第57話:オークションとチートアイテム
水の都ベストバレーの中央に鎮座する、巨大な円形闘技場『グラキエス・コロシアム』。
それは切り立った渓谷の断崖を直接削り出して造られた、都の誇る最大級の建造物だ。五万人を優に超える観客を収容するすり鉢状の観客席は、中心部の運河から引き込まれた水が周囲の堀へと滝のように流れ落ちる構造になっており、轟々という水音が観客の歓声と混じり合って地響きのように鳴り響いている。
今回のオークションは、この華やかな舞台で夕刻に催される闘技大会の熱狂が冷めやらぬ頃、その地下に広がる巨大な空間で行われるという。
だが、潜入を前に俺の興味を強く惹きつけたのは、その夕方の大会で掲げられた優勝賞品だった。
「魔嚢だと……!?」
バドが仕入れてきた情報に、俺は思わず声を上げた。
スロンをプレイしていた頃は、当たり前のように使っていた。というより、ただのシステム上の仕様だった『インベントリ』という概念。
もちろん重量制限こそあったが、当時は誰もが当然の権利として、様々なアイテムをウィンドウ越しに取捨選択し、瞬時に出し入れできていた。だが、ここは現実だ。物理法則が支配するこの世界において、山のような荷物を平然と持ち運ぶなど、一部の特殊な魔導を除けば不可能だと割り切っていたのだが。
「なるほどな……。あの物理法則を完全に無視した収納術に、この世界のリアリティを当てはめれば、そうなるのか」
魔嚢。
内部に空間拡張の術式が組み込まれた、帝国内でも滅多に市場に出回らない極めて希少な魔導具だ。
ゲーム時代の利便性が、一つの物理的なデバイスとして具現化しているという事実に、俺の胸は高鳴った。もしあれが手に入れば、今後の戦略の幅は劇的に広がるだろう。
「絶対に手に入れるぞ。最優先だ」
俺の並々ならぬ気迫に、バドとヴァレアスが困惑の表情を浮かべた。
「……左様ですか。ですがゼン様、本来の目的はオークション会場への潜入と情報の確保にございます。大会に時間を割いて、肝心のオークションへの備えが疎かになっては本末転倒ではございませんか?」
「バドの言う通りだ。貴重な戦力を分散させてまで、その小袋に固執する理由が分からん」
二人の言い分は至極真っ当だ。だが、魔嚢はマジで欲しい。欲しすぎて堪らない。ゲーム時代のあのストレスフリーな環境を再現できる可能性があるなら、どんな無理を通してでも掴み取る価値がある。
そこで俺は、一つの案を提示した。ヴァレアスを闘技大会に参加させ、その間に俺とバドでオークションへの準備を整えるという作戦だ。
「しかし、俺はすでに死んだはずの存在だ。今は認識阻害の魔導具で目立たぬよう配慮してはいるが、あんな衆人環視の舞台に立てば、どこで足がつくか分からんぞ」
ヴァレアスがもっともな懸念を口にする。
「なら、お面を被って謎の戦士として参加すればいいだろ。正体を隠せば問題ない」
「お面だと……? 嘘だろ、そんな子供騙しを本気で言っているのか」
ヴァレアスは、心底嫌そうな顔をして眉間に皺を寄せた。俺はそんな彼に対し、年相応の子供のように「どうしても取ってきてくれ」と駄々をこねてみせる。
すると、横で見ていたバドが、静かな声でヴァレアスを挑発した。
「……もしや、負けるのが怖いのですか? 腕を失い、今の自分ではその程度の大会すら勝ち抜く自信がないと」
「ふん、そんな安い挑発に乗る俺だと思うか。……だが、まぁいい。この義手と新しい装備を試すには、格好の機会ではあるからな」
ヴァレアスは獰猛な笑みを浮かべ、参戦への意思を露わにした。
どの程度のレベルの大会かは分からないが、負けることは絶対に許されない。俺が微かな不安を顔に出すと、バドがそれを圧倒的な事実で払拭するように告げた。
「ゼン様、心配は無用です。あの男は、かつて数多の修羅場を潜り抜け、帝国最強の一角とまで謳われた帝国軍の元千人長。名もなき闘士たちが集う程度の大会で、遅れを取るような柔な男ではありませんよ」
確かにそうだ。俺は知らず知らずのうちに、彼の肩書きと、その背負ってきた実績を過小評価していたのかもしれない。
俺とバドは、ヴァレアスをエントリー会場へと送り出し、二手に別れて行動を開始した。
闘技場の外壁には強固な防護結界が張り巡らされており、遠隔から放った『虫』たちは見えない壁に弾かれてしまう。だが、俺という歩く苗床そのものが結界の内側へと侵入してしまえば、内側からばら撒く分には全く問題ない。
俺たちの目的は、闘技大会の熱狂に紛れることでも、観客席で高みの見物を決め込むことでもない。その地下で開催される闇のオークションへと続く道を見つけ出すことだ。
潜入の手がかりとなる「窓口」を探すべく、俺たちは喧騒に包まれた回廊を歩く。
事前にユーエンを拷問して吐かせた情報によれば、運営側の人間の中でも、首筋に「カラス」のタトゥーを刻んだ男がその案内役を担っているという。そいつを見つけ出し、特定の合言葉を投げかければ、奈落への扉は開くはずだ。
俺は歩きながら、人混みの中に潜ませるように『ウルガ』の幼体をばら撒いた。目に見えぬほど微小なそれは、行き交う観客やスタッフの影に潜り込み、俺の脳内へと周囲の動悸や体温の変化をリアルタイムで送信してくる。
