第72話:再び冒険者ギルドへ
親父が国家転覆を宣言してから一カ月。俺達は与えられた役割を全うする為、それぞれの日常に戻っていた。俺に与えられた役割は、今まで以上に金を稼ぎ、兵隊を増やし、武器やアイテムを揃える事。その為ならイグナス家の看板をいくらでも使えと許可も下りた。
そしてもう一つの重要な任務が、冒険者ギルドにおいてランクを上げる事。皇族派との戦いにおいて脅威となる勢力は四つ。
一つは元老院。彼らは単なる法制機関ではない。帝国における「正当性」を司る装置であり、その老獪な政治手腕によって他派閥の利権を調整しつつ、皇族の守護を絶対化している。彼らを敵に回すということは、帝国法そのものを相手にするのと同義であり、法的な手続き一つで俺たちの活動を制限する力を持っている。
二つ目は国軍閥。帝国軍を統括するこの派閥は、当然ながら帝国――つまり、皇族を守るために存在する。彼らは「国家の盾」としての自負が強く、長年培われた軍事ネットワークと忠誠心によって固められている。反旗を翻せば、数万の精鋭が即座に牙を剥いてくるだろう。
三つ目は傭兵ギルド。ここは、実力はあるが金で動く連中だ。たとえ皇族派が彼らを雇ったとしても、それを上回る大金を積めばいくらでも寝返らせることが可能なので、さほど大きな問題ではない。
そして、四つ目が冒険者ギルドだ。大陸機関は完全な中立を保っているが、戦争などの有事には高ランクの冒険者に戦争の加勢を要請する。アダマンタイト級にもなると、個人で国軍と渡り合えるほどの化け物ばかりだ。
つまり、一番の脅威となる冒険者を俺たちの味方にすれば、もはやこの政争は勝ったも同然。その為にはオリハルコン、はたまたアダマンタイトの冒険者たちと接点を持たなければならない。その為のランク上げだ。
俺のランクは、二年前に入校するついでに登録したきりだ。つまり、最低ランクの「カッパー」。
本来であれば、上位の冒険者による推薦や高ランクの魔物の討伐実績があれば、一気に昇級(飛び級)できる――筈だったのだが、とある事件がきっかけで、どんな猛者であっても地道にランクを上げる他なくなったという。
それが、数年前に起きた「ヘンバー事件」だ。
当時、ヘンバー・テッチェンという名前だけの冒険者が、裏で傭兵に金を払って魔物を討伐させ、それをすべて自身の手柄にして不当にランクを上げていた。それだけでなく、高ランクの冒険者たちに多額の賄賂を支払って推薦をもらうという、徹底した工作を行っていたのだ。
たった一人の男が起こしたこの不正によって、ギルドの信頼性は失墜し、結果として便利な昇級システムは撤廃された。実力があろうが家柄が良かろうが、今のギルドでは例外なく下積みから始めなければならない。
結局、俺に回ってくるのは荷物運びや掃除、家屋の修理や補修といった地味な雑用ばかり。アダマンタイト級への道は、こうした泥臭い仕事をコツコツとこなすところから始める他なかった。
これまで、希少な魔導具やアイテムを効率的に回収させる目的で、ギルドに依頼を出したことは何度かある。だが、自らが受注側に回って依頼をこなすのはこれが初めてかもしれない。
とりあえず、イグナス家の人間であること、というより貴族であることを公言するのは愚行だ。実力主義こそを正義とする冒険者という人種は、この世界では異様に特権階級を嫌う傾向にある。無用な問題や騒ぎを起こして、余計な目を付けられる事態は絶対に避けなければならない。
ギルドタグに刻まれた登録名は「ゼン・イグナス」だが、現場で名乗るのは「ゼン」だけにとどめるつもりだ。
