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第62話:鏖殺

 時間を少し遡る。ヴァレアスが倉庫へ突入し、ヘルガーに刑を執行する少し前のことだ。


 ガリアスとスキンヘッドの男に張り付かせたウルガの反応を辿ったバドは、港から六キロメートルほど離れた立派な屋敷で、血を吐きながら暴れる青年の首を掴み宙に持ち上げていた。


 鷲掴みにされた首筋から嫌な音が響く。青年の顔は鬱血してどす黒く変色し、喉を潰されながらも、必死に酸素を求めて喘いでいる。


「その港の倉庫に商品が保管されているんだな?」

「は、はぃっ。だず、げ……」


 バタバタと無様に足を振る青年。彼の一八年という短い人生の最後の景色は、大男の背後から悠然と這い出てくる銀髪の少年の姿だった。


「港、ね。お決まりのテンプレだな」


 ゼンは通信でヴァレアスに倉庫の位置を伝える。ガリアスを捉えるのは当然として、奴の財産や商品もすべて奪う。商業ギルドからはその点について何も言及されていない。なら俺のものだ、と今回の一件であらゆる物を手に入れる気の少年は、屋敷の周りで音も立てずに絶命した十九人の若者達に思わず同情した。


 彼らはバドによって、迅速かつ無慈避に情報を抜き取られ、死へと追いやられた。もし道を間違わなければ、冒険者として成功したかもしれない若き命。


「まぁ、どうでもいいか」


 今しがた絶命した若者の死体の腕を無造作に踏み抜きながら、ゼンはバド、そして褐色の女戦士――リダに向き直る。


「スキンヘッドは離れた場所にいる」

「そうですか。なら私とリダはその者を排除しに向かいます。おそらく、あの会場で見定めた限り、奴が針鼠における最大戦力エースでしょうから」


 針鼠第一部隊隊長――ゾルガン。彼はこの後バドに両目をくりぬかれ、心臓を抜き取られ、そのまま呆気なく死ぬのだが、今の彼にそれを知る術はない。


「ではゼン様、あまりはしゃぎ過ぎないようにお願いしますよ」


 バドは誰よりも理解している。自身の主人、ゼン・イグナスの異常性と、その残虐性を。それを今のリダに見せる訳にはいかない。


「あぁ、お前もな」


 リダは自分の主人を一人その場に残して去ろうとするバドに困惑しているが、二人の信頼し切った様子に何も言わず従う事にした。


 一人になったゼンは、眼前にそびえる屋敷を見上げた。白亜の壁は月光を弾いて青白く輝き、等間隔に並ぶ高い窓からは、贅を尽くした室内灯の明かりが漏れている。広大な敷地を囲う鉄柵と、手入れの行き届いた庭園。それは一見すれば帝国の平穏を象徴する貴族の邸宅だが、その土台は数多の奴隷の血と涙で固められている。


 ゼンは腰から、重厚な気配を纏う『断罪の頭蓋ジャッジメント』を引き抜いた。全長一メートルほどの戦斧。その斧頭の中央には、磨き上げられた魔物の頭蓋骨が不気味に埋め込まれている。刃の基部に嵌まった深紅の魔導石が、これから始まる宴を予感するように、どろりとした光を明滅させた。


 んごぁ


 大きく開かれた口から、数十匹もの災虫たちが溢れ出した。それは口から吐き出されるというより、深淵の底から這い出してくる闇の奔流だった。カサカサと耳障りな音を立てて地面を覆い尽くす節足の群れ。空を不吉に舞い踊る黒い翅。


 圧倒的な暴力の苗床が、静かに、愉悦を孕んで笑った。

 屋敷の一階。廊下の角で警備に当たっていた青年は、あまりの眠気に耐えかねていた。大きく口を開き、肺の空気を吐き出す。人間なら当たり前の生理現象。ただ、今夜のこの屋敷において、それは最悪の招待状となった。


 数匹のウルガ・ゴキブリは、開かれた門を迷わず潜り抜けた。躊躇なく口内を通り、喉を抜け、体内に侵入する。あいにく、それらはすべて卵を孕んだ雌の個体ばかりだった。青年が喉を抑えてのたうち回ろうと、災虫たちは一切の容赦なく、その温かな内側に次々と産卵を開始する。


