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第59話:新たな奴隷

 俺はレッパンに注目が集まる喧騒に乗じ、胃の腑の底から一匹の異形を呼び戻した。


 せり上がってきた鳳仙蜂ホウセンバチを口内へ送り、唇の隙間から静かに解き放つ。同時に、会場中に散らせていたウルガたちへ最速でガリアスへ収束するよう命じた。


 静かな羽ばたき。


 ほとんど無音で飛び立った蜂は会場の闇と同化し、他人の視線を避けながらガリアスへと向かう。


 しかし、その途中。一人の男が鳳仙蜂の軌道上に割り込んだ。


 スキンヘッドの頭頂部から首筋、さらには剥き出しの腕にかけて、禍々しい刺青タトゥーを全身に這わせた巨魁の男だ。岩石のような筋肉を震わせ、手にしたナイフで鳳仙蜂を切り付ける――が、当たる筈ない。


 その速度は、鍛え抜かれた人間であっても追える速さを超えている。


 男の驚愕を置き去りにし、鳳仙蜂はガリアスの首元へ肉薄。尾の針を射出した。


 だが、ガキンと何かに弾かれる硬質な音が響く。


 チッ。常時展開型の防御魔法か。

 鳳仙蜂を視認したガリアスは視線を鋭くし、また闇へと戻っていく。


 隣でバドが立ち上がろうとするが、俺はそれを手で制した。


「……アホ共が」


 鳳仙蜂は、あくまで注意を引くための囮に過ぎない。

 奴らが空中に気を取られた刹那、影から滑り込ませた数匹のウルガを、ガリアスとあのスキンヘッドの足元に張り付かせた。


 直後、ウルガたちに「仮死状態」を命じる。


 代謝を極限まで落とし、熱も魔力も発さないただの物質へと擬態させる。生体反応を消し去ったこれならば、どれほど優れた魔力探知であっても、靴の裏や衣服の裾に付着した小さな異物を捉えることはできない。


 イグナス家の三男が、こんな場で奴と戦闘するわけにはいかないだろ。

 

 まずは奴の潜伏先を特定する。一度戻って装備を整え、確実に息の根を止められる状況を作ってからだ。


 あ、やべ。レッパンの事忘れてた。


 慌てて振り向くと、会場の救護班が必死の形相でレッパンに治癒魔法を施しているところだった。だがまぁ、手遅れだろう。外傷を塞いだところで内側で暴れるウルガの侵食は魔法の範疇を超えている。


 ふと、彼の周囲に控えていた奴隷たちに目を向けた。彼らは一様に、溢れんばかりの笑顔を浮かべていた。ある者は歓喜に肩を震わせ、ある者は静かに涙を流しながら、眼前の豚野郎が死に絶える瞬間を、救いのように待ち望んでいる。


 そしてその望み通り、終焉は訪れた。


 レッパンは激痛のあまり、自身の爪で全身をズタズタに傷つけ、絶叫すら上げられぬまま、内側からウルガに食い荒らされて事切れた。自傷と異形による蹂躙。ごめんな、レッパン。お前の死に様は、誰にとっても最高の余興だった。


「失礼。私はイグナス公爵家、ゼン・イグナスだ」

 混乱する会場の中、俺は傲慢なほど堂々とした足取りで歩み寄った。


「バルドゥール王国の重鎮が帝国の地で果てるとは、実にお労しい。不慮の事故とはいえ、これだけの数の奴隷を放り出せば更なる混乱を招く。当家の名において、この者たちは私が一時的に管理・保護しましょう。異論はないな?」


 不測の事態に、救護班やオークション側の人間たちは苦渋の表情を浮かべた。だが、帝国の名門であるイグナス家の三男が収拾をつけると言い出した以上、逆らえる者はいない。俺はその混乱を最大限に利用し、レッパンの所有物であった奴隷たちを半ば強引に連れ去った。


