第66話:いざ、戦場へ
二年前、俺が商業ギルドから正式なライセンスをもぎ取り、破竹の勢いで事業を拡大させていた頃のことだ。
帝都には認可を得ずに商売を行う「闇商人」や、許可を持っていても俺の後ろ盾――イグナス家という巨大な盾に恐れをなし、油田のように湧き出てくる資源と圧倒的な武力を前に市場を譲らざるを得なかった商人たちが、ゴキブリのように溢れていた。
当然、商業ギルドには俺たちに対するクレームが殺到したらしい。だが、一切のお咎めはない。当たり前だ。自分たちの利益を優先する小賢しい商人なんかより、俺のように莫大な冥加金をギルドに上納し、おまけにテロ組織の解体や違法な人身売買の摘発といった面倒な汚れ仕事まで好んで引き受ける組織の方が、ギルドにとって優先されるのは自明の理だった。
それを理解していないのか、あるいは理解していても納得できないのか。いずれにせよ、俺の事業に対して「嫌がらせ」をしてくる連中が目立ち始めたのは、去年あたりからのことだ。
まともな商人たちは、流石に直接接触してくるような無謀な真似はしなかった。だが、闇の勢力は違う。
今回のように、認識阻害の魔導具まで持ち出して直接的な手段を講じてくる地下組織――“烏鴉が運ぶ死”のような連中にとって、俺の存在は目障りな不法侵入者でしかないのだろう。
現在、帝都の「裏外区」を拠点として覇権を争い、治安を蝕んでいる主な闇組織は三つある。
一つ目は、今回接触してきた“烏鴉が運ぶ死”。
人身売買を主な資金源とする組織だ。帝都の浮浪児や、地方から流れてきた行き場のない平民、さらには対象外種族までも「商品」として扱い、大陸全土の富裕層へ供給している。彼らにとって、俺が経営する『常闇』のような、奴隷を解放し、正当な報酬と安全を保障する仕組みは、商品供給のサイクルを乱す最も忌むべき経済的障壁に他ならない。
二つ目は、劇物や禁制魔法薬の密売を掌握する“極楽の毒腺”。
「冥府の滴」をはじめとする、依存性の高い非合法薬物の流通を一手に担っている。快楽と破滅を売り捌く彼らは、中毒者を増やすことで帝都の各層に根を張り、時には貴族の弱みさえ握って政治的に利用する。俺が流通経路の適正化を図ることは、彼らの「麻薬帝国」の基盤を削る行為に等しい。
三つ目は、誘拐、暗殺、そして脅迫を専門とする実力主義の結社“剥製師”。
特定の拠点を構えず、依頼があれば帝国の高官であってもその標的とする。対象を物理的に消すだけでなく、社会的に抹殺するための隠密工作や、身代金目的の誘拐にも長けている。彼らにとって俺は、自らの暗殺技術を凌駕する武力や、鉄壁の警備魔法陣を構築する「排除すべき危険因子」としてリストの最上位に名を連ねているはずだ。
これら三つの勢力が、帝都の闇で複雑に絡み合い、均衡を保っていた。
「あの糞カラス達ですか。厄介ですね……」
ズマが忌々しげに吐き捨てた。
「あぁ。ベストバレーの件から、やたらと執拗に絡んできやがる」
二年前、ベストバレーで開催された大規模な秘密オークションを俺が中断させたことで、奴らは莫大な利益と面目を失った。さらに、帝都において奴らのお家芸である人身売買の分野でさえ、俺が真っ当な「雇用」という形で市場を食い荒らし始めたことで、その対立は決定的なものとなった。
この『常闇』という娼館は、今や他の商人や闇組織が喉から手が出るほど欲しがる、帝都最大の利権そのものだ。
この規模の屋敷を構え、広大な土地を独占し、さらに貴族をお忍びで通わせるほどの格式を維持する。それは単に金があるだけでは不可能だ。皇族の黙認と商業ギルドの正式なライセンス、その双方が揃って初めて成立する、まさに「選ばれた者」だけに許された極上の金のなる木なのだ。そこらの雑魚共がどれほど束になってかかろうと、逆立ちしても辿り着けない領域の商売と言える。
建設の段階から嫌がらせは絶えなかったが、そのたびに父、グラド公爵の全面的な協力という名の「暴力」がそれらを粉砕してきた。反対勢力の貴族や商人たちが、一晩で何十人も粛清される光景は、帝都の裏側に「イグナス家は無敵である」という恐怖を刻みつけるには十分だった。
完成後も、無謀にも抗争を仕掛けてくる組織は後を絶たなかった。だが、そのたびに俺は警備を徹底的に強化し、捕らえた刺客を「見せしめ」として生きたまま裏外区の入り口に晒し上げるなど、過激な報復を繰り返してきた。結果、現在では今回のような小手先の嫌がらせしか行えないほどに奴らを追い詰めていたはずだった。
