第58話:闇のオークション
オークションの開幕を告げる、高く澄んだベルの音が会場に鳴り響いた。舞台中央に立った初老の司会者が、仰々しく両手を広げて深く頭を下げる。
「皆様、今宵はようこそお越しくださいました。帝国が誇る秘宝、そして珠玉の逸品が一堂に会するこの宴に、皆様をお迎えできたことを最大限に感謝いたします。さて、競りへと移る前に、改めて幾つかの注意事項を申し上げます」
朗々とした声が、静まり返った客席を撫でていく。
「オークション開催中の途中退場はご遠慮願います。また、会場内での武闘行為は厳禁。いかなる理由があろうとも、秩序を乱す者には相応の処置を下させていただきます。落札の際は、お手元の魔導具に金額の入力を。他のお客様への詮索や直接の交渉も固く禁じられております。……それでは、至高の競り合いをお楽しみください」
なるほど。当たり前といえば当たり前だが、よく考えられている。匿名性を守らせつつ、力による強奪を未然に防ぐ。その徹底ぶりが、この場の格式と危険性を物語っている。
俺は堂々と席に座り、周囲の参加者たちを観察した。
ガリアスの姿は見当たらない。だが、参加者の中で最も有名人らしき人物が一際不快な存在感を放っていた。バルドゥール王国のレッパン公爵だ。
脂ぎった顔を歪め、首の境目が判別できないほど肥大した肉を椅子に押し込んでいるその姿は、まるで腐肉に群がる巨大な蛆虫だ。狡賢そうな細い目が、値踏みするように会場内を這い回っている。
数多の奴隷を使役し、男女問わず玩具のように犯し潰すという噂の絶えない糞野郎。帝国とバルドゥール王国は、国境を接して常に睨み合う『硝煙の凪』、いわゆる冷戦状態にある。それなのに、敵国である帝国へこれほど堂々と入国するとは。
公爵の周囲には、首輪の魔導具をつけた屈強な奴隷と、生気のない目をした美人たちが数人、飾り物のように侍っている。さらに、主人の性根をそのまま写し取ったような、卑しい目付きの騎士が数人護衛として控えていた。
他にも帝国の有力者たちが顔を揃えている。財務局の中枢に座る、剃刀のように鋭い目をした中年の貴族。その隣には、軍部に太いパイプを持つ豪商。誰もが、腹の底では他人の喉笛を食い破ることしか考えていない。
司会者が再び壇上の中心へと進み、大仰な動作で背後のカーテンを引かせた。
「では、第一の供物をご覧に入れましょう。こちらは今や封鎖された伝説の迷宮より発掘された、古代の遺物――『万象の泥』でございます」
運び込まれたのは、鈍く輝く台座に鎮座した、一見するとただの湿った灰色の塊だった。
「この粘土は所有者の意思に応じて自在に形状を変え、魔力を注ぐことで自律型の泥人形として機能いたします。最大の特徴はその再生能力。いかに破壊されようとも、所有者の魔力が続く限り即座に元の姿へと戻る、不滅の盾となります」
司会者が実際に少量の魔力を込めると、粘土は生き物のように蠢き、鋭利な刃の形へと変化してみせた。
会場から感嘆の吐息が漏れる中、俺はその段階で興味を失った。そもそも起動の前提となる魔力を持ち合わせていない俺にとっては、再生能力以前に、ただの動かない泥の塊でしかない。
まぁ、まだ序盤だ。様子見としては妥当なところだろう。
「開始価格、白金貨三枚より!」
入札を告げる魔導具の起動音が、会場のあちこちで電子的な不協和音を奏で始める。
三枚半、四枚、五枚――。
この世界の最高額硬貨に相当する数値が、魔導具の盤面で冷酷に跳ね上がっていく。やがて先ほどの豪商が競り落としたところで、最初の落札を告げるベルが鳴った。
落札が決まるたび、手元の魔導具に「血債小切手」が差し込まれ、発行者の魔力波形による認証が行われていく。魔力を持たない俺がこの場に参加できているのは、グラドが発行した「イグナス家の実印」付きの特殊手形を事前に提出しているからだ。金さえあれば、魔力の有無すら不問に付される。それがこの闇の競売のルールだった。
そこからは、堰を切ったように闇の品々が次々と運び込まれた。
触れた者の精神を徐々に蝕むという、曰く付きの呪具、異国の短剣。
帝国宝物庫から盗み出されたとされる、伝説の画家に描かれた幻の風景画。
さらには、数百年前に滅びた王国の王妃が身につけていたという、大粒の深紅の宝石。
入札と落札が繰り返されるたびに、会場内の空気は目に見えて変質していった。
整然としていたはずの空間には、隠しきれない欲望の熱が充満し、参加者たちの吐息が荒くなっていく。白金貨数十枚分の「血債」が一瞬で飛び交う快楽が、彼らの理性を少しずつ、だが確実に削り取っていた。
ビクッ。
不意に、胃袋の奥が不快に疼いた。
