第53話:油断大敵
バドが調達した装備一式を確認したが、そのラインナップはストーリーの中盤までならなんとか踏破できるだろうという絶妙な水準だった。金に物をいわせて買い叩いたのがよくわかる。現状の俺たちが使う分には、これ以上ないほど十分すぎる代物だ。
そんな中、冒険者ギルドから俺宛に一通の書状が届いた。
内容を検めれば、アレスが依頼を完遂したとの報せだ。保管されている「受託品」を自ら引き取りに来るか、あるいは指定の場所へ配送するか、早急に返答が欲しいという。
あいにく士官学校の規律に縛られた今の俺には、私用で外歩きをするほどの休暇はない。俺は受領に必要な委任状を書き上げると、それをエラーに託して回収を任せることにした。
「すべて揃ったな」
これで手札は揃った。あとはオークションの詳細と、俺が参加できるかどうかだ。
今回開催されるのは、帝国全土から強欲な貴族と死の商人が集う闇の競売会――通称『黒金の饗宴』。
表の市場では決して流れない禁忌の呪具、亡国の秘宝、そして法に抵触する異種族の人身売買まで、あらゆる悪徳が取引される、帝国最大規模の非公式オークションだ。
エラーの報告によれば、この競売会は金さえ払えば誰でも参加可能という実利的な理念を掲げている。だが、その実態は露骨な選別だ。
参加しようにも、招待状を持たない者が会場の敷居を跨ぐには、膨大な額の「供託金」を事前に収める必要があるらしい。参加する権利を得るためだけの足切りとしての入場料だ。
「……嘘やん」
提示された数字に、思わず瞠目する。
一介の士官候補生が一生かけても拝めないような大金だが、払えない金額ではない。ガリアスという「実績」を捕らえ、俺の奴隷業を公的なライセンスとして確定させることができれば、この程度の出費は安い投資だ。
ただ、流石にウィッキーとその取り巻きだけでは戦力的にも、事業の運営面でも不安が残る。今後はギレルを用心棒として前線に、エラーを実務とウィッキーの補佐に据えて、奴隷商としての基盤を強固に展開していくつもりだ。
俺の顔が外部に漏れている可能性は低いが、偽装が完璧である保証はない。何より現状で収入源を絶たれれば、今後の計画における自由な立ち回りができなくなってしまう。
「なぁバド。他に使えそうな奴はいないのか?」
二人きりの深夜の鍛錬。激しい打ち合いの合間に、俺は息を整えながら問いかけた。
「……心当たりがないわけではありませんが、些か素行に難がある者ばかりでしてな。平時であれば、およそ関わりたくもない手合いですよ」
バドの答えは簡潔だった。強さについては問題ない。奴らが裏切るかどうかは、ひとえにこちらの支払う「金額」次第だろう。
そろそろ、あの男も合流していい頃合いだと思うが……まぁ、慌てずにいこう。盤面が整うのを待つのは嫌いじゃない。
「それにしてもゼン様。見違えるほどに強くなられました。かつて私が叩き直した頃が、まるで遠い昔のようです」
今しがた鼻血を流し、膝を震わせて肩で息をする俺に向かって、バドが真顔でそう告げた。
こんな情けない姿を見て皮肉を言っているのかとも思ったが、その瞳に宿る熱を見れば、本心からの言葉だということがわかる。
厳しい師に認められるのは、素直に嬉しいものだ。
……もっとも、そうやって褒められたところで、結局は深夜までみっちりと、死の淵を覗き込むような鍛錬を継続させられることに変わりはないんだがな。
そして、その日の深夜。冒険者ギルドから戻ってきたエラーが、夜の帳を纏ったまま俺の前に膝を突いた。
「主様。こちらがギルドに預けられていた品ですわ」
エラーが差し出したのは、厳重に封印された一つの木箱だった。アレスが調達したAランク災虫、ホウセンバチの死骸だ。蓋を開ければ、死してなお禍々しい殺気を放つ梟蜂の姿が、鮮度を保ったまま収められていた。さすがはオリハルコン級の仕事だ、損傷一つない完璧な素材と言える。これで空の支配も盤石になるだろう。
「それと主様。道すがら、このようなものを拾いましたわ」
続けて手渡されたのは、質の悪い紙に無造作に描かれた一枚の似顔絵だ。裏外区のいたる所にばら撒かれていたものらしい。そこには深いフードを被った子供の姿――紛れもなく、『深淵の死に装束』を纏った俺の姿が描かれていた。
「ガリアス、思った以上に余裕をなくしていますわね。主様があれほど派手な見せしめをなさったものだから、プライドをズタズタに引き裂かれてしまったようですわ」
エラーは楽しげに、勝ち誇るような笑みを浮かべてそう言った。
自身の部下を無惨に殺されたことに怒っているのか、あるいは名もなきガキに舐められたことに憤慨しているのか。どちらにせよ、こうして煽った敵が面白いように食い付いてくるのは、見ていて飽きない。
「……ぶひひっ。これだから馬鹿を煽るのはやめられないんだよ。顔真っ赤で草」
