第60話:恐怖政治
迎賓館の食堂には、深夜とは思えないほど芳醇な香りが立ち込めていた。
円卓に並べられたのは、帝国でも最上級の食材を惜しみなく使ったフルコースだ。香草で香り付けされた子羊のロースト、濃厚なフォアグラのパテ、深海魚のポワレには最高級のバターソースが添えられており、並べられた果実水が燭台の光を反射して宝石のように輝いている。
俺は分厚く切られたレアの牛肉を次々と口へ運び、その肉汁を堪能しながら口を開いた。
「……なぁ、そのお面、マジで気に入ってんのかよヴァレアス」
「戯言を。俺は合理性を取っただけだ。おいバド、そこの塩取ってくれ」
ヴァレアスがオーガの面を少しだけ持ち上げ、その隙間から毒づく。
「あまり塩分を摂りすぎるな。血圧への影響はもちろん、過剰な摂取は魔力の循環にまで悪影響を及ぼす。お前の体調管理まで俺が押し付けられるのは御免だ」
「わかった、もういい。相変わらずお前の説教はくどいな」
そんな俺たちのやり取りを、向かいに座る五人は、まるで異界の儀式でも見ているかのように困惑の表情で眺めていた。無理もない。彼ら彼女らの前にも、俺たちと寸分違わぬ豪華なコース料理が並べられているからだ。
聞けば、女たちは観賞用としての価値を守るためにまだマシな食事を与えられていたようだが、男たちは豚の餌にも劣る残飯しか与えられていなかったらしい。
「今更毒なんて仕込む必要性はないし、早く食えよ。ここに奴隷用のコースなんてねぇぞ」
俺は語りながらも、子供の胃袋には収まりきらないはずの食事量を凄まじい勢いで平らげていく。オークション会場で大量のウルガや鳳仙蜂を生成・維持した代償は大きく、体内のリソースは枯渇寸前だ。既に八人前は胃の中に消えている。
俺のその異常な食いっぷりと無造作な言葉に、ようやく男たちが動いた。
岩石のような大男と刺青の若者が、溢れ出した涎を乱暴に手で拭うと、礼儀やマナーなどクソ喰らえと言わんばかりに料理へ飛びついた。
大男は骨付き肉を素手で掴み、獣のような音を立てて骨の髄まで食らいつく。刺青の若者も、熱々のスープを器ごと煽り、その脂で口の周りをぎらつかせながら、胃袋を埋める幸福感に顔を歪めた。
女たちもまた、当初の警戒心こそ捨てきれないものの、芳しい湯気の誘惑には抗えなかった。カトラリーを持つ手が震えている者、一口ごとに溢れる涙を隠しもせず、噛みしめるように咀嚼する者。
死の淵から拾い上げられ、温かい食事を与えられる。そんなあまりにも単純で原始的な救済に、彼女たちは時折、嗚咽の混じった会話を交わしながら、運命の濁流を一時だけ忘れたかのようにがっついていた。
余談だが、もう一人の男は逃げようとしたのでそのまま逃した。殺すのも奴隷として保管するのも繁雑だったからだ。まぁ、奴の肛門から侵入させたウルガが、俺から半径三百メートル以上離れると心臓を停止させるように細工してあるのだがな。
「――本題だ。まず、今からこいつをお前らに寄生させる」
そう言って指先からウルガを取り出した瞬間、男たちは一斉に警戒を露わにし、女たちは悲鳴を上げた。やはりか、と。こいつも結局は狂った貴族の類なのかと、彼らの瞳には深い落胆と絶望が混ざり合う。俺は小さくため息を吐いた。
「落ち着け」
短く吐き捨てるように言い放つ。
「まず第一に、奴隷の首輪はあまりにも目立ち過ぎる。私は奴隷ですと周囲に宣言しているようなもんだろう。そいつはまぁ……見た目はゴキブリだが、害はない。緊急時には寄生主を治癒するように指示してある。もちろん逃げようとしたり俺を傷付けようとすれば相応の痛みは与えるが、首輪と違ってそれ以外の制限はない」
通常の奴隷の首輪は、飼い主が持つ魔導鍵と一定以上の距離を離れることができない。鍵に魔力を込めればいつでも遠隔で激痛を与えられ、その重量も生活する上で決して無視できない負担となる。不便極まりない呪縛だ。
「それでも生理的な抵抗があるのは分かるが、これは命令だ。それと、腸内の不要な排泄物は処理してくれるから便秘の心配もない」
これはセクハラに当たるのだろうか。気持ち悪そうに俺を睨む女たちの視線を無視し、言葉を続ける。
「もう一度言うが、お前らが不審な行動をとらない限り、苦しめるつもりも行動を制限するつもりもない。だが、完全に解放してやるつもりもない。拒否するなら俺のルートでもう一度市場へ出品するだけだ。次はレッパン以上の外道に買われるかもしれないが、それはお前らの運命だ」
こいつらの過去なんてどうでもいいが、奴隷として引き取った以上、相応に扱わせてもらう。もちろん裏外区の奴隷のように転売目的ではなく、俺の活動を支える補助者として働いてもらうのだ。別の飼い主に飼われるよりかは、数倍マシな環境だろう。それに、働いた分はちゃんと報酬も払うつもりだ。