 そして、孵化。


 栄養の塊である人肉を前にして、尋常ではない速度で急成長を遂げるウルガたち。


 既に絶命し、物言わぬ肉塊へと成り果てた青年の口から。あるいは、内側からの圧力に耐えきれず弾けた腹部を食い破って、新たな個体が勢いよく外へ飛び出す。


 彼らの目的はただ一つ。増殖し、命あるものを一人残らず殺すこと。


 そうプログラムされたウルガたちは、血の匂いを辿って次々と獲物を求め、仕留め、再びその肉を苗床にして数を増やしていく。


 それは、ホラー映画の演出さえ生温く感じるほどの、音もなき惨劇だった。


 二階。


 一階でウルガ・ゴキブリが凄惨な増殖を続けるのと同時刻。ふかふかの椅子に座り、微睡みの中で穏やかな寝息を立てていた女は、パリン、という硬質な窓の割れる音に飛び起きた。


 と、同時に死んだ。


 彼女の脳天を貫いたのは、鳳仙蜂が放った無慈悲な毒針だ。悲鳴を上げる暇すらなかった。額の傷口から強力な毒素が瞬時に組織を破壊し、頭蓋の内側から脳を、眼球を、顔面の肉をドロドロに溶かしていく。数秒前まで美しい容貌を保っていた女は、原型を留めぬ無惨な腐肉へと成り果て、床に崩れ落ちた。


 鳳仙蜂にウルガのような爆発的な増殖力はない。だが、個としての脅威度でいえば、そこには圧倒的な差が存在する。そこにゼンの緻密な殺戮命令プログラムが組み合わされば、それは既に現代のドローン兵器と同等――いや、それ以上に抗い難い自律型の殺戮兵器と化す。


 鋭利な翅は高速回転する刃となり、木製の扉を紙細工のように切り裂き、逃げ惑う護衛たちの手足を無造作に切断していく。


「ぎゃあああああッ!」

「助け、熱い、顔が溶け――」


 廊下には絶叫と血飛沫が吹き荒れた。毒針を撃ち込まれた人間たちが、生きたまま中身をドロドロの液体に変えられ、ぶちまけられた臓物と混ざり合って二階の通路を赤黒く染め上げていく。壁には溶け落ちた指の跡がこびりつき、床は粘り気のある「かつて人間だったモノ」の溜まり場と化した。


 彼らの目的は、監視と殺戮。


 複眼の視界に入った者は例外なく死の標的となり、運良く毒針を逃れて屋敷から逃げ出そうとする者がいれば、上空から静かにその動向を監視する。


 そう、この異常事態を察知し、寝室の隠し扉から外へと這い出したガリアスの姿さえも、鳳仙蜂の冷徹な複眼は逃さず捉えていた。


 結論から言えば、ガリアス本人の実力はシルバー級冒険者と同等、あるいはそれ以下に過ぎない。彼が今日まで裏社会の荒波を生き残り、首領として君臨し続けてこれたのは、潤沢な資金に物を言わせて収斂しゅうれんした一級品の魔道具群の恩恵によるものだ。


 特に、彼が今その身に纏っている伝説級レジェンダリーの宝具――『女神の抱擁ディバイン・ガーディアン』は、まさしく破格の性能を誇っていた。


 これは装着者の意思を介在させず、あらゆる物理的打撃や魔法的干渉を検知して全自動オートで魔法障壁を展開する。あらゆる攻撃を無効化し、毒や呪いといったあらゆる状態異常デバフさえも完璧に遮断する、文字通りのチートアイテムだ。


 前世でプレイしていたゲーム『スロン』においても、そのあまりの防御性能ゆえに、実装後すぐに運営から凄まじい下方修正ナーフを食らった曰く付きの装飾品。


 なぜこれほどの至宝をガリアスのような男が所有しているのか。ゼンにとってそんな経緯はどうでもいい。ただ、奴を確実に捕縛し、その首を狩るためには、この鉄壁の宝具を攻略する必要があった。


