第71話:宣言
ギーレンス城に戻ると、地響きのような歓声が俺を包み込んだ。
「ゼン様! お怪我はありませんか!」
「見たか、あの戦斧の一振りを! 王国の連中がゴミのように吹き飛んでいたぞ!」
「イグナス家の神童だ。帝国に救世主が現れたぞ!」
パチパチと鳴り響く拍手。どうやら、俺の意識が飛んだ後のあの暴走は、敵陣の奥深くであったことや土煙が酷かったせいもあり、味方側からは見られていなかったらしい。伝わっているのは、俺が最新の魔導具を駆使し、戦斧で王国軍を蹴散らしていく英雄譚に相応しい勇姿だけだ。
マジで危なかった。
流石にあの規模の魔法を喰らうと、意識が飛ぶんだな。もしあのまま本体を晒しているところを誰かに見られでもしていたら、俺自身が駆除対象になるところだった。
「おぉ! 英雄の帰還だぞ! よくぞ、よくぞ戻ってくれた!」
司令部に招かれると、ガザル少将が満面の笑みで立ち上がり、大仰な動作で俺を迎えた。
「ありがとうございます」
俺は義務的に短く答え、促されるままに腰掛ける。すると、周囲を囲む騎士や幹部たちが、我先にと称賛の声を浴びせかけてきた。
「いやはや、流石は公爵家の麒麟児だ。あのリーバイス・ヘンダーソンを相手に一歩も引かぬどころか、単身で本陣まで食い破るとは!」
「あの戦斧の冴え、まさに帝国武芸の極みですな。この目で見られたことを誇りに思いますぞ!」
「魔導具の使い所も完璧だった。若年にしてこれほどの戦術眼をお持ちとは……恐れ入った!」
数時間前まで俺を飾り物扱いしていた奴らが、今は手のひらを返したように媚びへつらっている。俺はそれらに義務的に答えながら、冷たく冷えた水を一気に嚥下する。
「我々の練り上げた盤石の作戦と、貴殿の類稀なる武勇により、今回は大勝利をおさめることが出来た! よくやってくれた!」
ガザルが鼻を高くして言い放つと、それを合図にしたかのように、周りの連中もこれみよがしに功績を主張し始めた。
「いやはや、あの局面で私が予備兵力を動かしたのが効きましたな」
「いやいや、私の配備した魔導砲が、敵の足を止める決定打となったのは間違いありません」
「何をおっしゃる。私の騎士団が側面を突いたからこそ、ゼン殿が突撃する隙が生まれたのですぞ」
泥を啜って死んでいった兵士たちのことなど、誰一人として口に出さない。彼らにとって、この勝利は自分たちの出世を飾るための、都合の良い実績に過ぎないのだ。
「いえ、私の武勇など大した事はありません。死んでいった兵士達や、共に戦ってくれた味方のおかげです。これ以上の賛辞は身に余る光栄。どうか、彼等に相応の褒賞を」
俺がそう告げると、背後で微動だにせず佇んでいたフレンの肩が、微かに揺れた。だが、ガザル少将は鼻で笑い、ワインの香りを愉しみながら無頓着に言い放った。
「ふむ? そんな謙遜されるな、イグナス殿。たかが雑兵の死など、全体の戦況に何ら影響は与えんよ。奴等は我々に使われる為に生まれてきた、代わりの効く駒なのだ。褒賞などと、あまりおかしな事を言わんでくれたまえ」
周囲の幹部達も「左様ですな」と同調し、下卑た笑い声を上げる。
フレンの顔は見れない。だが、彼女は今、どんな表情でこの男達の言葉を聞いているのだろうか。
別に、俺は死んでいった奴等に同情するつもりなんて微塵もない。だが、あの地獄で共に戦い、王国のブタ共を追い返したのは事実だ。功績を横取りして笑っているだけの豚共よりは、あの泥まみれの連中に、何らかの形で報いてやりたい。
「そう、ですか。……申し訳ない。少し疲れがたまっているみたいで、先に休ませていただきます。あ、それと。フレン殿と少しお話がありまして、少々お借りしても?」
俺が席を立ちながらそう切り出すと、ガザルは目を細め、ニヤリと卑しい笑みを浮かべた。
「フレン百人長を? 別に構わんが。……ほほぅ? 貴殿も中々の好きものよな。あのような傷物を好まれるとは」
アホかこいつ。まともに会話すらできん。
俺は返事をする価値さえ感じず、そのまま司令部を退室した。背後から無言で着いてくるフレンを連れ、再び喧騒の城内を抜けて第一線へと戻る。
