第55話:ベストバレー
ヴァレアスとバド。そしてギレルとエラー。
正直なところ、これほど強力なカードが手元に揃うとは計算外だった。かつての英雄、冷酷な実務家、そして帝都の闇を熟知する者たち。左記のような盤石の戦力を短期間でまとめ上げられたのは、間違いなくバドの功績だ。奴のコネクションと目利きがなければ、現状はもっと脆弱だっただろう。
俺はバドに向き直り、素直な感謝を口にした。
「バド、感謝する。お前がいなければ、これほどの布陣は整わなかった」
すると奴は、本気で面食らったような顔をして「……どこか頭でも打ちましたか?」とほざきやがった。クソが。礼を言って損をした。
ヴァレアスは相変わらず、左腕の重みを確かめるように複雑な面持ちで立っている。だが、生憎と今の俺には、奴の繊細なメンタルにまで気を使ってやる余裕はない。
いよいよ明日は闇のオークション『黒金の饗宴』の当日だ。
裏外区には、俺のフード姿を描いた似顔絵がいたる所にばら撒かれている。そんな状況で、わざわざ描き殴られた通りの姿で潜り込むのはあまりにも愚行。だから今回はあえて表舞台の顔を使う。
イグナス家の三男、ゼン・イグナスとして堂々と正面から参加する。
学校には「爵位継承に関わる領地の公務」を手伝うという名目で、一週間ほどの休暇申請を出してある。ヴィクトリア教官は疑わしげな目をしていたが、バドが適当に書類を整えてくれたおかげで無理やり通させた。
平民区に借りたアジトの一室、俺たちは円卓を囲み、最終的なプランを共有する。
「ギレルとエラーは引き続き、裏外区で奴隷の管理と販売を統括しろ。供給を止めるな。バドとヴァレアスは、俺の護衛としてオークション会場へ随行してもらう」
俺たちの目的は二つ。
帝都での商いを安定させ、俺の資産を死守すること。そして、オークションの場でガリアスを確実に捉え、奴の全てを食い尽くすことだ。
各自、これまで稼いだ金に物を言わせ、帝都でも最高クラスの武装と魔導装具を新調させ、乾坤一擲の態勢を整えた。それぞれの獲物も、持ち主の殺意に応えるべく研ぎ澄まされている。
さらに保険として、裏外区の影にはウルガの群れを配置した。俺のスキルによって支配・調整された虫共は、ギレル、エラー、およびウィッキーの指示には絶対に従うよう徹底させてある。
「さあ、始めようか。ガリアスが築き上げた砂の城を、一気に踏み潰してやる」
俺は冷たく言い放ち、手元の地図を握りつぶした。
翌朝。俺たちは帝都の特別発着場から、通常の移動手段では不可能な速度で西へと向かった。
今回手配したのは、イグナス家の伝手ではなく、帝都の富裕層が天文学的な対価を払って利用する民間の超高級移動手段――『翼竜牽引車』だ。
通常の馬車なら数日は要する「水の都」ベストバレーまでの道のりを、訓練された双頭の翼竜に引かせることで、わずか半日にまで短縮する。金さえあれば、時間すらも買い叩けるという特権の象徴である。
外装は、高速飛行時の風圧を逃がす流線形のフォルムに、鏡面磨きが施された深紫の装甲。どこにも家紋が入っていないのは、匿名性を重んじる闇の富豪たちが好む仕様だからだ。だが、その無機質な外見に反して、細部には魔導による姿勢制御機構が組み込まれており、空飛ぶ宮廷と呼ぶにふさわしい威容を誇っている。
内装はさらに度を越していた。気圧や気温の変化を完璧に遮断する多重障壁に加え、座席には最高級の魔獣の皮革が贅沢に使われ、座る者の体温に合わせて常に最適な温度を保つ機能まで備わっている。中央の卓には、空の旅を彩る高級酒と、一口サイズの精緻な料理が並べられていた。
御者台で手綱を握る、腕利きの操縦士が伝声管越しに声を上げる。
「ゼン様。翼竜の魔力同調、完了いたしました。これより気流の安定した高度まで一気に上昇します。ベストバレー到着まで、どうぞ最上の空の旅をお楽しみください」
ギャリィィ! と翼竜が魔導を介した鋭い咆哮を上げ、巨大な翼が力強く空を打った。
次の瞬間、胃が浮き上がるような浮遊感と共に、帝都の巨大な影が一瞬で足下へと遠ざかっていく。
雲海を突き抜け、どこまでも続く蒼天が視界を埋め尽くす。
俺は冷えた葡萄酒を僅かに口に含み、隣で神妙な顔をして座るヴァレアスと、対面で平然とナイフの手入れを始めるバドを見やった。
ギャンブルと風俗、そして剥き出しの強欲が渦巻く不夜城、ベストバレー。
ワイバーン・コーチの豪華な客室では、俺以外の貴族や高位商人、いわゆる「金持ち」と呼ばれる連中が、弛緩した笑みを浮かべて会話を楽しんでいた。
「やれやれ、この前のカジノでまた侯爵夫人に負けちまったよ。まったく、あの人はどこからそんな大金を…」