 オークションはここで一時中断。参加者たちは会場の外へと強制的に追い出された。


 俺とバドは、連れ出した六人の奴隷を引き連れて帝都の夜道を歩く。


 女が三人。一人は絹のように滑らかな黒髪を腰まで伸ばし、切れ長の瞳に知的な、だが絶望の色を宿した東洋風の美女。


 もう一人は褐色の肌に野性的な輝きを宿し、薄布から覗く四肢がしなやかな豹を思わせる女戦士。


 最後の一人は、まだ幼さを残した顔立ちながら、その豊満な胸元を露骨に強調した衣装を着せられた、痛々しいほど可憐な金髪の少女。


 男も三人。いずれも闘技場での酷使を物語るように、その肉体には無数の古傷が刻まれている。岩石のような厚い胸板と丸太のような腕を持つ、寡黙で巨大な男。


 全身に蛇を思わせる複雑な刺青を施し、常に周囲を射抜くような鋭い眼光を放つ若者。


 そして、かつては高潔な騎士だったのか、全身を痣と汚れに塗れさせながらも、その体格と佇まいに隠しきれない威圧感を漂わせている屈強な中年の男。


 彼らは未だ信じられないといった様子で、呆然と、あるいは次に訪れるであろう惨劇に怯えながら、俺の後ろをついてくる。


 そこへ、傷だらけになったヴァレアスが姿を現した。その手には、今大会の賞品である魔嚢が握られている。


「……これで満足か?」


 かなり疲弊した様子で、彼は魔嚢を突き出してきた。


「え、マジかよ! ありがとうヴァレアス!」


 俺は年相応の喜びを浮かべてそれを受け取った。どうやら彼は、オーガのお面を被った謎の闘士として、この表の闘技大会で一躍有名人になったらしい。


「なんでお面をつけたままなんだ?」

 俺がそう尋ねると、彼はひどく面倒くさそうに吐き捨てた。


「……いちいち素顔を晒して、後をつけ回されるのが一番癪だからな」


 なるほど、彼らしい。俺たちは新たな所有物となった六人を引き連れ、静まり返った帝都を抜け、迎賓館へと帰宅することにした。


 夜の静寂に包まれた帝都を抜け、俺たちは重厚な石造りの迎賓館へと帰り着いた。


 深夜の帰宅に騒ぎ立てる者はいない。俺は連れてきた六人を、そのまま自身の私室へと集めた。


 部屋の扉が閉まると同時に、室内の空気は一気に刺々しいものへと変わる。奴隷たちは極限の警戒を露わにし、女たちは互いの身体を寄せ合い、守るようにして俺を睨みつけていた。彼らにとって、目の前にいるのが子供だろうが関係ない。帝国貴族というだけで、それは憎悪と恐怖の対象でしかないのだ。


 レッパンにどのような陵辱りょうじょくを受けてきたかは、俺の知るところではないし、興味もない。だが、これほど状態が良く、即戦力として期待できる「資産」は、裏外区の路地裏をどれほど探しても見つからないだろう。


 俺は無言のまま、それぞれの首に嵌められた忌々しい首輪へ手を伸ばした。


 指先から滑り出させたウルガを首輪の隙間へと這わせる。異形が吐き出す強力な酸性の唾液が、服従の印を刻んだ魔導回路を音もなく融解させ、金属の環を内側から破壊した。


「……え?」


 誰かが呆然と声を漏らした。


 呪縛が解かれた。その事実を理解した瞬間、二人の男――刺青の若者と、岩石のような大男が弾かれたように動いた。


 殺意を剥き出しにした若者が、最短距離で俺の喉笛を狙い、大男が巨体を生かして俺を組み伏せようと突進してくる。だが、その攻撃が届くことはない。


 若者の手首が空中で静止した。バドが音もなく背後を取り、その腕を逆方向に捻り上げている。


「がっ……あぁッ!」


 一方、突進した大男の視界からは俺の姿が消えていた。代わりに目の前に立ちふさがったのはヴァレアスだ。お面の下から冷徹な眼光を放ち、大男の鳩尾へ鋭い膝蹴りを叩き込む。


「……ぐ、はっ……」

 大男は内臓を揺らされ、崩れるように膝をついた。


「殺しますか?」

「殺すか?」


 淡々と問いかけてくるバドとヴァレアスを、俺は手で制した。


 女たちは悲鳴を押し殺し、避難するように部屋の隅へと逃げ惑っている。


「いいなお前ら。それだよ、それ。自由になった瞬間、俺を殺すか人質に取るという最良の選択肢を迷わず選ぶ……最高だ」


 俺は満足げにパチパチと拍手を鳴らした。

 地面に這いつくばったまま、岩石の男が血の混じった唾を吐き捨て、こちらを睨みつける。


「……クソガキが。……慈悲のつもりか? 遊ぶつもりなら、さっさと殺せよ」

「死にたいなら望み通りにするが。お前は今、死にたいのか?」


 感情を排除し、ただ無機質に問いかける。

 予想外の温度の低い返答に、男の背中に冷や汗が流れるのが分かった。


「あの豚野郎にどういう扱いをされていたかは知らないが、俺は奴隷であっても、有能ならば人として、それなりの待遇で扱うつもりだ。少なくとも、再びあの不細工な首輪を嵌めるつもりはない」


 まぁ、ウルガによる精神的な縛鎖ばくさという、それ以上に逃れられない拘束具はあるが、こいつらにはまだ伏せておこう。


「死にたい奴、あるいは他の無能な貴族に飼われて一生を終えたい奴は、今すぐ望み通りにしてやる。だが、俺の下で働けば相応の報酬と、この帝国での立場を用意すると約束しよう。男も女も関係ない。俺は常に、使い勝手のいい有能な駒を求めているからな。……さあ、どうする? 檻に戻るか、俺の牙になるか。選べ」


 ていうかそろそろお面とれよ、ヴァレアス。

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