「……分かった」
最初に刺青の若者が低く呟いた。
「な、あなた、やめて!」
女の一人が悲痛な声を上げたが、若者はそれを制してヴァレアスとバドを指差した。
「そこの二人、あんたらに惚れた。その強さを側で学びたい。あんたらに勝てる日が来るまで、このガキに従ってやるよ」
え? 俺は? 俺ではなく、この二人なのか。
続いて、岩石のような大男もふんぞり返ったまま鼻を鳴らした。
「俺も飲もう。どうせ奴隷から解放されても、傭兵として野垂れ死ぬか、匪賊になるかの二択だ。何より、こんな化け物二人を従わせてるあんたに、少しばかり興味が沸いた」
二人が口を開ける。俺はウルガを這わせ、それぞれの胃袋へ寄生させた。
「……私も、飲む」
金髪の少女がおずおずと手を挙げる。
「ミーシャ! なんでっ」
「この人はまだ子供。あいつみたいに毎日夜伽を強要することもないわ。それに……私達に興味なんてないよ。そんな目をしてる」
小さい声だが、少女――ミーシャは俺の目を見つめ、強い意志を宿してハッキリと答える。
「そんなの分からないじゃない! 男なんて皆一緒よっ。どうせこいつも、今は余裕ぶってるだけで、そのうちっ」
東洋風の黒髪の女――カナが、涙を流して悲痛に叫ぶ。
「……カナ、落ち着け。私達に選択肢はない。それに、他の貴族に買われたら、またあの地獄のような日々がっ」
褐色の女は唇を噛み締め、微かに震えながら呟く。
興味もない過去をダラダラと並べ立て、悲劇のヒロインを気取って被害を訴える女たち。その耳障りな声に俺の内でイライラが募り、思わず舌打ちを鳴らす。
「悲劇のヒロインごっこはもういい。あまり時間がないんだ。そこの二人、口を開けろ」
俺の拒絶を孕んだ声に、褐色の女とミーシャが目を閉じながら口を開ける。二人にウルガを送り込み、寄生を完了させた。
「お前」
俺は、最後に残った前世の俺と同じ黒髪のカナを指差した。
「お前の過去とかレッパンの性癖を聞くつもりもないし、心底どうでもいい。まだ自分に拒否権があると思ってるなら、増長し過ぎだ。嫌なら今すぐここを出て、レッパン以上の変態に一生飼われてろ」
俺はただ淡々と告げる。女のヒステリーに付き合っている暇はない。
不意に、俺の脳内に届くウルガの反応が変化した。ガリアスの動きが止まった。おそらく、そこが奴のアジトだろう。
「ま、まって! 申し訳っ、ありません……!」
カナが震えながら口を開ける。最後の一匹を飲み込ませ、ようやく茶番が終わった。
「一度だけ説明する。俺達は今からガリアスという男を斬獲しにいく。既に居場所は突き止めた。あとは捕まえるだけだが、そこの三人」
俺は女たちに視線を向ける。
「戦えるか?」
「あぁ。私は元々戦士だったからな。武器さえあれば戦える」
褐色の女が、戦士の眼光を取り戻して答える。
「私は、ごめんなさい。生活魔法と、少しの回復魔法しか使えません」
ミーシャが申し訳なさそうに肩をすくめた。
「いや、いい。十分だ」
貴重なヒーラーだ。役に立たない訳がない。最後に黒髪の女、カナが俯きながらも口を開いた。
「私も、低ランクの攻撃魔法を少し……あと、“鼓舞”のスキルを持ってるわ」
「え! マジで!?」
嘘だろ。まさかの「鼓舞」持ちか。
魔力リソースを消費することなく、味方のステータスを底上げし続けるパッシブスキル。バフ系の最上位に位置するその希少なスキルの名に、俺は思わず叫んでしまった。
奇襲をかけるには、これ以上ない「夜の静寂」が訪れている。
俺はバドに、近接戦闘を得意とする三人のための装備を急ぎ用意させた。その間に、俺自身もいつものフードを深く被り、自身の装備を確実に纏っていく。
「バド、ヴァレアス。正直、現場の指揮に関しては、お前ら二人に任せるのが最も適正だ。俺は後方から補助に回るから、戦況を見て彼らをうまく動かしてくれ。頼むぞ」
これは失敗の許されないミッションだ。子供の身である俺がでしゃばるより、実戦の酸いも甘いも噛み分けたこの二人に現場を預ける方が、確実に目的を遂行できる。
二人は短く頷き、阿吽の呼吸で了解の意を返した。
そんな俺たちのやり取りを、岩石のような大男――ズマが、意外なものを見るような目で眺めながら呟いた。
「……貴族の坊っちゃんが、自ら死地に、それも前線に出るのか? おまけに、自分より格下の俺たちの補助に徹するとまで抜かすとはな」
皮肉というよりは、本音から出た感心の混じった呟きだった。
「当たり前だろ。自分の配下が血を流しているのを、高みの見物で眺めているだけの奴なんて、クソ以下のゴミだ」
他の貴族がどうあろうと知ったことではない。俺にとっては当然の理屈を、ただ吐き捨てるように呟いた。