自然と口角が吊り上がり、俺は暗がりのなかで一人、ニヤニヤと笑みを深める。冷静な計算の上に成り立つ、最悪の挑発。相手が冷静さを欠けば欠くほど、俺が仕掛けた盤面は完成に近づく。
「エラー。ウィッキーはまだ、土壇場で非情になり切れていない。お前が手綱を握れ。奴隷共を人間として見るな。ただの『商品』として管理し、徹底的に使い潰せ。とにかく稼ぐことだけを考えろ」
「ふふ、心得ておりますわ。わたくし、金のためでしたら魔王にだってこの魂を喜んで売り飛ばしますもの」
エラーは優雅に、だが残酷な光を宿した微笑みを浮かべて深く一礼した。その背中を見送った後、俺は独り、重い足取りで自室へと戻る。
深夜の静寂に包まれた士官学校の寄宿舎は、まるで巨大な墓標のようだ。窓から差し込む月光が、訓練で負った火傷のような右腕の傷痕を青白く照らし出す。この痛みも、滴る血も、すべては強者へと至るための代償に過ぎない。俺は背負った業の重みを噛み締めながら、持ち帰らせた木箱を机に置いた。
俺は早速、梟蜂の死骸を取り出し、それを無造作に口へと運ぶ。
オオスズメバチと同等のサイズを持つその骸は、喉を通るにはあまりに大きく、刺々しい。乾燥した外殻が粘膜を傷つけ、鉄臭い体液が溢れ出すのを自覚しながら、俺はそれを強引に飲み込んだ。食道を無理やり押し広げる不快な異物感と、胃の腑に落ちる際の重苦しい感触。嘔吐感を殺意で抑え込み、俺は体内での「再構築」を待つ。
やがて、胃袋の中で蘇生した脈動が伝わってきた。
俺はゆっくりと口を開き、舌の上に乗った梟蜂を外へと突き出す。
そこに在ったのは、空を統べる残酷な機能美の結晶だ。
梟蜂――その外殻は『適応型光学迷彩』の特性を持ち、基本の灰色から周囲の景観、あるいは夜の闇へと自在にその屈折率を変化させる。視覚情報による捕捉は、至近距離であっても極めて困難だ。
細部を検めれば、その羽は単なる飛行機関ではない。高周波で振動する前翅と後翅は、分子結合を断ち切るほどの鋭利さを備えた『生体振動刃』と化しており、掠めるだけで重装歩兵の鋼鉄鎧すらも紙のように切り裂く。
そして、最も恐るべきはその尾部。
白銀に輝く毒針は、刺突後の脱落を防ぐための『逆棘構造』、いわゆる銛のような返しが幾重にも施されている。一度肉体に穿たれれば、対象の筋肉組織を破壊せずには決して抜けない絶望の楔だ。
そこから注入されるのは、魔導回路を物理的に腐食させる『壊死性神経毒』。
血管内凝固を誘発する出血毒と、魔力を神経伝達の阻害物質へと変質させる特殊酵素が混ざり合ったハイブリッド・ヴェノムだ。魔導士がその毒を浴びれば、己の魔力が己の肉体を内側から崩壊させる地獄を味わうことになる。
「……美しいな」
俺の指先に止まり、静かに羽を震わせる「空の処刑人」。ウルガが地上を這い、梟蜂が空を覆う。ガリアスの逃げ場は、この瞬間に完全に消失した。
このホウセンバチという災虫は、わずか数センチの体躯でありながら、その毒と機動力でワイバーンさえも死に至らしめる。もしこれが大規模な群れを形成して市街地を襲えば、小国程度なら一夜にして滅ぼしかねないほどの脅威度を秘めているのだ。
俺はこの個体を「母体」として定義し、早速その腹部から産み出された複数の卵を、再び自らの胃袋へと送り込み寄生させた。
だが、この「兵器」を維持し、急速に増殖させるには、想像を絶するほどのエネルギーとカロリーを消費する。俺の肉体は今、猛烈な飢餓感に支配されていた。
俺は体内のウルガたちを活性化させ、リンクした感覚を研ぎ澄ませながら、備蓄していた大量の食糧を机の上にぶちまけた。
もはや礼法もクソもない。俺は獣のような勢いで、厚切りの干し肉を何枚も纏めて口に放り込み、咀嚼もそこそこに飲み下した。脂の塊が喉を通り、胃の腑でホウセンバチたちがそれを貪り食う感覚が伝わってくる。
さらに、硬い黒パンをスープで流し込み、瓶詰めの果実を素手で掴んで口を汚しながら詰め込んでいく。豚のように、あるいは餓鬼のように。指先についた油を舐めとる暇さえ惜しみ、俺はただひたすらに、己の肉体を巨大な貯蔵庫に変えるべく食糧を貪り続けた。
食事の快楽と、体内の虫たちが充填されていく全能感。
その陶酔に浸り、夢中になって食らいついていたが――。
胃袋の中で蠢くホウセンバチと、血管を這うウルガたちが、本能を逆なでするような強烈な「脅威」の接近を、脳内に直接警報として叩き込んできた。
俺は口にパンを咥えたまま、弾かれたように窓へと視線を走らせる。
ここは寄宿舎の三階だ。窓の外には足場などない。にもかかわらず、そこには漆黒の夜空を背負って、重力など存在しないかのように平然と滞空する男の姿があった。
「会いにきちゃった」
窓越しに、アレス・クラウンが優雅な笑みを浮かべて手を振っていた。
オリハルコン級。帝国の英雄。
そんな男が、不法侵入同然の形で、俺の最も「人に見せられない食事風景」を覗き込んでいたのだ。




