が、不審者を見るような目で俺を牽制してきた。は? 黙ってろ雑魚が。今ここで殺してやろうか。青臭い。反吐が出そうな程キショい台詞だ。
……とは言わず、俺は必死に善良な新人の笑みを顔に貼り付けた。
「いえ、決して足手まといにはなりません。パーティーに負担はかけませんし、道中の旅費も俺が持ちます。荷物運びだって何だって引き受けます。もちろん、報酬なんて一銭も要求しませんから」
そこまで条件を提示すると、リーダーの男が怪訝な顔をする他の三人を本物のウインク一つで黙らせ、俺の肩を親しげに抱いてきた。
「ありがとう! 君も女神ヘレナに導かれたんだね。仲間は大歓迎だよ」
おい、二度とその糞女の名前を出すな。神などという不確定要素に運命を委ねるつもりはないし、ましてやその名を耳にするだけで不愉快極まりない。
「ありがとうございます! 絶対に足手纏いにはなりませんから。では皆様、ええ、お嬢様も。重い荷物はこちらでお預かりしますね!」
俺はあくまで腰の低い、献身的な新人を装いながら、腰に下げた魔嚢をこれ見よがしに提示した。
おら、お前らみたいなモブ共が一生かかっても拝めないような最高級品だぞ。ありがたく思え、ボケが。
すると、期待通りの反応が返ってきた。背後にいた細身の少年が、飛び出しそうなほど目を見開いて声を上げる。
「な……!? 魔嚢かよ!? おい、それって本物の空間収納か!?」
その驚愕の声に、リーダーの男も聖典を抱えた少女も、一斉に俺の腰元を凝視した。俺は「はて? あれれ?」と首を傾げる、絶妙に白々しいすっとぼけ具合を披露してみせる。
「あ、これですか? ええ、まあ、そんな感じの便利な袋です。そんなに珍しいものなんですかね?」
内心で歪んだ優越感に浸りながら、俺は四人の武器や防具の予備、そして少女のわずかな手荷物を次々と受け取り、魔嚢の闇の中へと放り込んでいった。
見た目以上の質量を飲み込んでいく魔法の袋を前に、一同はもはや戦慄すら覚えているようだ。
「……君、一体何者なんだ? そんな高価な代物を持ってる新人がいるなんて……」
重戦士の男が引き攣った顔で呟く。俺はそれを適当な笑顔で受け流し、軽くなった一行を促した。
「さあ、お嬢様も足がお辛いでしょう? こちらをお履きになってくだせぇ。では、出発しましょう!」
こうして、表向きは荷物持ちとして振る舞いながら、俺は一行を先導するように歩き出した。