「ふふ、でもその分、昨晩の娼館では随分と派手に散財されたとか。新しい東洋の踊り子は気に入りましたか?」
「おやおや、聞いてくださいな。このルビーの首飾り、リシュリュー伯爵家が代々所有していた逸品なのよ。それをわたくしがたった一晩で競り落としてしまったの!」
「ほう、それはまた見事な。しかし、そちらのダイヤのティアラの方が、奥様の肌にはよく映えておられるかと……」
太り過ぎた男共は下卑た性欲と金の話を。宝石まみれの女共は、己の虚飾と自慢話を声高に語り合う。濃厚すぎる香水と、中身のない会話の応酬に、俺の頭は辟易としていた。
その時だった。
「失礼。その紋章、イグナス公爵閣下の……」
片眼鏡型の魔道具をカチャリと直し、俺に話しかけてきたのは、三十代半ばほどの男性だった。精緻な刺繍が施された絹の外套を纏い、薄い金髪は丁寧に撫でつけられている。細身だが品の良い立ち居振る舞いは、ただの金持ちではないことを示唆している。その瞳の奥には、鋭い計算高さが隠されているように見えた。
「……ええ。失礼ですが、あなたは?」
俺が貴族然とした口調で問い返すと、男は完璧なまでに優雅な礼で応じた。
「これは失敬。私はしがない商人、トーマ・ノーランドと申します。ささやかではございますが、このベストバレーで貿易を生業としております」
しがない商人、などと嘯くが、彼の身につけたモノクルも、指にはめた魔導指輪も、どれも一級品の魔道具だ。ただの金持ちではなく、この地の「顔役」の一人であることは明白だろう。
隣のバドは、表情を変えずに僅かに警戒心を強めた。ヴァレアスもまた、ソファの影にいつでも動けるようにポジショニングを変えている。
「まだお若いのに、ベストバレーへのご公務とは。公爵閣下の期待も厚いことと存じます。将来が楽しみですな」
「ええ。父から『若いうちに各地の空気を吸い、経験を積んでこい』と。公には言えませんが、この度の目的は、少々込み入ったオークションに欲しいものがありまして」
俺がそう言って煙に巻くと、ノーランドは納得したように頷いた。
「なるほど。あのイグナス公らしいですな。では、道中ごゆるりと。何か困ったことがあれば、いつでも私めをお呼びつけください」
そう言ってトーマ・ノーランドは優雅に会釈し、再び自分の席へと戻っていった。警戒心は解かない。奴がただの気まぐれで話しかけてきたとは思えなかった。
「奴の背後、あの二人組は只者ではないぞ」
ヴァレアスが低く、鋭い声で警告を発した。
彼の視線の先、モノクルの男――トーマ・ノーランドの背後には、微動だにせず俺たちを睥睨する男女の二人組が立っている。
その佇まいには、訓練された兵士特有の無駄のなさと、獲物を屠ることに慣れきった冷徹な殺気が混じり合っていた。
歴戦の騎士であるヴァレアスがこれほどまでに警戒を促すのだ、相当な実力者であることは疑いようがない。
「警戒するのはガリアスだけじゃなさそうだぞ」
ヴァレアスはそう言うと、自分の席に戻る。
俺は出された車内食をバクバクと食べながら、その警告を頭の片隅にとどめておくことにした。
供されたのは、帝国北部でしか獲れない霊鹿のローストを主菜とした、最高級魔導列車に相応しい贅を尽くした一皿だ。
琥珀色のスープには、貴重な魔力を豊富に含んだ白トリュフが惜しみなく削り入れられ、香りが鼻腔をくすぐる。低温でじっくりと火が通された肉は、ナイフを入れれば溢れんばかりの肉汁が滴り落ちた。付け合わせには、雪解け水で育った芳醇な甘みを持つ根菜のグラッセが添えられ、一級の栄養と味わいを提供している。
出発からしばらく経ち、衝撃もなく完璧な着地でベストバレーに到着した。
ゆっくりと降りると、そこはまさに水の都だった。
この街は、切り立った渓谷の合間に無数の運河が網の目のように巡らされた、帝国屈指の美観を誇る要衝である。
一歩足を踏み出せば、高低差のある地形を幾筋もの清冽な滝が白糸のように伝い落ち、弾けた水飛沫が陽光を反射して、街のいたる所に淡い虹の橋を架けていた。
運河の縁を彩る建物は、水に強い特殊な白磁の石材で統一され、底まで透き通るような青い水面と、気品漂う白い壁との対比が、訪れる者に神聖な神殿へ迷い込んだかのような錯覚を抱かせる。
水路を覗き込めば、静かな水音と共に「魔導舟」が滑らかに滑り、縦横無尽に巡らされた水の道を行き交う様は、まさにこの都の脈動そのものであった。
単なる景観の美しさだけではない。この豊かな水資源は、都の地下を巡る巨大な魔導回路の冷却と動力源を担っており、都市そのものが一つの精緻な魔導装置として、永きに渡り命を刻み続けている。
「すげぇ」
俺の口からは馬鹿みたいな感想しか漏れ出なかった。