 しかし、言い換えればそれはあらゆる攻撃やデバフを防ぐ「だけ」の代物に過ぎない。ウルガの幼体が既にガリアスの衣服に張り付いている時点で、かつてゲーム界を席巻したほどの絶対性は喪失している。弱体化後の性能で助かった、とゼンは内心で安堵した。


 おそらく、明確な殺意を宿した個体であれば障壁に弾かれるだろう。だが、発信機として放った、殺気も害意も持たぬ無機質なウルガは、問題なくその懐中へと忍び込めていた。


 ゼンは屋敷で増殖させた全てのウルガと鳳仙蜂を、逃走するガリアスに向けて一斉に放つ。命令はただ一つ、「追い続けろ」。


 そこには攻撃の意思も、敵意すら存在しない。ただ純粋に標的を追尾し続けるだけ。だが、足元を埋め尽くす百六十八匹のゴキブリと、頭上を旋回する八匹の巨大な蜂に追われ、正気を保っていられる人間などこの世に存在するだろうか。


「ひっ、あ、あっちへ行け! 来るな、この化け物共がぁッ!」


 足元で蠢く黒い影の群れ。わざと耳障りな羽音を響かせ、神経を逆撫でするように威嚇する蜂。ガリアスが狂ったように起動させた魔道具の炎が、夜の闇を赤々と照らし出す。


「ガリアス・ヴァン・ドレン。大人しく投降すれば、命だけは助けてやる」


 追いついたゼンが、フードの奥から冷徹な声を言い放った。


「フードのガキ……ッ! 散々俺の邪魔をしやがって、タダで済むと思うなよ! 助けてやるだと? 笑わせるな! 俺にはどんな魔法も、どんな武器も届きはしないんだよッ!」

「『女神の抱擁ディバイン・ガーディアン』だろ?」

「なっ……!?」


 ガリアスは驚愕に目を見開いた。古代魔道具の一つであるこの至宝を、なぜこの子供が知っているのか。ゼンにとっては忌々しき過去の遺物であり、かつて対戦環境を荒らし尽くしたチートアイテムの対策を知らないはずがなかった。


「昔はな、あらゆるデバフの中にあらゆる『毒』が含まれていた。だが弱体化されて以降、防げるのはステータスを下降させる効果だけに限定されたんだ。それがこの現実にどう反映されているかは知らないが……今から起こるのは攻撃じゃない。ただの『事故』だ」


 直後、ガリアスの足元から一斉にウルガ・ゴキブリが羽ばたいた。


 ゼンは感情を排した声で、ただ一言、命じた。


「――爆散しろ」


 ガリアスの放った炎に焼き払われた個体は、たったの十一匹。生き残った百五十匹以上のウルガたちは、逃げ場を塞ぐようにガリアスの頭上を真っ黒に埋め尽くした。


 そして。ゼンが合言葉を唱えた瞬間、一斉に内側から弾けるようにして、粉々に爆散した。


 空から降り注ぐのは、鉄をも容易に溶解させる強力な酸性の体液だ。


 それは明確な殺意を伴った「攻撃」ではない。ただ空中から降り注ぐ酸の雨、あるいは滴り落ちた自然物。女神の抱擁ディバイン・ガーディアンは、それを降りしきる雨と同じ自然現象、あるいは不可抗力の「事故」として認識し、魔法障壁を起動させることはなかった。


 間違いなく致死の毒。だが、システムの上では攻撃ではない。


 ガリアスの視界を、粘り気のあるどす黒い緑色の体液が埋め尽くしていく。死の間際、彼は走馬灯を見ているのか。それとも脳が恐怖を拒絶したのか。降り注ぐ死の雫が、ひどく緩やかなスローモーションに見えていた。


 直後、静寂を切り裂いてジュワーという人間が無惨に溶けていく忌まわしい音が周囲に響き渡った。


 それはたった五秒の出来事だった。

 酸の雨が降り止んだ地面に残されたのは、ガリアスだったモノ。


 どろどろに溶け崩れた肉と、骨、そしてわずかな皮膚の断片。かつて帝都の裏社会を牛耳った男の面影はどこにもない。


 その腐肉の山の中に。


 主を失ってもなお、何事もなかったかのように気高く輝き続ける無傷の宝具、『女神の抱擁ディバイン・ガーディアン』が、転がるように落ちていた。

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