さらに、念のために『ホウセンバチ』を数体放った。彼らは周囲の背景に合わせて体色を自在に変化させる擬態能力を駆使し、高い天井の梁や彫刻の隙間へと音もなく張り付いていく。
「……バド、見つけたぞ」
鼓膜に響く膨大な情報の中から、俺は即座にターゲットを捕捉した。
それは人混みの中にありながら、血生臭い裏社会の住人とは到底思えない、春風のように爽やかな微笑みを浮かべた女性だった。淡い若草色のドレスを優雅に着こなし、知的な眼鏡の奥で柔和に目を細めている。だが、彼女が髪をかき上げた瞬間に露わになった白皙の首筋には、獲物を狙うかのように鋭い嘴を持つ「カラス」の刺青が刻まれていた。
俺は先行させた『ウルガ』を彼女のドレスの裾へと這わせ、そのバイタル情報を掌握する。心拍、体温、魔力の揺らぎ。すべてが静止した水面のように凪いでいる。
俺は子供らしい無邪気な笑みを浮かべて歩み寄り、至近距離で彼女だけに聞こえる囁きを投じた。
「――月は満ち、烏は水底の夢を見る」
合言葉を耳にしても、彼女は動揺する素振りすら見せなかった。それどころか、俺が羽織っているイグナス家の家紋が刺繍された豪華な外衣を値踏みするように観察し、一層深く、艶やかに微笑んだ。
「おや……。まさかイグナス家の方自ら、このような濁った場所へ足をお運びいただけるとは。運営一同、これ以上の光栄はございませんわ」
だが、家柄だけで通してくれるほど、この「窓口」は甘くない。俺は無言のまま、あらかじめ用意していた献納金の詰まった袋を、彼女の手元へと滑らせた。
ずっしりとした金貨の重みを確かめると、彼女は満足げに頷き、指先で背後の壁に触れる。
刹那、精巧な擬態魔法が霧散するように剥がれ落ち、そこには壁の一部と同化していたはずの、重厚な黒鉄の扉が姿を現した。
「ようこそ、至高の闇市『黒金の饗宴』へ。どうぞ、存分に愉しまれますよう」
重厚な黒鉄の扉が音もなく開き、地下へと続く冷ややかな階段を下りきると、そこには地上の喧騒を塗りつぶすほどの、濃密な熱気が渦巻く巨大な広間が広がっていた。
会場の壁面には、大型の鏡面魔導具『万華鏡』がいくつも埋め込まれ、地上の闘技大会の様子が鮮明な映像として映し出されている。まだ夕刻ということもあり、オークションの本格的な開始を待つ者たちは、酒を煽りながらモニター越しの殺し合いに興じていた。
ふと視線を上げると、そこにはオーガのお面で顔を隠し、鈍く輝く魔導義手を剥き出しにした男が、一回戦の相手を無慈悲に血祭りにあげている姿が映っていた。
「おいおい……あんまり派手に暴れてくれるなよあいつ。目立ちすぎだ」
思わずため息が漏れる。正体を隠すための「謎の戦士」という設定が、その圧倒的な武威のせいで逆に不気味な存在感を際立たせている。
だが、この地下空間に集っているのは、そんな地上の余興を鼻で笑うような、帝国の深部に根を張る錚々たる人物たちだった。
最前列の特等席に陣取っているのは、顔を扇で隠しながらも、その身に纏う絹の光沢だけで地位が知れる高位貴族たちだ。彼らは剥き出しの殺意すら娯楽として消費し、隣に控えた奴隷に耳打ちしては、優雅に魔導ワインを傾けている。
その脇を固めるのは、北方の鉱山利権を一手に握るという大富豪や、大陸全土に物流網を広げる大商人たち。彼らの目は鋭い天秤のようになっており、商品としての価値を測るその視線には、一分の慈悲も感じられない。
さらに異彩を放っているのは、壁際に屯している冒険者らしき一団だ。全身を傷だらけの魔導鎧で固めた重戦士や、外套の奥から死の臭いを漂わせる老練の魔導士。彼らは貴族のような優雅さこそないが、いざとなればこの場にあるすべてを力で奪い取りかねない、抜き身の剣のような危うさを放っていた。
他にも、顔を深くフードで隠した暗殺者風の輩や、異国の言葉を操る密輸業者まで、まさに『黒金の饗宴』の名に相応しい、帝国の「毒」が凝縮されたような顔ぶれだった。
俺は深くフードを被り、内臓が焼け付くような感覚を堪えながら、更なる幼体を胃袋で孵化させた。
「……ゴホッ、ウッ」
咳き込むフリをして口元を抑え、指の隙間から夥しい数の『ウルガ』を会場へとばら撒く。
だが、この場に集う連中はやはり一筋縄ではいかなかった。カサカサと微かな音を立てて死角へ潜り込もうとする幼体の動きを、一部の者たちは明確に捉えていた。
「……チッ、羽虫か」
老練な冒険者が不快そうに舌打ちし、足元の幼体を無造作に踏み潰す。周囲に控える用心棒や騎士たちの鋭い視線が会場の隅々にまで走り、異分子の存在を許さないという無言の圧力が交差する。
それでも俺は止まらなかった。視界が点滅し、額から脂汗が流れ落ちるまでHPを削り続け、膨大な数の幼体を配置してやった。
「……無茶が過ぎますが、ここまで包囲網を築けば、我々にとって圧倒的に動きやすい盤面になりますね」
傍らのバドが、俺の顔色を窺いながらも、その徹底した布陣に感心したように呟いた。
「だろ? いざとなれば、そこに座っているステータスの低い貴族や有象無象の雑魚共を栄養にして、一気に成長させてやる。殺した死体に卵嚢を産ませて、内側から食い破らせるのもありだな」
俺は拭った血混じりの唾を床に捨て、冷徹な思考を巡らせる。
この『黒金の饗宴』という名の箱庭は、すでに俺の苗床と化していた。