俺はギルドへ向かう路地裏で、懐から小さな魔導具を取り出した。色素の屈折率を操作し、外見を一時的に書き換える代物だ。
これを使って、イグナス家を象徴する銀髪と真紅の瞳を塗りつぶす。選んだのはかつて日本人として生きていた頃を思い起こさせるような色素の濃い「黒」だ。
鏡に映った自分の姿はどこにでもいるような、あるいは少し生気のない「一般人」の風貌へと変わっていた。これなら詳しい奴がいても一目ではバレないだろう。
準備を整え、俺は冒険者ギルドの重厚な扉を潜った。喧騒が渦巻くホールを抜け、まずは依頼板の前へと立つ。
掲示板には、誰もが顔を顰めるような効率の悪い雑用依頼がびっしりと並んでいた。
崩れかけた倉庫から重い木箱を運び出す「荷物運び」。悪臭の立ち込める裏路地で泥にまみれる「ドブ浚い」。山積みになった汚れた皿をひたすら洗う「食器洗い」。さらには、一般住宅の屋根裏に巣食った羽虫や鼠を追い払う「害虫駆除」。
どれも報酬は雀の涙で、慣れた冒険者なら見向きもしない代物ばかりだ。
周りには俺と同じようにカッパー級に甘んじている新人たちが不満げな表情で板を眺めていた。
「えー。こんな雑用より、さっさと魔物を討伐してえよ。せっかく武器を買ったのによぉ」
「だよなぁ。ドブ浚いなんてやるために冒険者になったんじゃねえっての」
若さゆえの万能感に浸る彼らの愚痴を尻目に、俺はカウンターへと向かい、事務的な笑顔を張り付かせた受付嬢に声をかけた。
「ランクを最短で上げるにはどうすればいいですか?」
俺の問いに、受付嬢は手元の台帳をめくりながら、淡々と説明を始めた。その口調には、同じ質問を今日だけで何度も繰り返したことによる、隠しきれない嫌気が滲んでいる。
「……昇級には『活動ポイント』の累積が必要です。カッパーからアイアンへの昇級には通常五十ポイントが必要となります。一般的な雑用依頼一回につき一ポイント。一方で、特定ランク以上の魔物討伐や、緊急性の高い指定依頼は五ポイントから十ポイントが付与されますが……」
そこで一度言葉を切ると、彼女は俺の安物の装備――正確には変装用の地味な装備に視線を落とし、小さく鼻を鳴らした。
「当然ながら、今の貴方のランクでは受注資格がありません。最短を目指したいのであれば、一つあたりのポイントは低くとも、移動時間が短く、かつ回転率の速い『市内清掃』や『共同倉庫の整理』を連続してこなすことですね。一日に五件、それを十日間も不眠不休で続ければ、理論上は最短で昇級試験の資格が得られます。……もっとも、そんな根性のある新人さん、最近は見たことありませんけど」
最後の方はほとんど溜息のような独り言だったが、俺の耳にははっきりと届いた。どうやら「早くランクを上げたい」と功を焦る新人には、嫌というほど付き合わされてきたらしい。
「分かりました。お忙しい中、ご丁寧に痛み入ります。では、教えていただいた通り市内清掃の依頼から始めてみます」
俺は変装した顔で、あくまで腰の低い、礼儀正しい新人として笑顔で応じた。受付嬢は意外そうに目を瞬かせていた。威勢よく食ってかかるか、露骨に嫌な顔をする新人が大半なのだろう。
彼女に軽く一礼してカウンターを離れると、俺は再び掲示板へと向かった。相変わらず「もっとマシな依頼はねぇのかよ」と不満を垂れ流しながら掲示板を占領している新人たちの間に潜り込む。
「すいません、ちょっと通してください。ごめんなさい、少しだけ……」
舌打ちやわざとぶつかってくる新人共をかき分けながら、俺は目的の紙に手を伸ばした。「市内清掃:公衆トイレの掃除」と書かれた依頼書をもぎ取る。