人気のない場所まで来たところで、フレンが低く掠れた声で問いかけてきた。
「……何をする気ですか? 私を笑いものにするつもりなら、今のうちに――」
「フレン殿。イグナス家から、戦った彼等に褒賞を与えます。死んでいった者達には、遺族へ必ず配布するよう手配をお願いします」
俺は懐から「血債小切手」を取り出し、彼女に差し出した。
そこに書かれた桁違いの金額を目にした瞬間、フレンは「なっ!?」と絶句し、思わず足を止めた。
「な、なぜ……あなたがそこまでするのですか。あなたは、イグナス家でしょう。我々のような捨て駒に、これほどの額を……」
「私の動機なんてどうでもいいでしょう。ただ、俺は貴女を信頼して、その金額を託します。……頼みましたよ、フレン殿」
背後で立ち尽くすフレンを置いて、俺は前線の片隅へと歩み寄った。そこでは、生き残った兵士たちが泥にまみれ、物言わぬ肉塊となった仲間たちを埋葬するために穴を掘っていた。
俺は無言でシャベルを手に取り、彼らに混じって土を掘り返し始める。
「お? こりゃあ坊ちゃん。手伝ってくれるんですかい?」
一人の年嵩の兵士が、驚きと戸惑いの混じった顔で声をかけてきた。
「あぁ。邪魔にならないか?」
「えぇ。こいつらも喜びまさぁ。公爵家の若様に土をかけてもらえるなんて、贅沢な葬式だ」
それをきっかけに、周囲から続々と人が集まり、俺に話しかけてくるようになった。
「ゼン様、さっきの戦斧、痺れましたぜ! まるで雷神が降臨したかと思った!」
「坊ちゃん、軍服が汚れちまうよ。あんたみたいな綺麗な人は、城でふんぞり返ってりゃいいのに」
「……まぁ、あんたが持ってきたあの弓がなきゃ、俺は今頃あっち側(死体)だった。そこだけは感謝してやるよ」
称賛、皮肉、他愛のない日常会話。
こうして現場の末端まで降りて好感度を稼いでおけば、俺の評価は爆上がりだろう。死体なんてこっちにきてから見慣れすぎている。
そのまま作業は、日が完全に沈み、夜が更けるまで続いた。
ひと段落ついたところで、俺は馬車から運ばせておいた高級菓子を取り出し、周囲の兵士たちに配り始めた。
「ほら、食え。全員分はないが、分け合ってくれ」
「うおぉ! なんだこの甘いの! 溶けるぞ!」
「坊ちゃん、これ一個で俺の年収より高いんじゃねぇか?」
焚き火を囲みながら、彼らと他愛のない会話を続ける。
身分を気にせず、ただの人間として言葉を交わすのは、いつ以来だろうか。
農民、平民、傭兵、奴隷。
そこには多種多様な人間がいたが、勝利に酔い、腹を満たした彼らの瞳には、昨日までの絶望は微塵も感じられない。明日にはまた地獄が待っているかもしれないというのに、今はただ、生き延びた喜びと俺がもたらした「対価」を噛み締めている。
焚き火の明かりから離れ、闇が濃くなる場所まで歩を進めると、不自然に揺らぐ人影がそこにあった。
俺は背後の兵士たちに「そろそろ寝るよ」と言い残し、そのままギーレンス城の深い影へと消えた。
「何のようだ」
俺が問いかけると、闇の中から親父麾下の影の部隊――「縫」が姿を現した。
「ゼン様、グラド様がお呼びです。かなり緊急性を要すると、至急の帰還を命じられております」
だろうな。帝国の戦争に関われば、かならずグラドが監視している。俺がこの戦場で何をし、何を見せたのか、そのすべてを把握した上での呼び出しか。
「分かった」
俺は短く告げ、用意されていた行行きと同じ馬車に乗り込んだ。勝利の余韻に沸く城を背に、馬車は夜の闇を切り裂きながら、そのまま帝都へと帰還する。
一週間後。
久しぶりに帰ってきたイグナス家の屋敷は、相変わらず人を寄せ付けない威厳と冷徹さに満ちていた。
この場所に楽しい思い出など殆どない。だが、肌に触れる空気の重さや、使い古された石畳の感触に「実家」を感じてしまうのは、やはりここが俺の産まれた場所だからだろうか。
感情に浸る暇など、殆どない。