しかし、その牙城の内部にまで侵入を許した。
流石にこのまま奴らと全面戦争に突入すれば、あのガリアスなど比較にならない――文字通り「うんこ」に思えるほどの規模で、血で血を洗う凄惨な事態になるのは火を見るより明らかだった。
「キャストの安全を第一優先とし、『虫』の使用も躊躇うな。これまで以上に警備を強化しろ」
「はっ、承知いたしました」
『虫』。それは俺が二ヶ月間、心血を注いで育て上げた、とあるSランク災虫のことだ。この屋敷の深奥に潜ませてあるそれは、俺の明確な許可がなければ指一本動かさない。俺は即座にその意識へ干渉し、待機状態から警戒状態へとフェーズを移行させた。
これで、この娼館は生きた要塞と化した。
「ゼン様、申し訳ありません……私のせいで」
背後から、しっとりと濡れたような嬌声が聞こえてきた。振り返れば、そこにはまさに「暴力的な肉体の象徴」とでも呼ぶべき女――セリアが、申し訳なさそうに身を縮めて立っていた。
同人誌の挿絵からそのまま抜け出してきたかのような、極限まで肉感的な肢体。豊満という言葉では生温い。重力に逆らうように張り出した、爆発しそうなほど豊かな双丘は、薄い絹布で形をなぞるのが精一杯だ。歩くたびに波打ち、溢れんばかりの存在感を放つ腰回りの曲線。透き通るような白肌に映える金髪が、彼女の持つ官能的な魅力をさらに引き立てている。
「いや、お前のせいじゃない。……頼むから、ちゃんと服を着てくれ」
視線を逸らしながら俺が告げると、セリアは「あ……」と、自分の格好を思い出したように頬を染めた。ほとんど裸に近いその姿は、健全な男の理性に対する正面衝突のようなものだ。
ふと横を見れば、ズマをはじめ警備の男たちが一様に前屈みになり、頬を赤らめて鼻の下を伸ばしていた。気持ちは痛いほど分かるが、きしょいわ、お前ら。
「すみません、急いで着替えてまいります……!」
慌てて駆け出していくセリアの背中を見送りながら、俺は改めて思考を切り替える。
俺は明後日から、北方王国との国境防衛戦へと動員されることになっている。
ここ一年で、北方のバルドゥール王国を二分していた血みどろの内乱が終結した。新しく王座に就いた「獅子王」レオン・ゴウラ・ライオンハートの強引なまでの手腕の下、王国はかつて帝国に侵略された領土の殆どを奪還。その勢いのまま、今や帝国の防衛線を食い破らんとする勢いで軍を進めてきている。
十四歳の学生までをも戦地へ駆り出すほどに激化している王国との戦争。自分の組織の維持も大事だが、このまま帝国が不利な状況に追い込まれることだけは避けたい。
恐らく、この時代から帝国はゲーム『スロン』の本編で描かれたように、徐々に追い詰められていったのだと思う。特に、歴史の流れを変える上で最も重要な一戦――それがギーレンス城における攻防戦だ。
ギーレンス城。帝都へと続く街道の合流地点に位置し、北方の物流と軍事の両面を支える帝国の絶対的な防衛要衝だ。巨大な城壁と天然の要害に守られたこの城は、貿易の心臓部としても機能しており、ここを失うことは帝国の物流が死ぬことを意味する。
史実、つまりスロンの設定では、この城を王国に落とされたことで、帝国は半分近くの領土を奪われる事態に陥った。
この敗北を防ぎ、逆に王国の重要なNPC――いや、この世界では生身の人間として実在する男、リーバイス・ヘンダーソンを殺すことができれば、帝国は本来のシナリオとは真逆の歴史を歩むことができるはずだ。
俺は明後日からの出征をズマに告げ、帰還は早くとも来月になると言い渡した。
そうして準備を整え、俺がいざ娼館の門を潜ろうとしたその時だ。色とりどりの香水の香りと共に、娼館に籍を置く全遊女たちが波のように押し寄せてきた。
「若〜! 絶対に、絶対に生きて帰ってきてよ!」
「変な怪我したら承知しないんだからね!」
「戻ってきたら、最高のご褒美をたっぷり用意して待ってるから!」
「若がいない間、寂しくて干からびちゃいそう。早く帰ってきてね」
「私たちの英雄様なんだから、王国軍なんて蹴散らしてきてちょうだい!」
口々に投げかけられる声と共に、俺の身体はあらゆる方向から押し付けられる、柔らかく温かい感触に包まれた。まさに天国、あるいは男にとっての究極の幸福がここにある。
……よし、決めた。
生きて帰り、この地で必ずや童貞を卒業する。
鋼のような決意を胸に、俺は名残惜しさを振り切って士官学校へと戻った。