路地の角には、帝国の衛生局が管理する石造りの公衆トイレが設置されている。魔導具によって常に微量の水が流れ、一定の清潔さは保たれているはずの場所だが、管理を怠ればすぐに魔力を含んだ粘性汚れや害虫が湧いてしまう。冒険者ギルドに並ぶこの『トイレ清掃』は、その凄惨な現場環境から新人が最も忌避する仕事であり、しかし同時に、帝都の生活を支える最も密着した仕事の一つでもあった。
誰もがやりたがらず、常に掲示板に残っている不人気案件。それゆえに、この依頼だけは特例で二ポイントが付与される設定になっている。
周囲の新人たちが「うわ、あいつ便所掃除なんて取るのかよ」「正気か?」と冷ややかな視線を送ってくるのがわかった。だが、今の俺にとって重要なのは面子ではなく、最短でポイントを稼ぐという合理的な結果だけだ。お前らは一生そこで慰め合ってろバカが。
俺は二年前に入手した(してもらった)魔嚢から掃除に適した魔導具を選ぶ。
見た目は腰に下げる小さな革袋だが、内部は空間が拡張された一種のストレージになっている。中にある膨大な備蓄の中から目的のアイテムを引き出すには、意識を内側へ潜らせ、必要な形状と「質量」をイメージして指先で手繰り寄せる独特の感覚が必要だ。
無数の道具が並ぶ意識の海から、俺は清掃に最も適した一品を選び出し、外へと引き抜いた。
手に現れたのは「爆水放射機」と名付けられた異形の筒状魔導具だ。
これは内蔵された魔石に込められた魔力によって、周囲の空気に含まれる水分を根こそぎ吸収する機能を持っている。起動した瞬間に周囲が急激に乾燥するほどの代償はあるが、その吸い上げた水を、まるでケルヒャーのように……いや、もはや攻撃性を帯びたと言ってもいいほどの威力で放射するのだ。
「よし、始めるか」
石造りのトイレの前に立ち、俺は魔導具の銃口を向けた。やはり公衆トイレというものは、どこの世界であっても臭い。鼻を突くアンモニア臭と、魔素が混じり合って腐敗した特有の悪臭が充満している。
俺は吐き気を堪えながら、魔導具を起動した。
凄まじい爆音とともに、超高圧の細い水線が放たれる。壁面にこびりついていた正体不明の黒ずみや、便器の縁に固着した粘性汚れが、水圧に削り取られるようにして一瞬で霧散していく。魔力の影響で変質し、通常のブラシでは歯が立たない頑固な汚れも、爆水放射機の暴力的な破壊力の前ではただの塵に過ぎない。
そのあまりの轟音に、近所に住んでいるのであろうおばちゃんが、何事かと見学に来るほどだった。
「おや、兄ちゃん。若いのにこんな汚い場所を……偉いねぇ。熱心に掃除しちゃって」
「マダム、ここは男子トイレですよ……」
俺は苦笑いを返し、作業に戻る。
開始からものの数十分。床の隅々まで、まるで新築のように磨き上げられた石材の質感が戻っていた。あとはギルドから支給された芳香剤や備品を補充すれば、この場所の依頼は完了だ。
さて、ここで問題なのは「本当に掃除が行われたか」を誰が確認するかだ。
この手の依頼には、対象場所の付近にある協力店舗や、地域を巡回している衛生局の管理員から「確認印」をもらう形式が取られている。今回の場合は、トイレのすぐ横にある街灯の柱に設置された「確認用魔導端末」にギルドタグをかざせばいい。清掃後の清潔度を魔導的に検知し、基準を満たしていればギルドへ完了報告が自動で飛ぶ仕組みだ。
端末にタグをかざすと、ピッと電子音が鳴り、無事に完了のログが刻まれた。
確かに、平民区とギルドを往復し、こうして掃除するだけならかなりポイントを稼げそうだ。俺は綺麗にする掃除の喜びを噛み締めながら、ウキウキでギルドへと戻っていく。