俺は屋敷の門を潜ると、休む間もなくグラドの執務室へと向かった。廊下ですれ違う使用人たちの視線が、戦場から戻った俺の姿を捉えて微かに揺れる。
執務室の重厚な扉の前に立ち、一度だけ深く呼吸を置く。そして、静かに扉を叩いた。
「久しぶりだな、ゼン」
執務室の扉を開けると、そこにはジルドとザングース、二人の兄が先に待っていた。親しみのある笑顔を向けてくる長兄ジルドに対し、次兄ザングースは無言のまま、鋭い眼光で俺を睥睨してくる。そしてそのさらに奥、部屋の主であるグラド・イグナスが、絶対的な威厳を纏って座していた。
「お待たせいたしました。急ぎ戻りましたが、即座の拝謁が叶わず遅れた非礼をお許しください」
俺が貴族としての礼儀に則って詫びを入れると、グラドは視線を書類から俺へと移した。
「構わん。先の防衛戦、実に見事な働きであった。イグナスの名に恥じぬ武勇、聞き及んでいる」
それからしばらく、戦場での詳細や戦後の処理について近況を報告し合った。家族としての、あるいは一族の構成員としての形式的な会話がひと通り止まったところで、グラドが静かに、だが重く呟いた。
「今の帝国は、腐っている」
唐突なその言葉に、室内の空気が一瞬で張り詰める。グラドは組んだ指に顎を乗せ、射抜くような視線を俺に向けた。
「ゼン、先の防衛戦、現場に立ったお前の目にはどう映った? 忌憚のない意見を聞かせろ」
「……率直に申し上げます。私がいなければ負けていました。前線の犠牲を顧みず、手柄の計算に終始する指揮官共……あまりにも無能過ぎます」
昔のザングースなら「生意気な口を利くな」と噛み付いてきただろう。だが、今の彼は無言で俺の言葉を聴いている。不気味なほどに落ち着いているのは、俺が今まで培ってきた評価が、既に彼の耳にも届いているからだろう。
「あぁ。ジルド、お前はどうだ」
グラドが視線を向けると、ジルドは肩をすくめながらも、その瞳に冷徹な光を宿して答えた。
「私もゼンと同意見ですね。現場を預かる身として、後ろで茶を啜っている連中の采配には、何度殺してやろうと思ったことか」
俺よりも長く、そして過酷な戦場を渡り歩いてきた長兄の言葉には、隠しきれない殺気が籠もっていた。
「ザングース」
「……二人と同じ意見です。威張っている奴らほどよく喚き、吠える。今の軍部に巣食う皇族派の連中は、無能ばかりです」
次兄の冷ややかな断言に、グラドは満足げに、あるいは帝国の行く末を憂うように深く頷いた。
「今回の防衛戦で、ようやく私の決意は盤石のものとなった」
グラドはそう断じると、重厚な執務机に深く背を預けた。その双眸には、帝国の腐敗を焼き尽くさんとする冷徹な炎が宿っている。
「血筋の貴賤のみを唯一の拠り所とし、無能を放置し続ける現皇族に、この大陸の覇権を委ねる道理はない。王国ごとき弱小の徒に国境を侵され、あまつさえ存亡を脅かされるという醜態……。これはもはや国家の体を成しておらず、帝国の黄昏を象徴する恥辱に他ならぬ」
グラドの言葉が、部屋の空気を物理的な重圧へと変えていく。彼は一度言葉を切り、三人の息子たちを静かに見据えた。
「ゆえに、私は決断した。積弊に沈みゆくこのバースバル帝国を救い、真なる覇道を再構築する。……この国は、我らイグナス家が統治し、新たな理のもとに統御する。皇統を刷新し、実力という名の血を以て大陸の版図を塗り替えるのだ」
帝国の至高の権力者である「十賢者」の口から放たれた、正真正銘の反逆――いや、国家の再定義とも呼ぶべき重大な宣言。
ジルドとザングースは、その言葉の重みを噛みしめるように深く沈黙した。イグナス家が帝国の頂点に立つ。それは現体制を根底から覆し、全皇族を敵に回す茨の道であることを意味している。
「ゼン、お前が戦場で見せた『規格外の武』。ジルド、お前が培った『軍の掌握力』。ザングース、お前が極めた『魔導の叡智』。それらすべてを一門の総力として結集し、この腐朽した帝国を解体・再編する」
グラドの瞳は、もはや一公爵家の当主のものではない。古き神話を終わらせ、新たな王座を据えようとする開拓者のそれだった。