会場の裏側へ潜り込ませるように向かわせた数匹のウルガとのパスが途絶え、消滅したのだ。おそらく強力な遮断結界が張られているのだろう。流石にこの規模の裏オークションともなれば、鼠一匹の侵入も許さないほど警備が徹底されている。
俺がこの場にいる目的は、入札そのものではない。ガリアスを捕まえるのが役目だ。手配書で外見は把握しているが、あのような食わせ者が素顔のままこの場にいるとは思えない。変装などいくらでも手段はあるはずだ。
さて、どうやってあの男を誘き出すか……。
俺が思考を巡らせていると、会場がそれまでとは質の違う刺すような喧騒に包まれた。
どうやら、ここからが今宵の本命らしい。
「皆様、長らくお待たせいたしました。ここからは、いわば『一人目』の出品でございます」
司会者の高揚した声と共に現れたその姿に、客席から「おぉ!」という驚愕の声が漏れた。
重厚な手錠と鎖に繋がれ、引きずり出されるように現れたそいつは――耳長族だった。
先の戦争以来、帝国とは互いに不可侵条約を結んでいるはずの種族。それを捕らえ、奴隷としてオークションに放り出す。なんという唾棄すべき、人の道に外れた冒涜だろうか。
そのエルフは、金髪というよりは白に近い、透き通るような銀の髪を乱していた。噂に違わぬ、浮世離れした美貌。そして、肢体のラインを露骨に強調した薄布を纏わされながらも、その瞳だけは誇りを失わず、会場にいる全ての人間を呪い殺さんとばかりに鋭く睨みつけている。
その姿を見た瞬間、あのレッパン公爵が、汚らしい口から唾を飛ばしながら立ち上がった。
「白金貨二千枚だ!! ガハハ、見ろ、あの強情そうなツラを! あの尖った耳を掴みながら、絶望に泣き叫ぶまで犯し抜いてやる! プライドの高いエルフの処女を壊す感触は、さぞかし格別だろうなぁ!!」
肥大した腹を揺らし、下卑た欲望を剥き出しにして吠える公爵。会場の熱気は、いまや吐き気がするほどの悪臭を放ち始めていた。
俺は隣に控えるバドに対し、誰にも聞こえないほどの小声で耳打ちをした。
「なぁ、バド。あの豚野郎が、もしこの帝国の地で死んだら……後始末はややこしいか?」
バドは一瞬、俺の問いの真意を測りかねるように目を瞬かせた。突拍子もない内容ではあったが、彼はすぐに俺の意図を察し、表情を崩さぬまま淡々と答えた。
「……確かに、他国の公爵ともなれば国際問題になりかねませんが、ここは法の外にある闇の競売場。バルドゥール王国の重鎮が敵国の地下オークションで命を落としたなどと露呈すれば、困るのは向こうの王室でしょう。結論を申し上げれば、多少の手間は増えますが、ゼン様のお好きなように。私がすべて、なかったことにいたします」
その言葉だけで十分だった。
このまま競りが終わるのを待っていては、裏方に潜むガリアスは姿を見せないだろう。奴を引き摺り出すにはこの場に致命的な混乱が必要だ。
俺は思考を同期させ、あらかじめ会場の至る所に放っておいたウルガたちへ合図を送った。
影に潜んでいた異形たちが、一斉にレッパン公爵の足元へと集束する。這い上がった数匹が、奴の肥大した肉の隙間へと音もなく侵入を開始した。
「……ん、ぬう? なんだ、この痒みは……! 貴様ら、掃除が行き届いていないのではないか!」
レッパンが苛立たしげに、自身の丸太のような首や腹を掻きむしり始めた。だが、真の地獄はここからだ。
俺は一匹の幼体を、奴の尿道から体内へと滑り込ませた。
「ぎ、いぎ、あ、あああああああああああッ!!?」
会場の喧騒を切り裂き、耳を刺すような絶叫が響き渡った。
一転して、すべての視線がレッパン公爵の一団へと注がれる。公爵は椅子から転げ落ち、股間を抑えて無様にのたうち回った。
体内に潜り込んだウルガは、粘膜の上を這い回りながら、その鋭利な脚で内壁を刻みつけていく。幼体とはいえ、その牙と脚には既に神経を逆撫でする毒が宿っている。死ぬには至らないが、内側から生身の肉を弄られ、鋭い爪で掻き毟られる激痛に、レッパンは泡を吹いて白目を剥いた。
この異常事態に、周囲の実力者たちは即座に席を立ち、自身の護衛に武器を構えさせた。会場に張り詰めたのは、欲望ではなく、殺気を含んだ警戒の念だ。
そして。
オークション会場の中央、出品物が置かれる台座の奥に広がる闇から、数人の人影が音もなく現れた。会場の秩序を守るための、主催者側の警備兵たちだ。
「――見つけた」
その中の一人。髪型や服装こそ変えてはいるが、その隙のない身のこなしと、獲物を冷徹に見定める眼差し。
間違いない。ガリアス・ヴァン・ドレンだ。
ガリアスの合図と共に、彼の麾下である「針鼠」の連中が、混乱の元凶であるレッパンの元へと殺到した。




